食品安全評価における科学と政治の交錯点を問い直す
バイオテクノロジー時代の新理解に向けたクリティカル・アナリシス
現代の食品安全評価において、私たちは科学的根拠と政治的判断が複雑に絡み合う領域に立っている。遺伝子組み換え食品やゲノム編集技術をめぐる議論では、「検出不可能」から「安全」を結論づける論理構造や、「分別生産流通管理済み」という表示が示す現実的妥協など、従来の安全性評価の枠組みでは捉えきれない問題が浮上している。本シリーズでは、科学的方法論の限界、国際規制体制の政治性、そして民主的な食品選択のあり方について、批判的かつ体系的な分析を試みる。
第1部:食品表示制度に潜む論理的矛盾の解剖
「遺伝子組み換えでない」という表示と「分別生産流通管理済み」という新表示は、なぜ消費者の混乱を招いているのだろうか。この部では、2023年4月に施行された表示制度改正の背景にある科学的・政治的な妥協点を詳細に分析する。意図せざる混入率5%という基準の設定根拠、「不検出」という厳格化の実際的意味、そして表示義務対象外となる醤油や植物油の加工工程における遺伝子組み換え由来成分の完全除去プロセスについて解説する。読者は、食品表示が科学的事実の単純な反映ではなく、複数のステークホルダーの利害調整の産物であることを理解できるだろう。

第2部:検出技術の限界と科学的方法論の根本問題
「最新の検出技術によっても検出が不可能」という表現から、なぜ「存在しない」ことの証明が可能だと結論できるのだろうか。この部では、PCR法やELISA法による検出限界の技術的詳細、検出不可能性と存在の否定を同一視する論理的飛躍、そして「悪魔の証明」という科学哲学上の根本問題について考察する。カール・ポッパーの反証可能性概念やクーンの パラダイム論を援用しながら、現行の安全性評価における方法論的課題を明らかにする。読者は、科学的厳密性の観点から見た食品安全評価の構造的限界を認識し、不確実性の下での意思決定の複雑さを理解するだろう。

第3部:国際規制体制の比較政治経済学
EU、アメリカ、日本の遺伝子組み換え・ゲノム編集規制は、なぜこれほど根本的に異なる哲学に基づいているのだろうか。この部では、EUの0.9%混入基準と包括的表示義務、アメリカの「規制権限外」判断と任意相談制度、日本の届出制度という「第三の道」について、それぞれの制度設計の論理と政治的背景を分析する。農業保護政策としての技術規制、貿易戦略としてのバイオテクノロジー推進、そして消費者保護と産業育成の政治的バランスについて詳述する。読者は、科学技術政策が純粋に技術的判断ではなく、各国の政治経済的戦略の反映であることを認識できるだろう。

第4部:予防原則対実質的同等性の思想的対立構造
1993年にOECDが提唱した「実質的同等性」概念と、1992年リオ宣言で確立された「予防原則」は、なぜ和解不可能な対立軸を形成しているのだろうか。この部では、両概念の思想的起源、科学的不確実性への対処法の根本的相違、そしてリスク評価とリスク管理の分離という近代的枠組みの限界について考察する。ウルリヒ・ベックのリスク社会論、ユルゲン・ハーバーマスのコミュニケーション的合理性、そしてブルーノ・ラトゥールのアクターネットワーク理論を参照しながら、科学技術と社会の関係性を再検討する。読者は、食品安全をめぐる論争の根底にある認識論的・価値論的対立の構造を理解し、単純な科学主義的解決の限界を認識するだろう。

第5部:科学的論争の構造分析と研究の政治性
セラリーニ研究、パズタイ研究、エルマコバ研究が科学界で否定された経緯は、何を物語っているのだろうか。この部では、これらの研究の具体的な方法論的問題点、査読制度の機能と限界、そして研究資金と研究結果の政治的関係について詳細に分析する。統計的検定力の不足、対照群設定の不備、OECDガイドラインからの逸脱といった技術的問題と、研究機関による処分や論文撤回という制度的対応の意味を検討する。読者は、科学的知識の生産プロセスが純粋に客観的なものではなく、制度的・社会的要因に大きく影響されることを理解し、科学情報の批判的読解力を獲得するだろう。

第6部:日本の中間路線における政治力学の深層
日本の遺伝子組み換え・ゲノム編集政策がアメリカ追随でもEU追随でもない「中間路線」を取る理由は何だろうか。この部では、TPPと種子法廃止に象徴されるアメリカからの構造的圧力、生活クラブやパルシステムなど消費者団体の組織的影響力、そして食料自給率15%という現実的制約の三重構造を分析する。届出制度という「実質的義務なき義務」の政治的機能、農研機構における隔離栽培の象徴的意味、そして「現実的妥協」としての政策形成プロセスについて詳述する。読者は、日本の科学技術政策における主権性と従属性の複雑な関係、そして民主的意思決定の可能性と限界を理解するだろう。

第7部:ゲノム編集時代の新たな規制課題
SDN-1、SDN-2、SDN-3という技術分類は、なぜ規制哲学の根本的転換を迫っているのだろうか。この部では、外来遺伝子の残存有無による規制区分の技術的妥当性、「自然突然変異との区別不可能性」が示す検証可能性の問題、そしてオフターゲット変異のリスク評価における不確実性について考察する。CRISPR/Cas9技術の1兆分の1という精度の意味、従来育種との比較における時間軸の問題、そして「22世紀鯛」「22世紀ふぐ」という商品化事例の社会的インパクトを分析する。読者は、技術的精密性の向上が必ずしも規制の単純化をもたらさず、むしろ新たな複雑性を生み出していることを理解できるだろう。

第8部:消費者選択権と民主的統制の可能性
表示義務化をめぐる対立は、民主主義社会における科学技術統制の本質的問題を提起しているのではないだろうか。この部では、「知る権利」と「風評被害」という対立軸の政治性、科学的安全性と社会的受容性の乖離構造、そして専門知と市民知の関係性について検討する。EU市民参加型テクノロジーアセスメント、デンマークのコンセンサス会議、そして日本の討論型世論調査などの事例を参照しながら、科学技術の民主的ガバナンスの可能性を探る。読者は、食品選択という日常的行為が持つ政治的意味を理解し、科学技術社会における市民参加の新たな形を構想する視点を獲得するだろう。

第9部:グローバル食料システムにおける戦略的選択
気候変動と人口増加という二重の圧力下で、バイオテクノロジーは食料安全保障の切り札となり得るのだろうか。この部では、世界の作付面積1億9000万ヘクタールに達した遺伝子組み換え作物の地政学的意味、アルゼンチンにおける遺伝子組み換え小麦の商業栽培開始が示す食料覇権の変化、そして日本の戦略的選択肢について分析する。モンサント(現バイエル)による種子独占の構造的問題、アフリカ諸国における技術導入の政治経済学、そして「技術主権」概念の現代的意味を検討する。読者は、食品安全評価が単なる技術的問題ではなく、国家戦略と国際関係の核心的要素であることを理解し、グローバル化時代における食料政策の複雑性を認識するだろう。

第10部:科学技術ガバナンスの未来設計
AI時代の到来とともに、バイオテクノロジーガバナンスはどのような新たな課題に直面するのだろうか。この部では、機械学習による予測的安全性評価の可能性と限界、ブロックチェーン技術を活用したトレーサビリティシステムの展望、そしてデジタル民主主義による科学技術政策形成の新モデルについて考察する。量子コンピュータによる分子動力学シミュレーションが安全性評価に与える影響、IoTとビッグデータを活用したリアルタイム食品安全監視システムの技術的・法的課題、そして市民科学(Citizen Science)の発展が専門知独占に与える変化を分析する。読者は、科学技術の発展が既存のガバナンス体制に与える変革圧力を理解し、21世紀における民主的科学技術統制の新たな可能性を展望できるだろう。
