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「リアル金持ち父さん貧乏父さん」が生まれると感じた話(確定予定)

この夏、私が自転車でコンビニから家に帰宅途中に

昔よく遊んでいた幼馴染が自転車に乗っていて、

すれ違いざまに再会するというミラクルを体験した。

 

この幼馴染とは小・中学校で長い付き合いでよく遊んでいた。

彼はもともと地頭がよくなかった。

学習の出来という観点で成績を考えても

中学1年初期までは本当に出来は良くなかった。

しかし、中学1年の夏休み明け、

夏休みの間に出された課題プリントから「そのまま」出る

課題テストなるものが私の学校にはあった。

 

言葉を選ばないで言うと

理論上、どんなに頭が悪くとも5教科で500点満点がとれる人が続出するという簡単なテストだった。

 

そして、彼だけが学年で500点満点をとり1位となった。

 

彼の母親は、小学校で先生をしていた。

後で聞いた話によると、

その母親からの、

「中学校で渡された課題プリントを解く前にコピーをとたくさんとってその反復練習をしてごらん」

という言葉を実行したのだそうだ。

 

お恥ずかしい話だが、

私自身は中学の勉強は卒業時には7割350点を超える程度で、とれても400点には届かないレベルだった。

 

彼はそうして「努力」を知り、県内トップの高校へ入った。

私は、予備校に通い1浪して、

1年のブランクと現在の私を形成する大切な思考力の種を手に

県内で3番目位の自称進学校に通った。

 

彼は、私が高校3年になった頃、私より1年先に新潟大学へ行った。

学部は聞いていないが、どうやら「自分らしさ」と「自信」を持てるようになったようで、

私と再開した時には当たり前かもしれないが、大人な考え方にはなっていた。

 

話が少し変わるが、

私には妹がいて、

―――私が高校を卒業した後だっただろうか―――

妹のある友達は母子家庭だった。

 

そしてある日その友達は、母親が家で亡くなっていたところを発見された。

 

後に養護施設に引き取られ、高校生になったようだ。

 

一般的な考え方から言うと、子供は親を選べない。

この話を引き合いに出したのは、

幼少の頃の私自身もいつ「親なしの家庭」

になってもおかしくなかったからだ。

 

結果から見れば私はそうはならずに成人を迎えたが、

幼いながら毎日その恐怖を感じていたため、

「勉強は好きだし大学も行きたいけど、それではなんかダメな気がする…」

と時間軸的な予測から一般のレールに従って進むことは

私の場合最良な選択ではないと直感して日々模索しながら未来を覗いていた。

 

対して再開した彼は、共働き世帯で持ち家もあり、

良識ある父母と優しい祖父母、妹と共に

物質的・経済的不自由は皆無で、少なくとも中学校までは過ごしていた。

 

その後の生活はわからないが、

おそらくはある程度の仕送りはもらいながら大学生活を過ごしていたはずだ。

 

昔から彼は安定思考だった。

対して私は不安定な生活ではあったが、人生でただ一度も皆の言う安定を望んだことはなかった。

もっと正確に言えば「一般人の思うレベルの安定」を望めば、

私の置かれた状況では達成はできるだろうが、

「その後の間に合わない生活が待ち構えている」と考えていたということだ。

当時、答えは見えていなかったが

「普通に置かれた状況で高校進学し、大学へ進み、就職して給料をもらう」

という普通のレールは、私には魅力的に見えなかった。

 

私には世の大人がおかしく見えていた。

私は、安定の先にあるものを見てみたかったのだ。

 

 

私にとって、予備校へ通うことはリスクを伴うことであった。

しかし、置かれた状況で他の進学先に行くことは直感が否定を叫んでいた。

結果的に予備校では、

人生の革命となる3人の先生と、

3番手の自称進学校に行った先で1年ずれた故に出会えた

人生の師となる先生の1人と巡り合うことができた。

⇨⇨⇨梅園和彦さんを知る人にいつか会ってみたいという話

 

 

もちろん、再開した彼も、いろいろなところで師と出会ったと信じたいが、

そう簡単に自分にとっての素晴らしい方というものには出会えるとは限らない。

 

しかし、何らかの形で人生に影響を与えてくれた人には出会ってはいるだろう。

 

こうして、

彼は大部分の10代が歩む道を、

私は少数派であろう道を15歳にして選択し、一部レールから外れ始めた。

 

 

信念や信条というものは

若ければ若いほど、想い続けた重みに価値が増す。

 

私たちにとって思考するとは、時間を要する作業である。

「ジャネーの法則」は後で知ることになるのだが、

今の社会では、子供は18歳まで画一的に「5教科」のことに集中せざるを得ない。

環境が、そうせる。

 

成人までは2年しかない。

また、最悪の場合「画一的5教科」に似た状況はもう4年延長されることもある。

もちろん人による。

 

社会というものの概要を掴んで、

世界を変えるには結局自分しかいないということに気づけた大人は

若い10代が悩んだ物理的1年間と、

少なくとも同質の価値まで自分の信念を確かめ上げるためには

何倍もの物理的時間が必要となる。

 

だから、彼がどういう信念を手にしているかまでわからないが

15歳から20歳まで考え抜いていることがある人がいるとすれば、

18歳から20歳まで考え抜いている人との違いは単純に3年として補填できるものではないのだ。

22歳や、30歳、50歳から思考するとすれば文字通り命を削る覚悟必要である。

(もちろん、始めるにあたって遅すぎるということはない)

 

 

様々な背景があり、2人はまた再開した。

彼は今、地元に戻ってきて公務員となった。

 

よく遊んだ中だったのもあり、話には花が咲いた。

 

しかし、私は心の底では、いや、心の底から、

彼とは交わることはもうできないと思ってしまった。

 

私は彼に、

大学では何を学んだのか、

大切だと考えていることは何か、

人生で必要だと思うことや体験、

趣味や、仕事で学んだこと、これからの目標、金銭感覚など、

あらゆることを聞いた。

 

そして、何一つ刺さる事柄がなかった。

極めつけは、好奇心が皆無、知識不足、怠慢、過去しか見ていないということが

重なってしまったことが私にとって、

彼に今後の輝きを感じさせないのに十分な理由となった。

 

 

子は親を選べない。

私は、今の家庭で良かったと思っている。

大変なことは世間一般より多いが、これが私の今後の未来に繋がることは

必然であることを知っているからだ。

それはつまり、面白いからだ。

 

しかし、

生まれる家を間違えたとは思わない一方で、

矛盾するようだが

目の前に環境が揃っているのにもかかわらず

日々前進を心がけ、新しい毎日に感謝し、挑戦しない人間がいると、

胸ぐらを掴んで俺と代われと言いたくなる。

 

代われないとしても、

未来を見て努力したいと願う人間に

その席を差し出せと本気で思う。

怠慢を貫き通し、自身の無知に気づけない人に未来はない。

⇨⇨⇨きっかけが全てを決める。しかしきっかけは全てあなたが決める。

 

 

人というものは存在しているだけで情報を垂れ流している。

心理学的なテクニックを頼ってもある程度は分かるが、

やはり、そこに存在している「個」を受け入れ、全力で集中してお話する

ということに勝るものはない。

 

有名な著書「7つの習慣」では

個性主義と人格主義として紹介されていることは後に知ったが、

素直に正直に、観察し、実践していれば当たり前に気づくことができるものである。

 

 

私はまだ大成功収めている人間ではないが、

10年後、

公務員となって怠慢な仕事をしている青年と

埋めることができない大きな差が生じているだろう。

 

 

まだ結末は見てないが、この流れなんか似ているものがあったような…?

あぁ、なるほど。

「金持ち父さん貧乏父さん」と「父さんの雰囲気が似ている」な、と。

(似ていないか…?)

※タイトル伏線回収ということで。

 

 

最後に余談だが、上で引き合いに出した施設は私も入ったことがある。

小学1年生頃だったと思うが、短期間だったためにあまり覚えていないが

今でも消えない光景が3つあり、

トイレと、食事の時の祈りと、

それから顔も性別もはっきりしないが、

ある子供が母親からの手紙が届いて泣いている様子だ。

 

私がその施設を親に連れられて出る(=帰る)ところだったが、

私が靴を履いていると同時に

そこの職員の方が私から5mほど離れたある子供宛に、

その届いた手紙を渡していたところだった。そしてその子供はすぐに涙を流していた。

 

当時、涙を知らず爛漫に生きていた7歳児にとっては、

自分と同じくらいの年の子供が「手紙を貰って涙を流す」という感覚は腑に落ちなかったが

今はその意味がわかり、こうしてたまに思い返してしまうからこそ

私はその一瞬を垣間見た代償か贈り物か判断がつかないが、

人生の感覚として苦しい感情を背負っている。

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