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食品安全の国際協調はなぜ困難?EU・米国・日本のGMO規制体制の比較

第3部:国際規制体制の比較政治経済学的分析

複数の政治経済的戦略が交錯する国際GMO規制の深層構造

EU規則1829/2003の政治経済的設計——予防原則と市場統合の緊張関係

EU規則1829/2003「遺伝子組み換え食品飼料規則」は、2003年9月22日に採択され、EUの遺伝子組み換え食品に対する統一的な法的枠組みを確立した。この規則の政治経済的背景を理解するためには、1990年代後半から2000年代前半にかけてのEU内部の複雑な政治力学を検討する必要がある。

BSE危機(1996年)とベルギーダイオキシン事件(1999年)を受けて、2002年に設立されたEFSA(欧州食品安全機関)は、従来の食品安全政策の根本的見直しを迫られた状況下で誕生した。EFSAのGMOパネルによる科学的評価プロセスは、表面的には技術的中立性を標榜しているが、その評価基準と手続きには政治的意図が埋め込まれていると考えられる。

EFSAの科学的意見は通常6ヶ月以内に発行され、その後30日間の公開コメント期間を経て、欧州委員会が3ヶ月以内に承認・拒否の提案を行うという手続き的枠組みは、一見すると効率的な技術的プロセスに見える。しかし、この制度設計の核心は、加盟国政府の政治的判断を「科学的根拠」という名目で制約することにあるとの解釈が可能である。

0.9%という混入基準の設定は、その典型例として理解できる。この数値について、技術的実現可能性と経済的コストを考慮した政治的妥協の産物という側面が指摘されている。実際の政策決定過程では、ドイツの有機農業団体、フランスの農民組合、イタリアの地域政党といった多様な政治的アクターの利害調整が行われ、最終的に「技術的に回避不可能」という例外規定と組み合わせることで政治的合意が形成されたと考えられる。

EFSAのGMOパネルの比較安全性評価手法は、実質的同等性概念の欧州版として設計されているが、その選択的証拠採用により、GMOのリスクを過小評価する構造的バイアスを持つという批判が学術界から提起されている。この批判の背後には、欧州統合プロジェクトにおける「調和化された内部市場」創設という政治的目標と、各国の食品安全に対する主権的決定権との間の根本的緊張関係が存在する。

USDA-APHISの規制哲学——植物病害虫概念の政治的拡張と縮小

USDA-APHISの「Am I Regulated?」制度は、開発者が7 CFR 340規則下での規制対象該当性を事前に確認できるシステムとして設計されている。しかし、この表面的に技術的な相談制度の背後には、アメリカの農業競争力強化という経済戦略が存在すると考えられる。

2010年代以降、CRISPR/Cas9技術の普及により、従来の植物病害虫DNA配列を使用しない遺伝子組み換え手法が急速に発展し、多数のGE作物がUSDA-APHISの規制を回避している状況は、規制制度の政治的性格を示している。植物保護法(Plant Protection Act)に基づく「植物病害虫リスク」という規制根拠は、科学的なリスク評価基準というよりも、既存の農業生産システムへの脅威の有無を判断する政治経済的基準として機能している可能性がある。

2024年12月2日、カリフォルニア州北部地区連邦地方裁判所により、2020年5月のSECURE規則が無効とされ、APHISは2019年版の7 CFR part 340に基づく規制プロセスに復帰した。この司法判断の背後には、全米家族農場連合(National Family Farm Coalition)を中心とする農業団体と、大手バイオテクノロジー企業の利害対立がある。

前者は遺伝子組み換え技術の規制緩和が小規模農家の市場競争力を削ぐと主張し、後者は技術革新による国際競争優位の確保を重視している。この対立の核心は、アメリカ農業における技術的近代化の方向性をめぐる政治的選択にある。

特に注目すべきは、Am I Regulatedプロセスにより数十件のGE作物が規制対象外とされた事実である。これらの判定は、個別の科学的リスク評価に基づくものではなく、既存の規制枠組みの法的解釈として行われている。つまり、「科学的安全性」ではなく「法的規制必要性」が判断基準となっており、安全性評価の政治的性格が露呈していると解釈できる。

日本の省庁間調整プロセス——官僚制内部の権限分割と政治的妥協

カルタヘナ法(遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律)は、2003年6月に公布され、2004年2月に施行された。しかし、この法律の制定過程における省庁間調整は、日本の科学技術政策決定システムの構造的特徴を反映している。

農林水産省は農作物・食品分野、厚生労働省は医薬品・医療機器分野、経済産業省は工業利用分野、環境省は環境影響評価、文部科学省は研究開発分野という具合に、主務官庁が分野別に分割されている。この分割統治システムは、省庁間の政策調整コストを増大させると同時に、政治的責任の所在を曖昧化する効果を持つ。

特に重要なのは、2017年4月の法改正による補足議定書対応である。この改正では、遺伝子組み換え生物による生物多様性への損害に対する責任・救済制度が導入されたが、その政策決定過程では各省庁の権限範囲をめぐる調整が行われたと考えられる。環境省は生物多様性保全の観点から厳格な責任制度を求め、農林水産省は農業振興への影響を懸念し、経済産業省は産業競争力への配慮を主張したと推測される。

最終的な制度設計は、これらの対立する利害の政治的妥協として形成された。第一種使用等(環境放出)と第二種使用等(拡散防止措置下での使用)という二分法も、省庁間の権限分割を反映した政治的産物である。研究段階では文部科学省、商業化段階では各分野の主務官庁という権限分担により、政策の一貫性よりも官僚制内部の均衡が優先されている。

市民社会アクターの政治的影響力——NGOネットワークの戦略的動員

欧州におけるGMOをめぐる政治過程では、NGOが重要な役割を果たしている。GM FreezeとFriends of the Earth Europeは、EFSAの科学的ガイドライン策定に対して継続的な圧力をかけ、欧州委員会の政策決定に影響を与えている。これらの組織の政治的戦略は、科学的根拠の提示ではなく、消費者世論の動員と政治的連合の形成に重点を置いている。

Friends of the Earth Europeが実施した欧州主要小売チェーンへの調査では、Aldi、Edeka等の大手企業が遺伝子組み換え動物由来製品の販売拒否を表明している。この調査結果は、単なる市場調査ではなく、政治的圧力を形成するための戦略的情報収集として設計されている。

アメリカでは、Biotechnology Innovation Organization(BIO)が2024年に約669万ドルの議会ロビー活動費を支出し、1,100以上の企業・機関を代表する世界最大のバイオテクノロジー業界団体として機能している。2018年の987万ドルから2024年の669万ドルへの減少は、トランプ政権からバイデン政権への政権交代に伴う政治的環境の変化を反映している可能性がある。

BIOの政治的影響力は、直接的な議会ロビー活動だけでなく、100名の登録ロビイストのうち63名が元政府職員であるという「回転ドア」システムによって増大している。この人的ネットワークにより、政策決定プロセスへの内部的影響力を確保している。

日本では、生活クラブ生協が約42万人の組合員を擁し、パルシステム東京をはじめとするパルシステムグループが全国規模で展開されている。これらの生協組織は、単なる消費者団体ではなく、「疑わしいものは使わない」「情報は公開する」という原則に基づく政治的主体として機能している。

しかし、日本のNGO・市民団体の政治的影響力は、欧米と比較して限定的である。その理由は、政策決定プロセスへのアクセス経路の制約と、政治的動員能力の構造的制限にあると考えられる。

農業保護政策・国際競争戦略・民主的正統性確保の三層構造

各国のGMO規制政策を比較分析すると、表面的な科学技術論争の背後に、三つの政治的課題が複層的に存在することが明らかになる。この「三層構造」の分析枠組みにより、各国の規制政策の相違をより深く理解できる。

第一層は農業保護政策である。 EUのCommon Agricultural Policy(CAP)改革、アメリカのFarm Bill、日本の農業基本法という国内農業政策の枠組みが、GMO規制の基調を決定している。EUの0.9%基準は、欧州農業の「品質」戦略と有機農業セクターの保護という政策目標を反映している。アメリカの「植物病害虫リスク」基準は、大規模機械化農業システムの効率性確保という目標に対応している。日本の届出制度は、食料自給率向上と国内農業保護の政策的ジレンマを回避する妥協策として設計されている。

第二層は国際競争戦略である。 バイオテクノロジー分野における技術的優位は、21世紀の国際競争において決定的な意味を持つ。アメリカは技術革新による先行者利益の確保を目指し、EUは「持続可能性」という価値観による差別化戦略を追求し、日本は技術的従属性の回避と独自技術開発の両立を図っている。これらの戦略の相違が、規制政策の根本的差異として現れている。

第三層は民主的正統性の確保である。 科学技術政策における専門知と民主的統制の関係は、現代民主主義の核心的課題の一つである。EUの詳細な手続き規定は、技術官僚的決定に対する政治的統制を確保する制度的工夫として理解できる。アメリカの業界主導システムは、市場メカニズムによる民主的選択の代替として機能している。日本の省庁分割システムは、政治的責任の分散による紛争回避メカニズムとして設計されている。

国際規制協調の構造的困難性——主権的決定権と技術的標準化の矛盾

EUがCodex Alimentarius委員会で合意されたRAP(Risk Analysis Principles)手続きを独自に修正している事実は、国際協調の困難性を象徴している。技術的標準の国際統一という表面的目標と、各国の政治経済的利害という実質的動機の間には、構造的な矛盾が存在する。

WTO/SPS協定における「科学的根拠」要件も、この矛盾の現れである。同一の科学的データから、異なる政治的価値判断により正反対の政策結論が導出される。この状況は、「科学的根拠主義」自体が政治的な選択であることを示している。

国際規制協調の困難は、技術的専門性の不足によるものではなく、各国の政治的利害の根本的対立によるものである。GMO規制をめぐる国際的分岐は、21世紀の科学技術ガバナンスにおける主権と標準化の緊張関係を表現している。

今後の国際GMO規制体制は、技術的合理性の追求ではなく、政治的多様性の管理という課題に直面している。ゲノム編集技術、AI支援育種、合成生物学といった新技術の登場は、この課題をさらに複雑化させるであろう。

各国の規制政策の相違は、技術的理解の差異ではなく、政治的選択の差異である。この認識なくして、国際的な政策協調の可能性を論じることはできない。科学技術政策の国際政治学的分析こそが、21世紀のバイオテクノロジーガバナンスの核心課題なのである。

参考文献

EU規制関連文献

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  • European Commission. “GMO authorisations for food and feed.” European Commission Official Website. https://food.ec.europa.eu/plants/genetically-modified-organisms/gmo-authorisation/gmo-authorisations-food-and-feed_en
  • Wikipedia. “Genetically modified food in the European Union.” Last modified September 12, 2024. https://en.wikipedia.org/wiki/Genetically_modified_food_in_the_European_Union

USDA-APHIS関連文献

  • USDA-APHIS. “Biotechnology Regulatory Services.” USDA-APHIS Official Website. https://www.aphis.usda.gov/aphis/ourfocus/biotechnology
  • USDA-APHIS. “Am I Regulated?” USDA-APHIS Official Website. https://www.aphis.usda.gov/biotechnology/am-i-regulated
  • USDA-APHIS. “APHIS Restarts Permitting and Am I Regulated Processes for Products of Biotechnology.” December 2024. https://www.aphis.usda.gov/news/program-update/aphis-restarts-permitting-am-i-regulated-processes-products-biotechnology
  • National Law Review. “APHIS Restarts Permitting and ‘Am I Regulated’ Processes for Products of Biotechnology.” https://natlawreview.com/article/aphis-restarts-permitting-and-am-i-regulated-processes-products-biotechnology
  • Genetic Engineering and Society Center. “Biotechnology Oversight Gets an Early Make-Over by Trump’s White House and USDA: Part 2.” June 17, 2020. https://ges.research.ncsu.edu/2019/07/ag-biotech-oversight-makeover-part-2-usda-aphis-rule/

日本カルタヘナ法関連文献

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  • Ministry of the Environment (MOE). “Implementation of the amended Act on Conservation and Sustainable Use of Biological Diversity through Regulations on the Use of Living Modified Organisms (Cartagena Act).” https://www.env.go.jp/press/105193.html
  • MAFF. “Initiatives for Biodiversity Conservation Based on the Cartagena Act.” https://www.maff.go.jp/j/syouan/nouan/carta/torikumi/index.html
  • Ministry of Economy, Trade and Industry (METI). “Safety Review Information (Cartagena Act, Bioremediation Guidelines).” https://www.meti.go.jp/policy/mono_info_service/mono/bio/cartagena/anzen-shinsa2.html
  • Ministry of Education, Culture, Sports, Science and Technology (MEXT). “Research Using Genetic Engineering Technology and Genome Editing Technology (Related to Cartagena Act).” https://www.mext.go.jp/a_menu/lifescience/bioethics/mext_02721.html

EFSA・科学的評価関連文献

  • European Food Safety Authority (EFSA). “Genetically Modified Organisms.” EFSA Official Website. https://www.efsa.europa.eu/en/science/scientific-committee-and-panels/gmo
  • EFSA. “GMO applications: regulations and guidance.” https://www.efsa.europa.eu/en/applications/gmo/regulationsandguidance
  • Cuhra, M., Bøhn, T., & Cuhra, P. “GMO regulations and their interpretation: how EFSA’s guidance on risk assessments of GMOs is bound to fail.” Environmental Sciences Europe, 32, 54 (2020). https://enveurope.springeropen.com/articles/10.1186/s12302-020-00325-6

NGO・市民社会関連文献

  • Food Navigator. “Friends of the Earth, GM Freeze target European Commission’s GM stance.” July 4, 2012. https://www.foodnavigator.com/Article/2012/07/05/Friends-of-the-Earth-GM-Freeze-target-European-Commission-s-GM-stance/
  • GM Freeze. “New GMOs advance in Europe.” March 27, 2025. https://www.gmfreeze.org/2025/03/14/new-gmos-advance-europe/

BIO・ロビー活動関連文献

  • Biotechnology Innovation Organization (BIO). “Official Website.” https://www.bio.org/
  • OpenSecrets. “Biotechnology Innovation Organization Lobbying Profile.” https://www.opensecrets.org/federal-lobbying/clients/summary?id=D000024369
  • Wikipedia. “Biotechnology Innovation Organization.” Last modified 4 days ago. https://en.wikipedia.org/wiki/Biotechnology_Innovation_Organization
  • OpenSecrets. “Biotechnology Innovation Organization Profile: Summary.” https://www.opensecrets.org/orgs/biotechnology-innovation-organization/summary?id=D000024369

日本生協関連文献

  • Seikatsu Club Consumer Cooperative. “Seikatsu Club System.” Seikatsu Club Official Website. https://seikatsuclub.coop/about/shikumi.html
  • Pal System Tokyo. “Creating a ‘Society’ that Values ‘Food,’ ‘Global Environment,’ and ‘People’.” Pal System Tokyo Official Website. https://www.palsystem-tokyo.coop/
  • Shokuzai Takuhai Club. “Comparison of Differences Between Seikatsu Club and Pal System! Which Co-op Delivery Service is Recommended?” May 2, 2022. https://meal-deli.club/comparison/seikatsuclub-palsystem/
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