give&takeの考え方は返報性を背景にした初期型の思考である
「与えて、そして、いただく」
というのは初期的なイメージであると同時に、
原始的なパラダイムモデルであるのでしょう。
この考え方は間違いなく現代にそぐわないもので
最低次元の思考習慣です。
これが現在でも蔓延る理由は、
親世代が幼少期の時から訓練されなかったために
今でもその「家族」に根強く続いてしまっていることが原因と考えられます。
そして最近では
「give&take」ではなく「give&give」
が叫ばれるようになってきました。
「ピラミッドのモデル」は
どこまで行っても例外的見方や現象が出てくるし、
思いがけないストローマン論法が出てくることがあり好きではないのですが、
あえて作ってみました。これはあくまで私が思うモデルです。
Giver(ギバー)とtaker(テイカー)の組み合わせやその対象から
従来もつ“利得”と“損失”的意味合いによって
ちょうど”give&take”層の人たちを中心に対称的になっています。
そして主に最上位にいる”giver”層の人たちによって
Give&giveの関係は創られていきます。
成功や自立を考えている人は
皆口を揃えて「give&give」の重要を説き、
他者へ価値を提供することに重きを置くようになってきました。
私はこの流れ自体を否定したいわけではありません。
おそらく「give&give」は本質的に間違えてはいないと思います。
理論的に言えば
全ての人間が善意たるgiverとなれば争いなど起きませんからね。
ただ、バブル的感覚というかインフレ的感覚というか、
あまりにも盲目的なところに少し違和感があるのです。
しかし、上でも述べたとおり、
私も、おそらく本質的には間違えているわけではないと思っていて、
むしろいいことだとは感じています。
そしてこの違和感を払拭したのが
これから紹介しようと考えている概念です。
幸福を他者へ感染させる力は、giverより上位に位置するものである
違和感の正体を具現化できる言葉がなかなか思いつかない状態でした。
そしてようやくしっくりくる表現だと感じたものが
「ただ存在していること」
だったのです。
この表現の背景は、giverの有限性と自由を考えた時からでした。
giveを中心に生きている人は
すでに高い次元の人間であることは間違いありません。
カギは、Giverの尽くす際のリソースにあると思ったのです。
Giverレベルになると相手に与えることの不信感が消え、
見返りを考えず「自分のため」に相手に心のそこから尽くすことができます。
もう一度モデルを持ってきます。
最下層はgiverとなっていますが、
これは与える対象を間違えている(takerへ)
Giverなので本来、水準的には高い方たちです。
よって、そこを削除して見直すと
最下層はtakerです。
最下層のtakerから最上位のgiverへと段階的に進化していく時、
一体どこに違いがあるのでしょうか。
私は「利得を追い求めた結果」だと思うのです。
人間が、個人の幸福を求めるのは当然のことです。
その時に自分がどの階層からスタートしたとしても、
「幸福になりたい欲求」に従うと、
自然と「邪魔で不毛な害悪」は排除していきます。
それが、現代では研究され
“返報性”“giver”“taker”のように言語化されたに過ぎずません。
我々人間としては昔から当たり前の感覚として、
たまたま対人関係においては「give&take」と考えてはダメで、
Takeにあたる「見返りをもらう気持ち」は足を引っ張ると気づいただけなのです。
そうやってgiverまでたどり着いても
現在ではそこがトップなので
さらに上の存在までは開拓されていないのです。
ここら辺はスポーツで世界最高記録が更新される感覚と同じでしょう。
ある意味でトップが壁となり目標となってくれるということです。
しかし、いくらタイムが0.1秒縮めることができるからと言ってそれを続けていっても
「50mの距離を1秒で走り切るまでタイムを縮める」
ことは物理的に不可能です。
絶対に「最終的な壁」が存在していることは確かなのですが、
現在トップのgiverには
さらに上へ突破できるカテゴリーがある可能性が残っている
というのが違和感だったのだと思います。
そして、giverがさらに上に行きたいと“幸福”を願った時、
害悪にあたる気持ちとはなんだろうかと考えてみたのです。
その結果が「自身の幸福をもとめないこと」だったのです。
それにあたって、幸福を求めないためには
「自分の幸福のために行動する」giverを卒業しなければならないのです。
そして、自分を表現し続け、本音で正直に今ある世界を生きることが
「他者を幸せにする」という独自的な視点ではなく、
「他者が自分を一目置く、そして、ついてきてくれる」
という追随的な視点に変化することが
大切であると考えるようになるのではないでしょうか。
そして私はこれをgive&takeの形に倣って
“be&be real”
と名付けました。
「存在する」の英語がexistで
existを英英で調べたところ「to be or be real」でした。
「ただ、存在している」の両意味を捉えるために
orをand(&)に、そして、シンプルかつ
giverを超越する自分への戒めともとれるよう命令文にしたことで
より響きもよくなりました。
be&be realの境地へ進むことで
ただ存在しているだけで他者へ幸福を届けられる存在になりたいと
執筆しながら強く決心した次第であります。