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気づいている人が少ない、質問と解答を前もって準備し続ける重要性

以前から人間的に魅力があると感じる人とそれ以外の人とは

何が違うのだろうかと考えていました。

結局のところ主観にはなってしまうのですが、

今私が大事だと考えていることを紹介します。

結論から言えば、

「解答」を吟味し、ストックすることが重要です。

これは、広く一般化しても適用できる考え方だと思います。

また、別の表現で言うならば

「吟味した解答を暗記し体系づける」と言っても良いかもしれません。

 

私たちが普段初めて取り組むこと、緊張して取り組むことは、

総じて自身のなさのような気持ちの面により、

パフォーマンスの最大値を引き出せないという場が多々出てきます。

 

最初に初等教育の過程についてみていきたいのですが、

識字率向上や普遍的価値観の創造という

社会生活を流動的に行えるような画一的人間を増やしていく上では

従来の学校での教えは成功と言えますが、

あまりに下地となる「勉学」というこだわりにかける時間が長すぎました。

戦後のインフラならまだしも、

ここ数十年の間は、

意欲があれば進んで知識を手に入れることができる時代だったわけですから、

どこかで転換点に気づき始めた時に少しずつでも、

今でいう「国数英理社」だけにとどまるような「学習」から卒業すべきでした。

(科目数どうこうという次元の話ではない)

 

何が言いたいかというと、

弊害の話についてです。

今、私のような20代の人たちは、とても責任の重い年代だと考えます。

保険料を納めるなどという重さの話ではなく、

改革の中心にいる世代、それを可能にする幼少期に恵まれた世代として、

という意味でです。

要するに、

そういったレールに敷かれたやり方から一歩外側に出ることの重要性に

十分気づける状況だったであろう人口が本質的に多かったのが

今の私たちの年代だと思うのです。

 

学校の「勉学」について引き合いに出したのは

本題である「質問と解答の準備」について核心に触れることができるからです。

 

いわゆる学校での勉強とは

「一つの質問」に対して「一つの解答」を答えられるように訓練される構造になっています。

それもただの解答ではなく「模範解答」です。

(もちろん解答が複数ある時もありますが、まずは一つです。)

 

現代に即して考えれば、こうした基本的事項は5秒後にはすぐに答えがでる状況なので、

「その答えはだれでもわかります。では、それを知って、あなたはどう使うの?」

「模範解答とちがいますね。ではそこに眠っている宝は何でしょう?」

(一般の人と違う思考回路をしたので、そこに価値があるということ)

という段階に最低限移行したいわけです。

しかし、未だに質問と解答のセットを覚える「作業」に従事しています。

別の言い方をすれば、

学校では「穴埋めの文化」を続けているが、

本来は「埋まった穴をどう活用するか」が大事だということです。

 

「現代に即して考えれば」と上では言いましたが、

実はそれも本質的にはよくない言い方です。

なぜならこの「現代」、つまり、「今」に即して考えるという構造自体、

過去数年の間ほとんどの人がやってきた方法論と寸分違わず同じだからです。

(上では過去のやり方ではダメだと言っているにも関わらず、です。)

そして、「今」を生きる大部分の人も同じことをしています。

未来を見越して今の状況を決定づけようとする努力、

そして最終的にはその習慣があってようやく「現代に即した水準」の考え方なのです。

みんな、一歩遅いのです。

 

しかし私は、上ではダメだと言っておきながら、

別に従来のやり方が完全にダメだと言っているわけではないのです。

 

「今の学校のやり方」も、基礎水準としては大切だし、

「今を生きる」「今を考える」というのも間違ってはいません。

社会で問われることは、必ずしも一意的に解決できることばかりではありません。

そうした意味でも一見すると

「質問」と「模範解答」の記憶も貧弱な装備に思えてしまいますが、

まずは目の前の解決を図ってこそ、次の景色を垣間見ることができます。

一般的な解答があるからこそ別解が輝くのであり、

規則があるからこそ例外があります。

 

常々、問題解決にあたり重要性を発揮する「発想」というものも

インプットした「元」から外れた思考で繋がるからこそ

価値として感じるのではないでしょうか。

 

そしてもっとも重要なことは、これらはみな、

誰でもできることにも関わらず重宝されることと

複雑な物事ほど結局のところ「人間」が絡んでくるという点です。

また一般的な言い方をすれば「多様性」という意味では、

地球のシステムとしても重要視する部分でもありますから、

我々人間にも多様性を適用することも十分考えられることです。

先ほど冒頭で、「改革の中心にいる世代、改革を可能にする幼少期に恵まれた世代として

今、私のような20代の人たちは、とても責任の重い年代だと考えます。」

という趣旨のことを記しました。

ここで私が言っていることは「改革第一世代としての責任」です。

簡単に言えば、「過渡期の世代」ともいえるかもしれません。

「移行しきった世代」が出てきた時(そしてそれはおそらくもう生まれている)、

完璧な改革は、彼らはもはや義務として遂行すべき課題になっていて、

しかも、彼らのほとんどがそのことを自覚して日々を模索するはずです。

こうして見てくると、

何においてもハイブリッドが本質なのだろうと察しがついてきます。

(察しがつきますか?難しいですね。)

しかし注意すべきは、私たちが上のような表現例で使う「今」は

決して「この瞬間の今」であってはならず、

先を見据えてからいったん戻って到達すべき目標地を定めた「今」でなければなりません。

 

基本事項がすぐにわかるからと言ってそれが、

旧世代の一般教養の範疇に収まるものだとしても

それを積極的に学ばなくていい理由にはなりません。

世界が加速度的に情報が更新されるようになっている中、

基本事項はすぐわかることを理由にいちいち調べていれば

流動的または動的な現象には対応しきれないからです。

 

 

少し前置きが長くなりましたが、

前半の条件がある中で、最終的に後半の主張をまとめたいと思います。

私が最も今回主張をしたいこととは

 

①「解答」を吟味し、ストックすることが

②「吟味した解答を暗記し体系づける」

この二つであり、できれば同列に扱って過ごしていければよいということなのです。

 

実は先ほど述べた内容がほぼすべての感覚の根本になっているのですが、

前半部分で提示した学校などの内容はあくまで「個々の条件」にすぎず、

結局のところどんな理由、どんな環境、どんな条件を背負っていたとしても、

「流動的または動的な現象には対応しきれない」という理由がある限り

ストックは作り続ける必要があるのです。

そして、それも古くなっていないか、今適応できる情報なのかを

自分で「質問」し、「解答」を吟味する確認作業によって信念を積み上げるほかないのです

 

一般的な人であれば言語は話せてしまいます。

「話せてしまう」ということは、

基本的には不自由せずに扱うことができるということを示しています。

つまり努力の重要性に気づくことが難しく、

努力の継続性も重要視しにくいのです。

 

大人になってからの、概して20歳以上すべての人に問いかけてみます。

「普段から質問に対する解答を準備していますか?」

上の質問にたいして「No!!」の解答がどのくらい返ってくるでしょうか?

少し予想してみても、言語に関しての努力の重要性に気づきにくいことからも

ほとんどの人が「No」の解答であることが推察できませんか?

 

これは由々しき事態ですが、

私個人としては逆にチャンスがいたるところで眠っているように見えます。

「20歳以上ほとんどの人が同じ解答しか出せない」ことなど他にありますか?

そこから一歩でるだけで

もはや特異的かつ「独特な」存在になることができるということを意味します。

 

しかも驚くことに、その年代はなんとほぼすべての人が

「質問」と「解答」のセットを幼少期に何度も経験してきているエキスパートです。

そして言語を使えるので無意識に「模範解答」は誰しもが持っています。

「あなたの趣味はなんですか?」

「今日は暑い日ですね!」

「お久しぶりでございます!」

「あなたの信念はなんですか?」

日常的な質問や挨拶に対して、

みんなが使える「模範解答」で反射的に返すことは損だと思いませんか?

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