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子供を育て直す唯一の方法

人を育てるとはどのくらい接し、悩み、試してきたかにかかっている

私はまだ「親」という立場ではありません。

しかし私には下に妹がいました。

私が上のきょうだいとしてよく面倒を見ていたわけですが、

思ったようにはいかないとは思いつつも少し早い子育てのつもりで

日々ああしようこうしようと改善を重ねてきました。

 

ところで、どこの家庭でも親と子のぶつかり合いは起きているように、

私の家も例外ではなかったようです。

そのような中でも日々勉強と実践を続け今思うことを残します。

心の準備と目的意識を持って臨めば、

かけがえのない経験の連続を肌で感じるはずだからです。

 

 

親が「人を育てる」ということを意識せず過ごせば、子供は親のコピーになる

親の想いとは子供に受け入れられないことが常です。

心配だけが先に進みます。

結局どうしようもないのだな…と現実を知った時、

子供には良いか悪いかという将来のことはともかく、

真剣に生きていることを見せることが最も大事なことだと知りました。

 

「家風」は父母が作ってそれを子が受け継いでいきます。

さらに遡っていくとご先祖を考えることになりますが、まずは自分の父母です。

良い習慣を創る場が家庭であるならば、悪い習慣を改めるのもまた家庭です。

常にそれを意識しながら生活することは親の責任でもあります。

 

また「親の責任」は、「大人の責任」と読み替え可能です。

実は子供を教育することは

自分自身を見つめ直す作業であり、かなり骨の折れることなのです。

 

別の視点から見ても同じことが言えます。

私たちは自分に噓をつき続けることはできません。

だから人にも噓をつけないのです。

それは相手と向き合うことであり、結局自分と向き合うことに繋がります。

本当に自分の感覚で向き合うことこそが

いつでも必要な答えに導いてくれる案内人なわけです。

 

自分を見つめるということは、他人と向き合う勇気を必然的に要求しているのかもしれません。

こうして考えると他人を見る視点は自分に対する視点と何ら変わらないし、

他人を大事にすることは自分を大事にすることです。

そして自分を大事にしようとすれば他人を大事にする目と芽が生まれるということなのです。

よって自分に正直に生きることが

他人に受け入れられる真実だと信じていいのではないのでしょうか。

 

これを子供に置き換えると、

子供を大事に育むことは、自分を大事に育むこと。

自分に正直に、真剣に生きることは、

子供が(勝手に)

正直に、真剣に生きることに繋がる。

この世の本質はみな推移率でできているのかもしれません。

 

 

育て直すのに遅いことはない

向き合うことの大切さは直感できるように、

難しさも感じるところでしょう。

噓がそこに絶対存在しない場所があるとすれば死と向き合う瞬間だと思いますが、

私たちが家族と向き合う時にそれぞれ感じ取ることにも噓はないはずです。

 

自分を律する良い意味の縛りはたくさんあります。

でも気づいても次の一手が打てないことが多いです。

危機感は大事ですが、危機感の持続性にはとても短い賞味期限があります。

しかし、我々を突き動かすのは恐怖ではありません。

積極的・前向きな欲求です。

と、すれば自分を突き動かす理由を見つけるだけで向き合う対象も決まってくるのです。

 

「育て直す」ことに遅いことはありません。

ただ、子供を育て直したいならば、

育て直す対象は子供ではなくただ己にあると知るべきです。

逆説的ですが、

親が「人を育てる」ということを意識せず過ごせば、子供は親のコピーになる

とは、上の説明では悪い印象で聞こえたかもしれません。

しかし、一歩進めて

子供に理想像を求めるのではなく

親自身が工夫して自分の人生の物語を一生懸命に創っていくこと、

誤解を恐れずに言えば

人を育てることに無意識の境地になる背中を見せ続けることで

子供は自然にあなたの当初思っていた理想のカタチに追いついていきます。

 

自分が育ってきた姿勢のよりどころを

自分の親の責任と考えない年齢に達した人であれば

大人としての自分と親としての自分の生き方が一致していることが理想だと感じます。

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