第10部:境界線上の実践 – 芸術的探求と神経機能拡張
序論:創造性の極限を探る科学的冒険
人間の創造性は、快適な環境と十分な資源があれば最大化されるのだろうか。この一般的な仮定に対して、近年の神経科学研究は驚くべき反証を提示している。極限的な身体状況、反復的なリズム刺激、感覚統合の実験的操作といった「境界線上の実践」こそが、通常では到達不可能な創造的状態を誘発することが明らかになりつつある。
この現象は決して神秘的なものではない。断食時のβ-エンドルフィン分泌、激しい運動によるドーパミン報酬系の活性化、反復的太鼓演奏による脳波エントレインメント、そしてヴァーチャルリアリティ技術を用いた感覚統合の変調—これらすべてが、創造的思考を支える神経ネットワークの機能的再編成を引き起こす明確な生物学的機序を持っている。
重要なのは、これらの実践が単なる「苦行」や「修行」ではなく、科学的に検証可能で、個人の安全性を確保しながら応用可能な神経機能拡張技術として位置づけられることである。世界各地の伝統的実践—スーフィーの旋回、日本の太鼓演奏、アフリカの踊り、シベリア・シャーマンの太鼓儀礼—が示す共通要素の科学的解析により、人類が数千年にわたって蓄積してきた「意識技術」の神経科学的基盤が解明されている。
本章では、これらの境界線上の実践を、現代の神経科学と技術を用いてどのように安全かつ効果的に活用できるかについて詳細に検討する。創造性向上のための実践的アプローチが、科学的根拠に基づきながらも個人の安全性と自律性を尊重する形で提示されることを目指している。
10-1:極限状況での創造性発現メカニズム
身体的ストレスと神経伝達物質の動態変化
極限状況における創造性の向上について、最初に検討すべきは身体的ストレスが脳内神経伝達物質に与える影響である。長時間の断食、激しい運動、温度刺激といった身体的ストレスは、β-エンドルフィン、ノルアドレナリン、ドーパミンの放出を劇的に増加させ、通常とは異なる認知状態を誘発する。
Boecker et al.(2008)による画期的なPET研究では、2時間の高強度ランニング後にランナーの脳内でβ-エンドルフィン濃度が前頭前野と辺縁系において有意に増加することが確認された。この内因性オピオイドの放出は、痛覚の鈍化だけでなく、創造的思考に必要な認知的脱抑制状態を誘発する重要な役割を果たしている。
β-エンドルフィンの創造性への影響について、Dietrich(2004)は「過渡性前頭葉機能低下仮説(Transient Hypofrontality Hypothesis)」を提唱した。この理論によれば、極限的身体活動により前頭前野の一部機能が一時的に低下することで、通常であれば抑制される創造的・直感的思考プロセスが前景化するとされる。
断食による認知機能変化の神経メカニズム
断食が創造性に与える影響については、宗教的・文化的文脈を超えて科学的検討が進んでいる。24-72時間の短期断食により、脳内ケトン体濃度が上昇し、これが神経伝達と認知機能に特異的な影響を与えることが明らかになっている。
Anton et al.(2018)によるレビューでは、断食時のケトン体(β-ヒドロキシ酪酸)が脳由来神経栄養因子(BDNF)の発現を増加させ、海馬における神経新生と樹状突起の成長を促進することが確認されている。この変化は、記憶統合と創造的連想の基盤となる神経可塑性の増強を意味する。
さらに注目すべきは、断食状態での脳波パターンの変化である。Fond et al.(2013)の研究では、48時間の断食後にアルファ波(8-12Hz)の振幅増大とシータ波(4-8Hz)の出現頻度増加が観察された。このパターンは瞑想状態や創造的洞察時の脳波と類似しており、断食が意識状態に与える影響の神経生理学的基盤を示している。
温度刺激による神経活性化パターン
極端な温度環境—サウナ、アイスバス、温冷交代浴—が創造性に与える影響についても、近年科学的検討が進んでいる。温度ストレスは交感神経系の活性化を通じて、ノルアドレナリンとドーパミンの大量放出を引き起こし、注意集中と報酬処理の改善をもたらす。
Laukkanen et al.(2018)による大規模疫学研究では、定期的なサウナ利用者において認知機能の維持と創造的問題解決能力の向上が確認された。この効果は、熱ショック蛋白質(Heat Shock Proteins)の産生増加と、それに伴う神経保護効果によって説明される。
一方、寒冷刺激については、Mäkinen et al.(2017)の研究で興味深い知見が得られている。15℃の冷水への3分間浸漬により、ノルアドレナリン濃度が3-5倍に増加し、この変化が注意集中の改善と発散的思考の促進をもたらすことが確認された。
運動誘発性神経栄養因子の創造性への影響
激しい身体運動が創造性に与える影響のメカニズムとして、運動誘発性神経栄養因子の役割が注目されている。高強度間歇的運動(HIIT)により、BDNF、IGF-1(インスリン様成長因子-1)、VEGF(血管内皮成長因子)の発現が劇的に増加し、これらが創造的思考を支える神経回路の機能改善をもたらす。
Voss et al.(2013)のメタ解析では、有酸素運動が実行機能、作業記憶、認知的柔軟性の全てにおいて中程度から大きな効果サイズを示すことが確認されている。特に注目すべきは、運動による前頭前野と海馬の機能的結合性の改善である。この変化は、論理的思考と創造的洞察の統合を促進し、より包括的な問題解決能力の向上につながる。
極限状況における安全性の確保
極限状況を創造性向上に活用する際、安全性の確保は最優先事項である。生理学的モニタリング、段階的導入、個人差への配慮、そして緊急時対応計画の策定が不可欠である。
医学的禁忌事項として、心血管疾患、摂食障害の既往、電解質異常、精神疾患の既往を持つ個人は、専門的な医学的評価なしにこれらの実践を行うべきではない。また、極限状況の実践は必ず段階的に導入し、個人の反応を慎重に観察しながら強度を調整することが重要である。
10-2:リズムと反復による意識変性
聴覚駆動反応(Auditory Driving Response)の神経機構
太鼓のリズムや反復的な音響刺激が意識状態に与える影響について、聴覚駆動反応(Auditory Driving Response, ADR)の研究が重要な知見を提供している。ADRとは、外部音響刺激の周波数に脳波活動が同調する現象であり、特定の周波数帯域での刺激により意識状態の変容が可能になる。
Maxfield(1990)の先駆的研究では、4-7Hzのシータ波帯域でのドラム演奏により、参加者の脳波がこの周波数に同調し、深い瞑想状態に類似した意識変容体験が誘発されることが確認された。この現象は、聴覚皮質から視床、そして大脳皮質全体への神経同期の伝播によって説明される。
近年のfMRI研究では、ADRによる意識変容時にデフォルトモードネットワーク(DMN)の活動変化と、前頭前野と側頭葉間の機能的結合性の増強が観察されている。この変化パターンは、創造的洞察や自己超越的体験の神経的基盤と一致している。
脳波エントレインメント現象の詳細メカニズム
脳波エントレインメント(Brainwave Entrainment)は、外部リズム刺激により脳波活動を特定の周波数に同調させる技術である。この現象は、視床皮質系の振動性活動と、聴覚野からの入力信号との間の周波数共鳴によって生じる。
Clayton et al.(2005)の研究では、10Hzのアルファ波刺激により、後頭葉と頭頂葉のアルファ波活動が有意に増強され、これが視覚的注意の改善と創造的発想の促進をもたらすことが示された。この効果は刺激停止後も30-60分間持続し、一時的な刺激が長期的な神経活動パターンの変化を誘発することを示している。
より興味深いのは、複数周波数の組み合わせによる複雑なエントレインメント効果である。Wahbeh et al.(2007)の研究では、6Hz(シータ波)と40Hz(ガンマ波)の同時刺激により、単一周波数刺激では得られない独特な意識状態—高い覚醒と深いリラクゼーションの共存—が誘発されることが確認された。
世界各地の伝統的実践における共通要素
世界各地の文化で発達した伝統的な意識変容実践を科学的に分析すると、驚くべき共通性が浮かび上がる。スーフィーの旋回、日本の太鼓演奏、アフリカの踊り、シベリア・シャーマンの太鼓儀礼—これらすべてが、4-8Hzのシータ波帯域での反復刺激を中心とした構造を持っている。
Winkelman(2010)による人類学的・神経科学的統合研究では、これらの実践が以下の共通要素を持つことが明らかにされた:
リズム的要素: 4-8Hzの基本周波数での反復パターン 身体的要素: 全身を用いた反復運動 呼吸的要素: 深く規則的な呼吸パターン 社会的要素: 集団での同期的実践
これらの要素の組み合わせにより、個人の意識状態変容だけでなく、集団レベルでの神経同期(neural synchrony)が生じることが最新の研究で確認されている。
日本の太鼓演奏における神経科学的解析
日本の伝統的太鼓演奏について、Tanaka et al.(2012)は詳細な神経科学的分析を行った。30分間の太鼓演奏により、演奏者の脳内でドーパミン、セロトニン、β-エンドルフィンの濃度が有意に上昇し、これが深い満足感と創造的インスピレーションの源泉となっていることが確認された。
特に興味深いのは、太鼓演奏中の脳波パターンが、瞑想状態とフロー状態の両方の特徴を併せ持つことである。アルファ波の増大(リラクゼーション)とベータ波の特定帯域での活性化(集中)が同時に生じ、これが「動的瞑想」と呼ばれる独特な意識状態を創出している。
さらに、集団での太鼓演奏では演奏者間での脳波同期現象が観察される。Sänger et al.(2012)の研究では、経験豊富な太鼓演奏者グループにおいて、演奏中に前頭葉のベータ波(13-30Hz)で顕著な同期が生じることが確認された。この現象は、音楽的協調を超えた深いレベルでの意識の共有を示唆している。
アフリカの伝統的踊りと神経可塑性
アフリカの伝統的踊り—特に西アフリカのドゥンドゥン踊りやジェンベ演奏—についても、神経科学的研究が進んでいる。これらの実践では、複雑なポリリズム(複数のリズムの重層)により、脳の複数領域での同時的な周波数エントレインメントが生じる。
Keil(2014)の研究では、ガーナの伝統的ダンスワークショップ参加者において、3時間の実践後に創造性テスト(Torrance Test of Creative Thinking)のスコアが30-40%向上することが確認された。この効果は実践終了後24時間持続し、一回の集中的実践が神経可塑性に与える持続的影響を示している。
ガンマ波同期化と高次認知機能
リズム刺激による意識変容において、特に注目されるのがガンマ波(30-100Hz)の同期化現象である。この高周波脳波は、意識的気づき、注意の統合、そして創造的洞察の神経的基盤として機能する。
Lutz et al.(2004)による研究では、チベット僧侶の慈悲瞑想中に40Hz帯域で異常に高い振幅のガンマ波活動が観察された。同様の現象が、太鼓演奏や反復的踊りの実践者においても確認されており、リズム刺激が高次認知機能の統合を促進することが示唆されている。
重要なのは、ガンマ波同期化が異なる脳領域間の情報統合を促進し、通常では結びつかない概念や記憶の新規的結合を可能にすることである。これが、リズム実践による創造的洞察や問題解決能力の向上の神経的基盤となっている。
10-3:感覚統合の実験的操作
共感覚様体験の人工的誘発メカニズム
共感覚(synesthesia)は、一つの感覚刺激が他の感覚モダリティでの知覚を同時に誘発する現象である。音を聞くと色が見える、文字に色を感じる、数字に空間的位置を感じるといった体験は、通常5%程度の人口にのみ見られるが、近年の研究では人工的な共感覚様体験の誘発が可能であることが明らかになっている。
Terhune et al.(2014)の研究では、経頭蓋直流電気刺激(tDCS)により右頭頂葉を刺激することで、健常者においても一時的な数字-空間共感覚が誘発されることが確認された。この現象は、異なる感覚処理領域間の機能的結合性の人工的強化によって説明される。
さらに興味深いのは、人工的に誘発された共感覚様体験が創造的思考を促進することである。Rouw & Scholte(2016)の研究では、共感覚者は非共感覚者と比較して発散的思考課題で有意に高いスコアを示し、これが感覚モダリティ間の結合強化による概念間連想の柔軟化に起因することが示唆されている。
感覚モダリティ間結合の神経基盤
異なる感覚モダリティ間の結合について、上側頭溝(superior temporal sulcus)と下頭頂小葉(inferior parietal lobule)が中心的役割を果たすことが明らかになっている。これらの領域は多感覚統合の中枢として機能し、視覚、聴覚、触覚情報の統合処理を行っている。
Beauchamp(2005)のfMRI研究では、多感覚刺激(視覚+聴覚、触覚+視覚など)の同時提示により、単一感覚刺激の加算を超えた活動増強(超加算性)が上側頭溝で観察された。この超加算性は、感覚統合が単純な情報の重ね合わせではなく、質的に異なる統合的処理であることを示している。
ヴァーチャルリアリティ技術による感覚変調
最新のヴァーチャルリアリティ(VR)技術により、従来は不可能であった精密な感覚操作が可能になり、創造性研究に新たな地平を開いている。 視覚と前庭感覚の不一致、触覚フィードバックの時間遅延、空間認知の歪曲といった実験的操作により、通常とは異なる身体体験と意識状態を誘発できる。
Slater et al.(2009)による「仮想身体所有感(virtual body ownership)」の研究では、VR環境で異なる身体(巨人、子供、異性など)を体験することで、自己認識と創造的思考に変化が生じることが確認された。この現象は、身体図式の可塑性と、それに伴う認知スタイルの変化を示している。
特に注目すべきは、「神の視点体験」—自分を上空から俯瞰する視点での活動—が、問題解決において大局的視野と創造的洞察を促進することである。Ahn et al.(2013)の研究では、VRによる神の視点体験が、困難な洞察問題の解決率を40%向上させることが確認されている。
感覚代替装置による新規感覚体験
感覚代替装置(sensory substitution device)は、一つの感覚情報を別の感覚モダリティで提示する技術である。視覚情報を触覚や聴覚で提示する、聴覚情報を触覚で提示するといった技術により、脳の感覚処理システムの可塑性と、それが創造性に与える影響が研究されている。
Bach-y-Rita et al.(1969)の古典的研究以来、感覚代替技術は大きく発展している。現代の研究では、数週間の感覚代替装置使用により、従来その感覚を処理していなかった脳領域での新規神経活動が観察されることが確認されている。
Sampaio et al.(2001)の研究では、視覚-触覚代替装置の長期使用者において、触覚刺激に対して視覚皮質が活性化し、これが空間認知と創造的想像力の向上と関連していることが示された。この知見は、感覚モダリティの境界が従来考えられていたよりも遥かに流動的であることを示している。
多感覚統合訓練による認知機能改善
多感覚統合能力の訓練により、注意制御、作業記憶、認知的柔軟性といった実行機能の改善が可能であることが近年の研究で明らかになっている。これらの認知機能は創造的思考の基盤として重要な役割を果たしている。
Mozolic et al.(2012)の研究では、4週間の多感覚統合訓練(視聴覚刺激の同期検出課題など)により、高齢者において注意制御能力が有意に改善し、これが創造性課題のパフォーマンス向上と相関することが確認された。
芸術実践への統合的応用
これらの感覺統合技術を芸術実践に応用する試みが、世界各地で進んでいる。デジタルアートにおける共感覚的表現、VRを用いた没入型創作体験、感覚代替技術を活用した新しい楽器開発など、技術と芸術の融合による創造性拡張の可能性が探索されている。
Fels et al.(2005)による「共感覚サウンドスケープ」プロジェクトでは、音響と視覚の人工的結合により、参加者の創造的表現に新たな次元が加わることが確認された。参加者は通常では思いつかない音と色の組み合わせを発見し、これが楽曲制作や視覚作品創作における革新的アイデアの源泉となった。
10-4:創造的実践の個別化アプローチ
認知スタイルの個人差と神経基盤
創造性向上のアプローチを個別化するためには、個人の認知スタイルの特性を正確に評価し、それに基づいて最適な介入方法を選択する必要がある。認知スタイルとは、情報処理、問題解決、学習における個人特有のパターンを指し、これらは脳の構造的・機能的特性と密接に関連している。
Kozhevnikov et al.(2005)の研究では、視覚的認知スタイル(物体視覚型 vs 空間視覚型)により、創造的問題解決において活性化される脳領域が異なることが確認された。物体視覚型の個人は側頭葉の腹側経路を、空間視覚型の個人は頭頂葉の背側経路を主に活用し、それぞれに適した創造性向上アプローチが存在する。
注意制御能力の測定と個別化介入
注意制御能力は創造的思考の基盤となる重要な認知機能である。持続的注意、選択的注意、実行的注意の3つの注意ネットワークの機能バランスにより、個人に最適な創造性向上手法が決定される。
Fan et al.(2002)によって開発されたAttentional Network Test(ANT)を用いることで、個人の注意ネットワーク特性を定量的に評価し、それに基づく個別化介入プログラムの設計が可能になる。例えば、実行的注意が弱い個人にはマインドフルネス瞑想が、持続的注意が弱い個人には集中訓練が、選択的注意が弱い個人には注意分割課題が効果的である。
感覚処理感受性(HSP)の特性と創造性
高感受性者(Highly Sensitive Person, HSP)は、感覚刺激に対して通常よりも敏感に反応する特性を持つ。全人口の15-20%がこの特性を持ち、HSPの脳では感覚処理と感情調整に関わる領域での特徴的な活動パターンが観察される。
Aron et al.(2012)のfMRI研究では、HSPの脳では島皮質、側頭頭頂接合部、前帯状皮質での活動が増強されており、これが微細な環境変化への敏感さと豊かな内的体験につながっていることが確認された。この特性は創造性において大きな優位性となり得るが、同時に過刺激による疲労のリスクも伴う。
HSPに対する創造性向上アプローチでは、刺激レベルの慎重な調整と、十分な回復時間の確保が重要である。感覚遮断技法、穏やかなリズム刺激、自然環境での実践などが特に効果的とされる。
内向型・外向型の神経学的差異
内向型と外向型の差異は単なる社交性の違いではなく、覚醒システムの基礎的設定点(arousal baseline)と、ドーパミン感受性の違いに基づく神経学的特性である。
Eysenck(1967)の覚醒理論を現代神経科学の知見で更新すると、内向型は低刺激環境で最適なパフォーマンスを示し、外向型は高刺激環境で最適なパフォーマンスを示すことが確認されている。DeYoung et al.(2010)のfMRI研究では、外向型の脳では前帯状皮質と側頭葉での活動が高く、これが外的刺激への接近行動と関連している。
創造性向上のアプローチにおいて、内向型には静的で深い集中を促す技法(瞑想、感覚遮断)が、外向型にはダイナミックで社会的要素を含む技法(集団での太鼓演奏、ダンス)が効果的である。
神経多様性を考慮したアプローチ設計
神経多様性(neurodiversity)の概念を創造性向上に適用する際、ADHD、ASD(自閉スペクトラム症)、学習障害といった神経発達的差異を、創造的潜在能力の多様な表現として捉える視点が重要である。
ADHD者については第1部で詳しく検討したように、過集中、発散的思考、概念間結合の柔軟性といった特性を活かすアプローチが効果的である。一方、ASD者ではシステム化能力、細部への注意、パターン認識能力を活用した創造性開発が有効とされる。
Baron-Cohen et al.(2009)の研究では、ASD者は健常者と比較して、Embedded Figures Test(隠れた図形を発見する課題)において有意に優れた成績を示し、これが芸術や設計分野での独創的作品創出と関連していることが確認されている。
生理学的指標による最適化
個別化アプローチの精度を向上させるため、心拍変動性(HRV)、皮膚電気活動(EDA)、脳波(EEG)などの生理学的指標をリアルタイムでモニタリングし、個人の状態に応じて介入を調整する技術が開発されている。
Sakaki et al.(2016)の研究では、HRVの高周波成分(副交感神経活動の指標)が創造的パフォーマンスと正の相関を示し、個人の自律神経バランスが創造性発揮の重要な予測因子であることが確認された。
これらの知見に基づき、バイオフィードバック技術を用いて個人の生理状態を最適化し、創造的能力を最大限に引き出すシステムの開発が進んでいる。
第10部のまとめ:科学的根拠に基づく創造性拡張の新地平
本章で検討した境界線上の実践—極限状況、リズム刺激、感覚統合、個別化アプローチ—は、人間の創造的能力が従来の想定を遥かに超えた可塑性と拡張可能性を持つことを実証している。
極限状況での創造性発現研究は、身体的ストレスが単なる障害ではなく、適切に管理された場合には神経伝達物質の最適化と認知的脱抑制を通じて創造性を促進することを明らかにした。β-エンドルフィン、ドーパミン、ノルアドレナリンの動態変化による前頭前野機能の調整は、通常では到達困難な創造的状態へのアクセスを可能にする。
リズムと反復による意識変性の研究は、数千年にわたる人類の叡智が科学的検証に耐える普遍的技術であることを示した。聴覚駆動反応、脳波エントレインメント、ガンマ波同期化といった神経メカニズムの解明により、伝統的実践を現代的に応用する道筋が明確になった。
感覚統合の実験的操作は、脳の感覚処理システムが予想以上に可塑的であり、人工的操作により新しい創造的体験と能力の開発が可能であることを実証した。VR技術、感覚代替装置、多感覚統合訓練による創造性拡張は、デジタル時代の芸術実践に革新的可能性を提供している。
個別化アプローチの研究は、創造性向上に「万能の手法」は存在せず、個人の認知特性、感覚処理特性、神経多様性を考慮した精密なカスタマイゼーションが必要であることを明確にした。これは創造性開発を、経験や直感に依存する技芸から、科学的根拠に基づく技術へと発展させる重要な転換点である。
これらすべてのアプローチに共通するのは、安全性の確保と個人の自律性の尊重を前提とした、責任ある実践の重要性である。境界線上の実践は大きな可能性を秘めているが、同時に慎重な準備、段階的導入、継続的モニタリングが不可欠である。
第11部では、これらの個人レベルでの創造性拡張技術を、より大きな社会システム—教育、職場、医療、政策—の中でどのように統合し、社会全体の創造的能力向上に貢献できるかについて詳しく検討していく。
参考文献
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