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レカネマブvsドナネマブ:アミロイド除去で認知改善はしないのか?

第1部:認知症研究の現在地と根本的限界の構造分析

はじめに:認知症概念の本質的混乱の理解

現在の認知症研究が直面している根本的な問題とは何だろうか。この問いに答える前に、われわれは重要な概念的区別を明確にしなければならない。認知症(症候群)とアルツハイマー病(疾患)は、しばしば混同されているが、これらは本来異なる概念的位階に属している。

認知症とは、記憶、思考、判断、日常生活動作などの認知機能が複数の領域にわたって持続的に低下し、社会生活や職業活動に支障をきたす症候群である。

これに対してアルツハイマー病は、脳内におけるアミロイドベータ(Aβ)プラークとタウタンパク質の異常蓄積を特徴とする神経変性疾患である。

この区別が治療戦略を考える上で重要である理由は、症候群に対するアプローチは症状の緩和を中心とするが、疾患に対するアプローチは病態メカニズムの根本的修正を目指すという根本的相違にある。現在承認されている新薬レカネマブとドナネマブは、まさにこの後者のアプローチを具現化した初の治療薬である。

 

認知症の病理学的多様性:同一症候群の異質性

認知症全体の60-70%を占めるアルツハイマー病は、典型的にはアミロイドカスケード仮説に基づく病態進行を示す。この仮説によると、Aβペプチドの過剰産生または除去機能の低下により、Aβプラークが形成され、これが神経炎症、タウ病理の進行、神経細胞死を引き起こす。重要なのは、症状出現の15-20年前からAβ蓄積が始まるという時間的経過である。

一方、20-30%を占める血管性認知症は全く異なる病態を示す。高血圧、糖尿病、脂質異常症などの血管危険因子により脳血管が障害され、脳梗塞や慢性虚血により認知機能が低下する。この場合、病理学的変化は局所的で、症状の進行パターンも階段状に悪化することが多い。

レビー小体型認知症(5-10%)では、αシヌクレインの異常蓄積が主病態となり、認知機能変動、視覚性幻視、パーキンソン症状を特徴とする。前頭側頭型認知症(5%)は、前頭葉・側頭葉の萎縮により人格変化や言語障害が先行する。

これらの病理学的多様性が意味するところは深刻である。単一の治療法で認知症全体を治療することは理論上不可能であり、疾患特異的な治療戦略が必要である。しかし現実には、認知症診療において病理学的診断の確定は困難を極めている。

日本における認知症の疫学的展望:数字が語る危機

最新の疫学研究によると、日本の認知症患者数は2025年に471万人、2040年には584万人に達すると予測されている。これは2022年の443万人から約8年間で80万人の増加を意味する。65歳以上高齢者の12%(約462万人)が既に認知症を発症している現状である。

さらに深刻なのは、軽度認知障害(MCI:Mild Cognitive Impairment)患者の存在である。MCIは認知症の前駆状態であり、65歳以上の16%が該当する。MCIから認知症への年間移行率は約10-15%とされ、この集団への早期介入が極めて重要となる。

これらの数値は単なる統計ではない。2025年問題として知られる団塊世代の後期高齢者への移行により、認知症患者の急激な増加が予想される。厚生労働科学研究によると、認知症にかかわる社会的コストは2025年時点で19兆4000億円と試算されており、これは国の年間所得税収入に匹敵する規模である。

興味深いことに、過去の予測値と比較すると、今回の推計は大幅に下方修正されている。2012年の推計では2025年に675万人と予測されていたが、実際には471万人となった。この差異は、生活習慣の改善、医療の進歩、教育水準の向上などが認知症発症率の低下に寄与していることを示唆している。

抗アミロイド抗体治療の光と影:CLARITY AD試験とTRAILBLAZER-ALZ2試験の詳細分析

レカネマブ(CLARITY AD試験)の詳細解析

CLARITY AD試験は、早期アルツハイマー病患者1,795名(レカネマブ群898名、プラセボ群897名)を対象とした18ヶ月間の第III相試験である。主要評価項目であるCDR-SB(Clinical Dementia Rating-Sum of Boxes)において、レカネマブは統計学的に有意な認知機能低下の抑制効果を示した。

具体的には、プラセボ群と比較して27%の悪化抑制効果が認められ、これは約7.5ヶ月の症状進行遅延に相当する。アミロイドPETによる評価では、レカネマブ投与により脳内Aβプラーク量が68%減少した。

しかし、この有効性は深刻な安全性上の懸念と表裏一体である。ARIA(アミロイド関連画像異常)の発現率は、ARIA-H(脳微小出血)が17.3%(プラセボ群9.0%)、ARIA-E(脳浮腫)が12.6%(プラセボ群1.7%)であった。症候性ARIAの発現率はARIA-Eで2.8%、ARIA-Hで0.7%であり、これらは治療継続の重大な阻害要因となる。

ドナネマブ(TRAILBLAZER-ALZ2試験)の革新性と限界

TRAILBLAZER-ALZ2試験は1,736名を対象とした18ヶ月間の試験で、レカネマブとは異なる治療戦略を採用している。最も革新的な点は、アミロイド除去が既定レベルに達した時点で治療を終了する「治療完了基準」の導入である。

有効性面では、主要評価項目iADRS(Integrated Alzheimer’s Disease Rating Scale)において、全体で22.3%、低・中タウ蓄積群では35.1%の悪化抑制効果を示した。アミロイド除去効果は84%と、レカネマブを上回る結果であった。

しかし、安全性プロファイルはさらに憂慮すべきものであった。ARIA-Hの発現率は31.4%(プラセボ群6.1%)、ARIA-Eは24.0%(プラセボ群13.6%)と、レカネマブを大幅に上回った。特に重要なのは、3名の被験者が重篤なARIA関連で死亡したことである。

両薬剤の根本的課題:作用機序の違いと限界

レカネマブとドナネマブの作用機序の違いは、標的とするAβ種の相違にある。レカネマブは可溶性プロトフィブリルを主標的とし、形成初期のAβ凝集体に作用する。一方、ドナネマブはN末端第3残基がピログルタミル化されたAβ(N3pG Aβ)を標的とし、より成熟したアミロイドプラークに特異的に結合する。

この違いが両薬剤の効果と副作用プロファイルの差異を生み出している。ドナネマブの高いアミロイド除去効果は、成熟プラークに対する特異性の高さに起因するが、同時にARIA発現率の高さももたらしている。

興味深いことに、両薬剤ともアミロイド除去効果は確実に認められるものの、認知機能改善効果は限定的である。これは「アミロイド除去が必ずしも認知機能改善に直結しない」という、アミロイドカスケード仮説の根本的限界を示唆している可能性がある。

WHO予防ガイドラインが示す新たなパラダイム

12項目の修正可能危険因子とその科学的根拠

WHO「認知機能低下および認知症のリスク低減」ガイドラインは、2019年に発表された認知症予防の包括的指針である。このガイドラインの最も重要な知見は、12項目の修正可能危険因子への適切な介入により、認知症の40%が予防可能であるという点である。

これらの12項目は、生涯にわたる3つの時期に分類される:

若年期(45歳未満):教育期間の短さ(人口寄与率7%)

中年期(45-65歳):高血圧(2%)、肥満(0.8%)、難聴(8%)、頭部外傷(3%)、過度飲酒(1%)

高齢期(66歳以上):喫煙(5%)、うつ病(4%)、社会的孤立(4%)、運動不足(2%)、糖尿病(1%)、大気汚染(2%)

この分類で特筆すべきは、中年期の難聴が最大の単一危険因子(8%)である点である。聴覚機能の低下は単なる感覚障害ではなく、社会的孤立、うつ病、認知刺激の減少を通じて認知症リスクを増大させる。

Lancet Commission研究の革新的知見

2020年のLancet Commission研究は、WHO ガイドラインの科学的基盤をさらに強固にした。28名の世界的専門家による系統的レビューとメタ解析により、12の修正可能危険因子が全認知症症例の約40%に寄与することが確認された。

この研究の画期的な点は、認知症を「予防不可能な宿命」から「修正可能なリスク」として再定義したことである。従来の医学的アプローチが治療薬開発に偏重していたのに対し、この研究は公衆衛生学的アプローチの有効性を実証した。

重要なのは、これらの危険因子は相互に関連し合っていることである。例えば、高血圧は血管性認知症の直接的原因となるのみならず、Aβクリアランスの低下を通じてアルツハイマー病のリスクも増大させる。糖尿病は血管内皮機能障害、炎症、酸化ストレスを通じて多重的に脳機能に悪影響を与える。

生活習慣病予防と認知症対策の構造的関連性

生活習慣病と認知症の関係は、単なる相関関係を超えた因果関係として理解されつつある。高血圧による慢性的な脳血流低下は、Aβ産生の増加とクリアランスの低下を同時に引き起こす。糖尿病における慢性炎症とインスリン抵抗性は、タウタンパク質のリン酸化を促進し、神経原線維変化を加速させる。

脂質異常症は血液脳関門の機能低下を通じて、末梢の炎症性サイトカインの脳内流入を促進する。肥満は慢性炎症状態を創出し、アディポカインの分泌異常を通じて神経保護機能を損なう。

これらの知見は、認知症予防における統合的アプローチの重要性を示している。単一の危険因子への介入ではなく、生活習慣病の包括的管理こそが効果的な認知症予防戦略となる。

既存研究の構造的限界:なぜ画期的治療法が生まれないのか

診断の根本的困難:生前確定診断の不可能性

認知症研究の最大の構造的問題は、生前における確定診断の困難性である。アルツハイマー病の確定診断は現在でも剖検による病理学的確認が必要であり、生前診断は「probable Alzheimer’s disease」に留まる。

アミロイドPETやタウPET、脳脊髄液バイオマーカーの進歩により診断精度は向上しているが、これらの検査は高額で限られた施設でのみ実施可能である。血液バイオマーカーの研究も進んでいるが、まだ臨床実用化には至っていない。

この診断の曖昧さが臨床試験の結果解釈を困難にしている。CLARITY AD試験やTRAILBLAZER-ALZ2試験でも、対象患者の一部はアルツハイマー病以外の認知症であった可能性があり、これが有効性評価に影響を与えている可能性がある。

評価スケールの限界:臨床的意義の乖離

現在の認知症臨床試験で使用される評価スケールは、統計学的有意差と臨床的意義の間に大きな乖離が存在する。CDR-SBやADAS-cogなどの認知機能評価尺度は、微細な変化を捉える感度に優れるが、患者や家族が実感できる改善を必ずしも反映しない。

レカネマブの27%の悪化抑制効果は統計学的には有意であったが、この効果を患者・家族が日常生活で実感することは困難とされている。これは評価期間の短さ(18ヶ月)と評価スケール自体の限界に起因している。

治療対象の狭さ:軽度症例への限定

現在承認されている抗アミロイド抗体治療は、アルツハイマー病による軽度認知障害(MCI)および軽度認知症に適応が限定されている。これは治療効果とARIAリスクのバランスを考慮した結果であるが、認知症患者全体の一部のみが治療対象となる。

さらに、MMSE 22-30点(レカネマブ)、20-28点(ドナネマブ)という適応基準により、中等度以上の認知症患者は除外される。脳MRIでの除外基準も厳格であり、実際の認知症外来では適応患者は限定的である。

薬剤耐性とバイオマーカーの変動

抗アミロイド抗体治療では、投与継続に伴う抗薬物抗体(ADA)の産生が問題となる。ADAはドナネマブで特に高頻度に認められ、薬剤の有効性を減弱させる。また、Aβクリアランス後のリバウンド現象や、タウ病理の進行に対する効果の限界も明らかになっている。

結論:認知症研究の現在地とパラダイムシフトの必要性

現在の認知症研究は重要な転換点に立っている。レカネマブとドナネマブという初の疾患修飾薬の登場により、Aβ標的治療の可能性と限界が同時に明らかになった。これらの薬剤は確実にアミロイド除去効果を示すものの、認知機能改善効果は限定的であり、深刻な副作用リスクを伴う。

一方、WHO予防ガイドラインとLancet Commission研究は、予防的アプローチの巨大な可能性を示している。12の修正可能危険因子への包括的介入により40%の認知症が予防可能という知見は、治療中心から予防中心へのパラダイムシフトの必要性を強く示唆している。

今後の認知症研究には、以下の方向性が求められる:

病態多様性に対応した個別化治療戦略:アルツハイマー病、血管性認知症、レビー小体型認知症など、病態に応じた特異的治療法の開発

予防重視の統合的アプローチ:生活習慣病管理、社会参加促進、認知刺激を組み合わせた包括的予防プログラム

診断精度の向上:血液バイオマーカー、AI診断支援システムの実用化による早期確定診断

評価方法の革新:患者・家族が実感できる臨床的意義を反映する新たな評価スケール

社会実装の促進:予防プログラムの社会保障制度への組み込み、地域包括ケアシステムとの連携

認知症研究の現在地は、従来の「治療」から「予防」へ、「薬物療法」から「生活習慣介入」へという根本的転換を求めている。この転換こそが、超高齢社会における認知症問題解決の鍵となるであろう。

 

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