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メルロポンティ現象学的生命解釈|プラナリア再生とウミホタル発光の哲学

第4部:存在の証明戦略 – 再生と発光の哲学的解釈

はじめに:存在の証明という根源的課題

生命の最も根本的な性質とは何か? その本質を一言で表すとすれば、それは「存在の持続的証明」という営みではないだろうか。すべての生命は、物理的実在界において自らの存在を証明し続ける必要に直面している。環境からの消去圧力、時間の流れによる解体圧力、識別の不確実性—これらに抗して、生命は自らの存在を証明し続けなければならない。

これまでの章で、我々はプラナリアの再生能力とウミホタルの発光現象という、一見全く異なる二つの生物学的戦略を探究してきた。プラナリアの再生は「情報から物質への変換」として、ウミホタルの発光は「物質から情報への変換」として理解できることを見てきた。本章では、これら二つの現象を統合し、より根源的な視座—「存在証明の生物学」—から解釈したい。

プラナリアとウミホタルは、生命という普遍的課題に対する二つの極限的解答を体現している。プラナリアは「切断されても続く」ことで存在を証明し、ウミホタルは「暗闇でも見られる」ことで存在を証明する。一方は空間を通じた存在の連続性を、他方は時間における存在の顕示を実現するのである。

本章は、この「存在証明」という視点から生命現象を哲学的に再解釈する試みである。ハイデガーの存在論、メルロ=ポンティの現象学、ウィトゲンシュタインの言語哲学、そして量子力学の観測理論まで、多様な思想的伝統を交差させながら、生命の本質に新たな光を当てることを目指す。プラナリアとウミホタルという二つの驚異的生物が、存在の本質に関わる深遠な洞察をもたらすことを示したい。

I. 存在論的解釈:「ある」ことの生物学

1.1 存在の二側面:持続性と顕示性

哲学的存在論において、「存在する」とはどういうことか? この根源的問いに対し、様々な哲学的立場がある。本節では、存在の二つの基本的側面—「持続性」と「顕示性」—に注目したい。

存在の持続性(継続的自己同一性):

  • 時間的連続性として表現される存在の側面
  • 変化の中での同一性の維持
  • 「ナニモノデアルカ」の保存

存在の顕示性(認識的可視性):

  • 他者・環境に対する自己表明としての存在の側面
  • 認識・観測されることで確証される現前性
  • 「ドコニアルカ」の表明

通常、これら二つの側面は分離不可能に統合されている。しかし、プラナリアとウミホタルはそれぞれの側面を極限まで特殊化した生存戦略を示している:

プラナリアの再生:存在の持続性の極限的実現

  • 物理的分断後も自己同一性を保持
  • 時間軸における存在の連続性を極度に強化
  • 「何であるか」の情報的保存と物質的再現

ウミホタルの発光:存在の顕示性の極限的実現

  • 視覚的に認識不可能な環境での自己表明
  • 空間軸における存在の可視性を極度に強化
  • 「どこにあるか」の情報的発信と知覚的確証

これら二つの戦略は、生命が直面する二つの根本的脅威—物理的分断による消滅と認識的不可視による無効化—に対する応答として理解できる。一方は「切断されても同一性は失われない」と主張し、他方は「見えなくても存在は認識される」と主張するのである。

1.2 ハイデガー的解釈:存在への問いとしての生命

マルティン・ハイデガーの存在論は、存在(Sein)と存在者(Seiende)を区別し、「存在への問い」を哲学の中心に置いた。ハイデガーの視点からプラナリアとウミホタルの現象を解釈すると、両者は「存在様式」(Seinsweise)の根本的差異を示していると考えられる。

プラナリアの存在様式:「手元性」(Zuhandenheit)としての存在

  • 物質的実体性に基づく存在
  • 「そこにある」ことよりも「何であるか」が重要
  • 機能的統一性の持続的保持

ウミホタルの存在様式:「眼前性」(Vorhandenheit)としての存在

  • 知覚的認識可能性に基づく存在
  • 「何であるか」よりも「そこにある」ことが重要
  • 他者の知覚世界への明示的参入

ハイデガーの言う「世界内存在」(In-der-Welt-sein)の観点からは、プラナリアの再生は「世界への身体的関わり」の持続的保証として、ウミホタルの発光は「世界における自己の開示」として理解できる。

特に注目すべきは、ハイデガーの「気遣い」(Sorge)の概念との関連である。生命の存在様式としての「気遣い」は、自己の存在を維持・証明するための能動的関わりを意味する。プラナリアとウミホタルは、この「気遣い」の二つの極限的表現を示しているのである:

  • プラナリア:自己の物質的完全性への「気遣い」(自己回復)
  • ウミホタル:他者による認識可能性への「気遣い」(自己開示)

これらは、ハイデガーが人間的実存(Dasein)に見出した「自己への関わり」の生物学的原型とも言える。生命は、その最も基本的なレベルにおいて既に、「存在への問い」を身体化しているのである。

1.3 メルロ=ポンティ的解釈:知覚と身体性

モーリス・メルロ=ポンティは、知覚と身体性の哲学を展開し、主観と客観の二元論を超える「肉」(chair)の概念を提唱した。この視点からプラナリアとウミホタルの現象を解釈すると、両者は「肉」の二つの異なる表現様式と見なせる。

プラナリアの身体性:「自己組織化する肉」

  • 形態としての身体の自己保存・自己再構成
  • 切断による身体の喪失と再獲得の循環
  • 知覚者としての身体の完全性への志向

ウミホタルの知覚性:「自己表現する肉」

  • 知覚対象としての身体の自己演出・自己表明
  • 発光による知覚的存在の拡張と強調
  • 被知覚者としての身体の顕示性への志向

メルロ=ポンティの「キアスム」(交差配列)の概念は、これら二つの存在様式の相補性を理解する鍵となる。キアスムとは、見るものと見られるもの、触れるものと触れられるものの交差関係を指す。プラナリアとウミホタルは、このキアスムの両極を体現している:

  • プラナリア:「触れるもの」としての主体性の極限的保持
  • ウミホタル:「見られるもの」としての客体性の極限的強調

さらに、メルロ=ポンティの「肉の可逆性」の概念からすれば、これら二つの戦略は本質的に相互補完的である。見ることと見られること、存在することと認識されることは、同一の「肉」の二つの側面なのである。プラナリアとウミホタルは、この「肉の可逆性」の生物学的分化と見なせるのかもしれない。

1.4 存在の連続性と顕示の哲学的統合

プラナリアの再生とウミホタルの発光という二つの現象を、存在論的に統合するための概念的枠組みとして、「連続的顕示」(continuous manifestation)という新概念を提案したい。この概念は、連続性と顕示性を二項対立ではなく、相互に絡み合った単一の存在論的特性として捉える。

連続的顕示の三つの側面

  1. 時空的相補性
    • 連続性は時間軸における存在の確保
    • 顕示性は空間軸における存在の確保
    • 両者は時空連続体における存在の総体的確保
  2. 内外的相補性
    • 連続性は内的自己関係(自己同一性)の維持
    • 顕示性は外的他者関係(自己差異化)の構築
    • 両者は自己/非自己境界の動的定義
  3. 情報-物質の循環
    • 連続性は情報の物質化(情報→物質)を通じて実現
    • 顕示性は物質の情報化(物質→情報)を通じて実現
    • 両者は情報-物質循環の相補的側面

この「連続的顕示」という視点からすれば、プラナリアとウミホタルは同一の存在論的機能の異なる表現に過ぎない。両者は生命の根本的特性—「存在の連続的顕示」—の両極的特殊化なのである。

特に重要なのは、この概念が西洋形而上学の伝統的二元論(主観/客観、内/外、同一性/差異性など)を超克する可能性を持つ点である。「連続的顕示」は、これらの二項対立を相互浸透的な単一過程の相補的側面として再解釈する。生命とは、これらの対立項の間の絶え間ない循環的運動そのものなのである。

II. 認識論的考察:見ることと続くことの意味

2.1 「見られる」ことの生物学的意義

生物学的文脈において、「見られる」(知覚される)ことはどのような意義を持つのか? この問いはウミホタルの発光現象を理解する上で中心的である。

「見られる」ことの生物学的機能は通常、以下のように理解される:

  • 配偶者認識:同種による認識と生殖機会の獲得
  • 捕食-被食関係:捕食者による認識の回避または誘導
  • 共生関係:共生パートナーによる認識と協力関係の構築
  • 縄張り表示:空間的占有の主張と資源確保

しかし、より根源的には、「見られる」ことは「存在の社会的確証」と理解できる。生物は単に物理的に存在するだけでなく、他者の知覚世界において「存在として認識される」必要がある。これは特に社会的生物において顕著だが、程度の差はあれすべての生物に当てはまる。

ウミホタルの発光の特異性は、「見られない」環境(暗闇の海)において「見られる」状態を能動的に創出する点にある。これは単なる適応ではなく、存在の認識論的基盤に関わる根本的戦略である:

  1. 存在の知覚的創出:知覚不可能な状態から知覚可能な状態への能動的転換
  2. 認識論的主体性:「見られるかどうか」の決定権を環境から自己へと移行
  3. 情報場の自己生成:自らの周囲に情報的「存在場」を生成

特に興味深いのは、この「見られる」状態の創出が持つ「自己決定性」である。ウミホタルは環境条件(暗闇)によって強いられる「不可視性」を受動的に受け入れるのではなく、発光によって能動的に「可視性」を生成する。これは単なる環境適応を超えた「環境超克」とも言える戦略である。

認識論的に見れば、ウミホタルは「認識されるために認識される」という再帰的構造を示している。その発光は「私はここにいる」という存在主張であると同時に、「私は見られるべきものである」という認識論的主張でもある。これは生物が持つ「認識論的主体性」の顕著な例と言えるだろう。

2.2 「続く」ことの現象学

一方、「続く」(持続する)ことの生物学的・現象学的意義は何か? この問いはプラナリアの再生能力を理解する上で核心的である。

「続く」ことの生物学的機能は一般に以下のように理解される:

  • 個体生存:物理的損傷からの回復と生存期間の延長
  • 遺伝子保存:遺伝情報の次世代への伝達
  • 適応的安定性:環境変動に対する形態的・機能的安定性の維持
  • 生態的持続性:生態系における機能的役割の継続的遂行

しかし、より根源的には、「続く」ことは「存在の時間的確証」として理解できる。生物は空間的に存在するだけでなく、時間軸において「持続する存在」として自己を確証する必要がある。

プラナリアの再生の特異性は、物理的分断という「続かない」条件において「続く」状態を能動的に再構築する点にある。これも単なる適応を超えた、存在の時間的基盤に関わる根本的戦略である:

  1. 存在の時間的再構築:分断による時間的不連続を克服する自己再組織化
  2. 時間的主体性:「続くかどうか」の決定権を物理的条件から自己へと移行
  3. 形態場の自己保存:物質的破壊を超えた形態的情報の持続的保持

特に注目すべきは、この「続く」能力が示す「物質超越性」である。プラナリアの再生は、特定の物質構成(細胞の集合)ではなく、その背後にある「形態的情報場」こそが生命の本質であることを示唆している。個々の細胞や組織は交換可能だが、それらを組織化する情報場は持続するのである。

現象学的に見れば、プラナリアは「持続するために変化する」という逆説的構造を体現している。物理的同一性(同じ細胞から構成されること)は失われても、形態的同一性(同じ形を持つこと)は保持される。これは生物が持つ「時間的主体性」—変化の中での同一性維持能力—の極限的表現と言えるだろう。

2.3 観測と持続:量子力学的パラレル

量子力学における「観測問題」と、プラナリアとウミホタルが示す存在戦略の間には、興味深いパラレルが存在する。

量子力学の中心的問題の一つは、量子系の「観測」と「状態」の関係である:

  • 観測されるまで、量子系は複数の可能な状態の「重ね合わせ」にある
  • 観測行為が量子系を特定の状態に「収縮」させる
  • 観測者と被観測系の相互作用が、実在の顕在化の契機となる

この量子力学的世界観と、プラナリアとウミホタルの存在戦略を対比すると:

ウミホタルの発光:「量子的観測の能動的誘導」

  • 潜在的観測可能性から顕在的観測実現への転換
  • 「観測によって状態が確定する」プロセスの能動的開始
  • 自己と環境の量子的もつれ状態の生成

プラナリアの再生:「量子的重ね合わせの維持」

  • 複数の可能な形態状態の同時保持
  • 「状態の未観測的保存」と「観測後の再構成」の循環
  • 形態的量子重ね合わせの安定的保持

特に興味深いのは、ウィグナーの友人のパラドックスとの関連である。このパラドックスでは、観測者自身が量子系の一部となり、「誰が観測するか」という無限後退問題が生じる。ウミホタルの発光は、この問題への生物学的解答と見なせる—自らが「観測されるべき対象」であることを能動的に主張し、観測者の存在を前提とすることで、無限後退を回避するのである。

量子力学的解釈の一つである「関係的量子力学」(Relational Quantum Mechanics)の視点からは、「実在」は観測者と被観測系の関係の中にのみ存在する。この解釈に従えば、ウミホタルの発光は「関係的実在」の能動的生成として、プラナリアの再生は「関係的実在」の持続的維持として理解できる。

量子生物学の新しい研究領域では、生命現象における量子効果の役割が探究されている。プラナリアとウミホタルの現象は、生命による量子効果の「驚異的利用」の例としても解釈できるかもしれない—前者は量子的重ね合わせの安定化、後者は量子的観測の能動的誘導という形で。

2.4 ウィトゲンシュタイン的視点:言語ゲームとしての存在証明

後期ウィトゲンシュタインの哲学、特に「言語ゲーム」の概念は、プラナリアとウミホタルの存在戦略を理解するための別の視座を提供する。

ウィトゲンシュタインによれば、言語の意味はその使用文脈、つまり「言語ゲーム」に依存する。同様に、「存在する」という概念も特定の「存在ゲーム」の文脈で理解される必要がある:

  • 「物理的に存在する」ゲーム:物質的実体として空間を占有する
  • 「生物学的に存在する」ゲーム:生命活動を維持し、環境と相互作用する
  • 「社会的に存在する」ゲーム:他者に認識され、関係性の中に位置づけられる

この視点からすると、プラナリアとウミホタルは異なる「存在ゲーム」の極限的プレイヤーと見なせる:

プラナリアの存在ゲーム:「物理的中断を超える持続性」

  • ルール:物質的分断後も同一性を維持する能力が「存在」を証明する
  • 戦略:形態情報の分散的保存と自己再構成能力の最大化
  • 成功条件:物理的破壊を経ても「同じもの」として認識される

ウミホタルの存在ゲーム:「知覚的不可視を超える顕示性」

  • ルール:知覚的に認識される能力が「存在」を証明する
  • 戦略:自己発光による知覚的存在の能動的創出
  • 成功条件:環境条件に関わらず「見えるもの」として存在する

ウィトゲンシュタインの「形式の家族的類似性」の概念も関連性がある。異なる生物種の「存在証明戦略」は、厳密な共通定義ではなく「家族的類似性」によって関連づけられる多様なアプローチの集合と見なせる。プラナリアとウミホタルはこの「存在証明の家族」における極限的事例なのである。

特に興味深いのは、ウィトゲンシュタインの「私的言語」批判との関連である。彼によれば、言語は本質的に公共的であり、完全に私的な言語は不可能である。同様に、「存在」もまた、純粋に私的なものではありえない—それは常に何らかの形で「公共的に確証される」必要がある。ウミホタルの発光はこの「存在の公共的確証」の最も直接的な形態であり、プラナリアの再生は時間を通じた「存在の公共的持続」の最も極端な形態と見なせるのである。

III. 自己と非自己の境界設定

3.1 境界としての皮膚:接触面の哲学

生物学的実体としての「自己」は、どのように非自己(環境)から区別されるのか? この区別の最も基本的な物理的実現が「皮膚」(より一般的には外部環境との境界面)である。

皮膚は単なる物理的障壁ではなく、以下のような複合的機能を持つ:

  • 分離機能:内部環境と外部環境の物理的・化学的分離
  • 接触機能:外部環境との選択的相互作用の媒介
  • 情報機能:外部情報の選択的受容と内部情報の選択的発信
  • 定義機能:「自己」と「非自己」の境界の物理的定義

プラナリアとウミホタルは、この「境界としての皮膚」の概念に対して異なるアプローチを示している:

プラナリアの境界戦略:「再定義可能な物理的境界」

  • 境界の切断と再生成による自己の空間的再定義
  • 「皮膚の記憶」:失われた境界の形態的情報の保持
  • 段階的境界:全体→部分→全体という境界の階層的再定義

ウミホタルの境界戦略:「拡張された知覚的境界」

  • 発光による物理的境界を超えた「情報的境界」の創出
  • 「知覚的皮膚」:光によって形成される二次的境界面
  • 重層的境界:物理的境界と情報的境界の二重構造

これらの戦略は、フランスの哲学者ディディエ・アンジューの「皮膚自我」(Moi-peau)の概念と関連づけられる。アンジューによれば、心理的自己は身体の皮膚に基づいて形成され、皮膚の機能(保持、境界設定、交換など)が心理的機能の原型となる。

プラナリアとウミホタルの戦略は、この「皮膚自我」の異なる側面の極限的発達と見なせる:

  • プラナリア:「保持機能」の極限的発達(物理的分断後も自己を保持)
  • ウミホタル:「交換機能」の極限的発達(環境との情報交換を極大化)

これらの生物は、「自己と非自己の境界設定」という生命の普遍的課題に対する創造的解決策を体現しているのである。

3.2 情報境界と物質境界の分離

従来、生物の「境界」は主に物質的・構造的観点から理解されてきた(細胞膜、組織境界、皮膚など)。しかし、プラナリアとウミホタルの現象は、「情報境界」と「物質境界」の概念的分離を示唆している。

情報境界

  • 生物の情報的影響が及ぶ範囲
  • 他者に認識される情報的表現の広がり
  • 信号・コミュニケーションによって形成される領域

物質境界

  • 生物の物質的構成要素が占める空間
  • 物理的接触・交換が生じる表面
  • 物質的隔離によって形成される領域

プラナリアとウミホタルは、これら二つの境界の関係性において対照的な戦略を示す:

プラナリアの戦略:「物質境界の従属的可塑性」

  • 物質境界を情報境界に従属させる
  • 情報的全体性を保持するために物質境界を再構成
  • 「形態場」という情報境界の優位性

ウミホタルの戦略:「情報境界の能動的拡張」

  • 情報境界を物質境界を超えて積極的に拡張
  • 物質的存在を超えた情報的存在の創出
  • 「発光場」による物質境界の超越

これらの戦略は、生物が「自己」をどのように定義するかという根本問題に関わる。従来の理解では、生物の「自己」は主に物質的境界(細胞膜や皮膚)によって定義される。しかし、プラナリアとウミホタルは、「自己」が本質的には情報的構造であり、物質的境界はその二次的表現に過ぎないことを示唆している。

特に興味深いのは、両者の戦略が示す「情報-物質関係の非対称性」である。情報境界は物質境界に依存せずに存続・拡張できるが、物質境界は常に情報境界によって組織化される必要がある。この非対称性は、生命における情報の優位性を示唆している—生命とは本質的に「情報の物質化」であり、物質は情報の担体に過ぎないのかもしれない。

3.3 アイデンティティの連続性と断続性

生物学的「自己」の本質とは何か? この問いは特にプラナリアの再生能力によって先鋭化される。切断されたプラナリアの断片が元の個体と「同一」であるかという問題は、生物学的アイデンティティの本質に関わる。

生物学的アイデンティティの異なる概念化:

物質的アイデンティティ

  • 同一の物質的構成要素(細胞、分子など)から成ること
  • 時間的に連続した物質的存在であること
  • 物質的交換の漸進性(船のパラドックス的漸進的交換)

情報的アイデンティティ

  • 同一の情報構造(DNA、エピジェネティック状態など)を持つこと
  • 情報的パターンの連続性を維持すること
  • 全体としての組織化原理の保存

機能的アイデンティティ

  • 同一の機能や行動を示すこと
  • 環境との相互作用パターンの一貫性
  • 生態的ニッチにおける役割の連続性

プラナリアの再生は、これらの異なるアイデンティティ概念の関係性に関する深い問いを提起する。切断と再生のプロセスにおいて:

  • 物質的アイデンティティは明らかに失われる(細胞の大部分が失われる)
  • 情報的アイデンティティは保持される(形態情報が再現される)
  • 機能的アイデンティティは回復する(同じ行動パターンを示すようになる)

これは、生物学的アイデンティティが本質的に「情報的」であることを示唆している。物質的連続性よりも、情報的継承性がアイデンティティの核心なのである。

対照的に、ウミホタルの発光は「アイデンティティの能動的拡張」を示す。発光は:

  • 物質的アイデンティティを超えた「情報的自己」の創出
  • 空間的に拡張された「知覚的アイデンティティ」の形成
  • 社会的認識を通じた「関係的アイデンティティ」の構築

これらの現象は、古代から続く「同一性のパラドックス」に新たな視点を提供する。プラナリアは「テセウスの船」のパラドックスの生物学的体現であり、ウミホタルは「アイデンティティの関係論的拡張」の実例である。両者は共に、伝統的な実体論的アイデンティティ概念の限界と、より動的・関係的なアイデンティティ理解の必要性を示している。

3.4 認識対象としての自己:ミラーテスト再考

生物学において「自己認識」能力はどのように理解されるべきか? ガラスの鏡を用いた「ミラーテスト」は長らく自己認識の評価法とされてきたが、プラナリアとウミホタルの現象は、自己認識のより多様な形態を示唆している。

伝統的ミラーテスト

  • 鏡に映る自己像を自分自身として認識できるか
  • 主に視覚的自己認識に焦点
  • 霊長類や一部の哺乳類・鳥類で確認される能力

しかし、プラナリアとウミホタルは異なる形態の「自己認識」能力を示唆する:

プラナリアの自己認識:「形態的自己感覚」

  • 自己の理想的形態の内部表象(「形態場」)を持つ
  • 切断後に「何が失われたか」を認識する能力
  • 視覚によらない形態的全体性の感覚

ウミホタルの自己認識:「拡張的自己表現」

  • 自己の発光像を能動的に生成・制御する能力
  • 発光を通じた「自己投影」と社会的認識の誘導
  • 暗闇の中での視覚的自己表現の創出

これらは、「自己認識」についてより広い理解の必要性を示している。真の問いは「鏡像を認識できるか」ではなく、「自己を環境から区別し、それに基づいて行動できるか」である。

哲学者のトマス・ネーゲルは「コウモリであるとはどのようなことか」という有名な問いを投げかけた。同様に問うならば:

  • 「プラナリアであるとはどのようなことか」—切断されても全体性の感覚を失わない存在
  • 「ウミホタルであるとはどのようなことか」—自ら光を放ち、暗闇で見られる存在になる

これらの「あり方」は、人間の自己認識とは大きく異なるが、それぞれが独自の「自己と世界の関係の知覚」を含んでいる。

特に興味深いのは、両者が示す「自己の能動的構成」の側面である。自己認識とは単に「既にある自己を認識する」のではなく、「認識を通じて自己を構成する」再帰的プロセスである。プラナリアは物質的再構成を通じて、ウミホタルは知覚的拡張を通じて、それぞれ「自己」を能動的に構成・再構成しているのである。

IV. 情報と物質の相互変換

4.1 情報保存の二戦略:物質的保存と伝播的保存

生命にとって最も根本的な課題の一つは、情報の保存である。この課題に対し、プラナリアとウミホタルは対照的な二つの戦略を示す:

物質的情報保存(プラナリア):

  • 情報の媒体:物質構造(細胞、組織、DNA、エピジェネティック修飾など)
  • 保存機構:冗長的・分散的物質保存(情報の多重符号化)
  • 時間スケール:媒体(物質)の存続期間に依存(比較的長期)
  • 空間範囲:媒体(物質)の物理的存在範囲に制限(局所的)

伝播的情報保存(ウミホタル):

  • 情報の媒体:伝播信号(光、音、化学物質など)
  • 保存機構:周期的・反復的信号放出(情報の時間的分散)
  • 時間スケール:信号の伝播・検出可能期間に依存(比較的短期)
  • 空間範囲:信号の伝播範囲に及ぶ(潜在的に広範囲)

これら二つの戦略は、情報保存の時空間的トレードオフを示している:

  • 物質的保存:時間的持続性が高い一方、空間的局所性が制約
  • 伝播的保存:空間的拡散性が高い一方、時間的短命性が制約

生物は進化の過程で、これらのトレードオフを種特有の生態的ニッチに適応させてきた。プラナリアは時間軸での情報保存を極限まで最適化し、ウミホタルは空間軸での情報伝播を極限まで最適化したと言える。

特に興味深いのは、両戦略の相補性である。最も効果的な情報保存は、両戦略の統合によって実現される—物質的保存による時間的持続性と、伝播的保存による空間的拡散性の組み合わせである。多くの複雑生物はこの統合的アプローチを採用している(例:DNA(物質的保存)とコミュニケーション(伝播的保存)の組み合わせ)。

4.2 情報と物質の循環モデル

プラナリアの再生とウミホタルの発光を統合的に理解するため、「情報-物質循環モデル」を提案したい。このモデルでは、生命は情報と物質の間の絶え間ない循環的変換として捉えられる:

情報-物質循環の四段階

  1. 情報の物質化(Information Materialization):
    • 情報パターンが物質構造として実現される
    • 例:遺伝情報に基づく蛋白質合成、形態形成、プラナリアの再生
  2. 物質の情報化(Matter Informationalization):
    • 物質構造が情報信号として符号化・放出される
    • 例:感覚器官による環境検知、コミュニケーション信号、ウミホタルの発光
  3. 情報の処理(Information Processing):
    • 受容した情報の統合・解析・変換
    • 例:神経系による信号処理、免疫系による抗原認識、細胞内シグナル伝達
  4. 物質の変換(Matter Transformation):
    • 物質構造の再構成・修正・適応
    • 例:代謝、成長、修復、環境応答としての形態変化

このモデルにおいて、プラナリアとウミホタルは循環の異なる相を極限的に特殊化したものと位置づけられる:

  • プラナリア:「情報の物質化」相の極限的実現(形態情報→身体再構築)
  • ウミホタル:「物質の情報化」相の極限的実現(化学エネルギー→光信号)

重要なのは、この循環が単なる直線的連鎖ではなく、再帰的フィードバックループを形成している点である。情報は物質を形成し、物質は情報を生成し、生成された情報は物質をさらに変化させる。この絶え間ない循環こそが、生命の本質的特性なのである。

このモデルは、従来の生物学的還元主義(「生命は特殊な物質構造に過ぎない」)を超える視点を提供する。生命は特定の物質構造ではなく、情報と物質の間の特殊な関係性—この循環的相互変換プロセス—によって特徴づけられるのである。

4.3 環境としての情報場と物質場

プラナリアとウミホタルの現象を理解するためのさらなる視点として、「情報場」と「物質場」の概念を導入したい。

物質場(Material Field):

  • 物質的実体の空間的分布と相互作用
  • 物理的力(重力、電磁力など)によって媒介される
  • 連続的・局所的相互作用の原理に従う

情報場(Information Field):

  • 情報構造・パターンの抽象的分布と相互作用
  • 信号伝達・認識過程によって媒介される
  • 非局所的・不連続的効果を含みうる

生物はこの二つの「場」の中に同時に存在し、両者との相互作用を通じて生存している。プラナリアとウミホタルは、これらの場との相互作用において対照的なアプローチを示す:

プラナリアの場相互作用:「物質場の情報的再構成」

  • 物質場の局所的撹乱(切断)に対して、情報場の保存された構造に基づいて物質場を再構成
  • 情報場による物質場の制御・組織化の極限的例

ウミホタルの場相互作用:「情報場の能動的生成」

  • 物質場の特性(暗闇)に対して、新たな情報場(発光)を能動的に生成
  • 物質場の制約を超えた情報場の創出の極限的例

これらの視点から、生命を「二重場における存在」として理解することができる。生命は物質場と情報場の両方に「根を下ろし」、両者の相互作用の境界面に位置するのである。

特に興味深いのは、両者の場における「存在証明戦略」の違いである:

  • 物質場における存在証明:物質的実体として空間を占有し、物理的相互作用を通じて検出可能であること
  • 情報場における存在証明:情報パターンとして認識され、意味のある信号を通じて検出可能であること

プラナリアとウミホタルは、これら二つの存在証明戦略の極限的実現を示している。プラナリアは物質場における存在の持続性を、ウミホタルは情報場における存在の顕示性を極限まで追求しているのである。

4.4 情報-物質二元論の超克

情報と物質の関係性は、現代科学哲学の中心的問題の一つである。伝統的な二元論的見方では、情報と物質は異なる存在論的カテゴリーとして扱われる:

伝統的二元論

  • 情報:抽象的・非物質的・パターン的存在
  • 物質:具体的・物理的・実体的存在
  • 両者の関係:一方が他方の「担体」や「表現」

しかし、プラナリアとウミホタルの現象は、より統合的な理解の可能性を示唆している:

統合的一元論:「情報物質連続体」(Info-material Continuum)

  • 情報と物質は同一実在の異なる側面
  • 両者は連続的スペクトルの両端
  • 相互変換可能性が両者の本質的特性

この統合的視点では、「情報」と「物質」の区別は絶対的ではなく相対的・文脈依存的となる。あるパターンが「物質」か「情報」かは観測者の視点や相互作用の文脈によって決まるのである。

この理解に基づけば、プラナリアとウミホタルの現象は「情報物質連続体」上の対照的位置を占める:

  • プラナリア:「情報→物質」方向の極限的変換
  • ウミホタル:「物質→情報」方向の極限的変換

両者は共に、この連続体上での移動能力—情報と物質の間の相互変換能力—を示している。この能力こそが生命の本質的特性なのかもしれない。生命とは「情報物質連続体」上で自在に移動し、情報と物質の間を絶えず循環する存在なのである。

この視点は、情報理論の創始者クロード・シャノンから現代の量子情報理論まで、情報の物理学的基盤に関する研究と共鳴する。情報は物理的基盤から完全に分離できず、物質は情報的構造から独立して存在できない。両者は相互浸透し、相互定義し合う共存在なのである。

V. 存在と認識の相互構成

5.1 「見られる」ことと「続く」ことの相互依存性

「見られる」ことと「続く」こと—すなわち認識的顕示性と時間的持続性—は、どのような関係にあるのか? 伝統的理解では、両者は独立した特性と見なされることが多い:

  • 「続く」こと:物理的・時間的特性
  • 「見られる」こと:知覚的・認識論的特性

しかし、より深い理解によれば、両者は本質的に相互依存的である:

「続く」ことへの「見られる」ことの寄与

  • 認識されることが存在継続の社会的・生態的基盤となる
  • 「見られない」存在は生態的ネットワークから排除され、存続が困難になる
  • 他者による認識が自己認識を強化し、自己保存行動を促進する

「見られる」ことへの「続く」ことの寄与

  • 時間的持続性が認識対象としての安定性を提供する
  • 継続的存在が認識確率を増加させる(存在時間の延長)
  • 持続的パターンが認識的顕著性を高める(背景からの区別)

この相互依存性は、「認識」と「存在」の間のより根本的な相互構成関係を示唆している。「存在」は「認識」によって確証され、「認識」は「存在」を前提とする。両者は循環的に相互規定し合うのである。

プラナリアとウミホタルは、この相互依存性の異なる側面を強調している:

  • プラナリア:「続く」ことを通じて「見られる」可能性を最大化
  • ウミホタル:「見られる」ことを通じて「続く」可能性を最大化

この視点からすれば、両者は相補的戦略と見なせる。プラナリアは物理的持続性を通じて認識機会を拡張し、ウミホタルは認識的顕示性を通じて生存機会を拡張しているのである。

5.2 観測者と被観測者の相互生成

量子力学の観測問題が示唆するように、観測者と被観測者は相互に依存し、相互に生成し合う関係にある。この相互生成関係は、プラナリアとウミホタルの存在戦略を理解する上で重要である。

観測関係の相互性

  • 観測者は被観測者を「認識対象として生成」する
  • 被観測者は観測者を「認識主体として生成」する
  • 両者の関係が「実在の顕在化」を構成する

この相互生成関係において、プラナリアとウミホタルは対照的なアプローチを示す:

プラナリアの観測戦略:「被観測者の自己生成」

  • 観測者の存在を前提とし、その観測対象として自己を再構成
  • 観測関係における「被観測側」の極限的強化
  • 「観測されるべき対象」としての自己同一性の維持

ウミホタルの観測戦略:「観測者の能動的生成」

  • 観測者不在の環境で、観測者を「創出」する信号を発信
  • 観測関係における「観測側」の直接的誘導
  • 「観測する主体」を呼び起こす誘因の最適化

特に興味深いのは、ウミホタルの示す「観測者創出戦略」である。発光は単なる「見られるための信号」ではなく、潜在的観測者を「観測者として活性化」させる行為でもある。暗闇では「何も見ていない」状態の生物を、発光によって「見ている」状態に変化させるのである。

この視点は、観測という行為の本質についての深い洞察を提供する。観測とは単に「既に存在するものを見る」過程ではなく、観測者と被観測者が相互に生成し合う相互構成的プロセスなのである。観測者は観測行為によって被観測者を「実在化」し、被観測者はその顕示によって観測者を「活性化」する。

このような相互生成関係は、メルロ=ポンティの言う「肉」の概念と共鳴する。「肉」とは、見るものと見られるものの相互浸透的関係性であり、主観と客観の二元論を超えた「存在の織物」である。プラナリアとウミホタルは、この「肉」の異なる側面を極限的に発達させた例と見なせるのである。

5.3 存在証明の社会的文脈

「存在」の証明は、単に物理的・認識論的問題ではなく、本質的に社会的・関係的文脈を持つ。特に生物にとって、「存在の証明」は常に「誰かにとっての存在証明」という社会的側面を持つ。

存在証明の社会的側面

  • 「特定の他者」に対する存在の顕示
  • 「特定の関係性」における自己の位置づけ
  • 「特定の意味」における自己の提示

ウミホタルの発光は、この社会的存在証明の極限的例である:

  • 種特異的発光パターン:「同種の他個体」に対する自己証明
  • 性特異的発光パターン:「潜在的配偶者」との関係における自己証明
  • 文脈依存的発光:「特定の社会的意味」(求愛、警告など)の表現

一方、プラナリアの再生は、より自己完結的に見えるが、これもまた社会的文脈を持つ:

  • 種特異的形態再生:種としての同一性の社会的表現
  • 環境適応的再生:生態的関係性の維持・回復
  • 情報的連続性:種内で共有された「形態場」の表現

これらの現象は、「存在」が本質的に関係的・社会的概念であることを示している。存在するとは、単に物理的実体として「ある」ことではなく、特定の関係性のネットワークの中に「位置づけられる」ことなのである。

特に興味深いのは、両者が示す「関係的存在証明」の異なるアプローチである:

  • ウミホタル:「わたしはここにいる」という直接的関係宣言
  • プラナリア:「わたしは同じものである」という間接的関係保証

これらの戦略は、生物学的存在が持つ「二重の関係的課題」—「現在の関係を構築すること」と「関係の継続性を保証すること」—への異なるアプローチと見なせる。理想的には、生物は両方の課題を同時に解決する必要があるが、プラナリアとウミホタルはそれぞれ一方の側面を極限まで特殊化したのである。

5.4 意識と自己:哲学的含意

プラナリアとウミホタルの現象は、意識と自己の本質に関する哲学的問いに深い示唆を与える。特に、「経験する主体としての自己」と「意識の基本構造」に関して、新たな視点を提供する。

意識の二重性

  • 「対象についての意識」(何かを意識すること)
  • 「自己についての意識」(意識していることを意識すること)

この二重性に関して、プラナリアとウミホタルは異なる側面を極限的に発達させている:

プラナリアの意識的側面:「形態的自己意識」

  • 自己の理想的形態についての内的表象
  • 形態的不完全性の認識と修正
  • 切断と再生のプロセスを通じた自己の再発見

ウミホタルの意識的側面:「存在的自己表現」

  • 自己の存在を他者の意識に投影する能力
  • 自己表現パターンの能動的制御
  • 他者の知覚を通じた間接的自己認識

これらの現象は、「意識の最小必要条件」に関する興味深い問いを提起する。例えば:

  • 形態的全体性の保持能力(プラナリア)は「原初的身体的自己意識」の一形態か?
  • 発光パターンの能動的制御(ウミホタル)は「原初的コミュニケーション意識」の表れか?

哲学者のデカルトは「我思う、ゆえに我あり」と述べたが、プラナリアとウミホタルは別の存在証明を提示しているようだ:

  • プラナリア:「我は切断されても再生する、ゆえに我は本質的に存続する」
  • ウミホタル:「我は暗闇で光を放つ、ゆえに我は本質的に知られる」

これらの「存在証明」は、人間的意識に基づく「コギト」とは全く異なるが、それぞれが独自の「存在の確証」を表現している。デカルトの懐疑は思考を基盤としたが、これらの生物は物質的持続性と知覚的顕示性という、より根源的な基盤に依拠しているのである。

最も深い哲学的含意は、「自己」が単一の実体ではなく、少なくとも二つの相補的側面—「続く自己」と「見られる自己」—の統合として理解されるべきであるという点かもしれない。プラナリアとウミホタルは、この統合的自己の異なる極限的発現を示しているのである。

VI. 革新的視点:存在証明の生命哲学

6.1 存在証明パラダイム:生命の新たな定義

本章で展開してきた考察に基づき、ここで「存在証明パラダイム」という新しい生命観を提案する。このパラダイムでは、生命を「自己の存在を連続的に証明するシステム」として定義する。

存在証明パラダイムの中心的テーゼ

  1. 存在論的テーゼ:生命の本質は「自己の存在証明」である
  2. 方法論的テーゼ:存在証明は「持続性」と「顕示性」の二戦略によって実現される
  3. 情報的テーゼ:存在証明は情報と物質の循環的変換を通じて達成される
  4. 関係的テーゼ:存在証明は本質的に関係的・社会的文脈を持つ

この新パラダイムは、従来の生命定義と比較して以下の特徴を持つ:

従来の生命定義との比較

  • 代謝的定義(代謝・エネルギー変換を中心)より包括的
  • 遺伝的定義(自己複製能力を中心)より根源的
  • 進化的定義(変異と自然選択を中心)より直接的
  • 自己創出的定義(オートポイエーシス)と部分的に重複するが、より存在論的

存在証明パラダイムの強みは、プラナリアとウミホタルのような対照的現象を統合的に理解できる点にある。両者は存在証明の異なる戦略を極限化したものとして理解されるのである:

  • プラナリア:「持続的存在証明」戦略の極限化
  • ウミホタル:「顕示的存在証明」戦略の極限化

このパラダイムは、生命の多様性をより深く理解するための新たな視座を提供する。様々な生物種は、これら二つの基本戦略の異なる組み合わせと最適化として理解できるのである。

6.2 生命の情報-物質二重性

存在証明パラダイムからの重要な洞察の一つは、生命の「情報-物質二重性」である。この視点では、生命は本質的に二重の側面—情報的側面と物質的側面—を持つものとして理解される。

生命の二重性

  1. 情報的生命
    • 形態的パターン、遺伝情報、行動プログラム等として表現
    • 複製、修正、伝達、解釈の対象となる
    • 物質的基盤から相対的に独立して存続可能
  2. 物質的生命
    • 分子、細胞、組織、器官等として具現化
    • 代謝、運動、感覚、相互作用の担い手となる
    • 情報的規則性によって組織化・制御される

この二重性は、波動と粒子の二重性になぞらえることができる。量子力学において同一の存在が文脈に応じて波動的側面と粒子的側面を示すように、生命も文脈に応じて情報的側面と物質的側面を表す。

プラナリアとウミホタルは、この二重性の異なる側面を強調している:

  • プラナリア:情報的生命の優位性を示す(物質的基盤の部分的喪失にも関わらず情報的連続性を維持)
  • ウミホタル:物質的生命から情報的拡張への変換能力を示す(物質的存在を超えた情報的投影)

この生命の二重性理解は、旧来の機械論的唯物論(生命を物質的機械と見なす)も情報学的還元主義(生命を情報処理と見なす)も超越する。生命は本質的に情報的であると同時に物質的であり、両側面は相互に浸透し、相互に構成し合うのである。

6.3 バイオセミオティクスと存在の言語

「存在証明」という視点は、生命を記号過程(セミオーシス)の担い手として理解するバイオセミオティクスの視点と深く共鳴する。この観点からすれば、生命の本質的特性は「意味のある記号の生成・解釈能力」にある。

プラナリアとウミホタルの現象を記号論的に解釈すると:

プラナリアの記号過程:「形態的自己参照」

  • 記号:形態的全体性の内的表象(形態場)
  • 対象:理想的完全体としての自己
  • 解釈:切断後の再生過程(失われた部分の再構築)

ウミホタルの記号過程:「発光的自己表現」

  • 記号:発光パターン(時間的・空間的特性)
  • 対象:特定の社会的意味を持つ自己(種・性別・状態など)
  • 解釈:他個体による発光の知覚と応答

これらの記号過程は、「存在の言語」の異なる形態と見なせる。生命は物理的・化学的過程の集合ではなく、意味を生成・解釈する記号的存在なのである。

特に注目すべきは、両者の示す「記号的自己参照性」である。プラナリアの再生は「自己を指示する記号としての形態場」を、ウミホタルの発光は「自己を表現する記号としての光パターン」を利用している。この自己参照的記号使用が、生命と非生命を分ける重要な特性かもしれない。

バイオセミオティクスの先駆者ヤーコブ・フォン・ユクスキュルの「環世界」(Umwelt)の概念も関連性がある。環世界とは、生物種に固有の主観的知覚世界であり、その種にとって意味のある記号のみで構成される。この視点からすれば:

  • プラナリアの環世界:形態的完全性・不完全性が中心的意味を持つ世界
  • ウミホタルの環世界:光と暗闇、発光パターンが中心的意味を持つ世界

これらの異なる環世界は、異なる「存在の証明方法」を必然的に伴うのである。

6.4 多元的存在論と生命の多様性

最後に、「存在証明パラダイム」が示唆する「多元的存在論」について考察したい。この視点では、「存在する」ことの意味は単一ではなく、多様な形態をとりうる。

存在の多元性

  1. 物質的存在:物理的実体として空間を占める
  2. 情報的存在:パターンとして認識・解釈される
  3. 関係的存在:特定の関係性のネットワークに位置づけられる
  4. 機能的存在:特定の因果的役割を果たす

生物の多様性は、単に形態的・遺伝的多様性だけでなく、これらの異なる「存在様式」の多様な組み合わせとしても理解できる。各生物種は、その生態的ニッチと進化的歴史に応じて、特定の存在様式を強調し、独自の「存在証明戦略」を発達させてきたのである。

プラナリアとウミホタルは、この多元的存在論の両極を体現している:

  • プラナリア:物質的・機能的存在の連続性を極限的に強調
  • ウミホタル:情報的・関係的存在の顕示性を極限的に強調

この多元的存在論は、西洋形而上学の伝統的一元論(物質一元論や観念一元論など)を超克する可能性を秘めている。存在は単一の原理に還元されるものではなく、相互に還元不可能な多様な「存在様式」の複合体なのである。

特に生命現象の理解においては、この多元的視点が不可欠である。生命は物質的側面のみでも情報的側面のみでも完全には理解できず、多様な存在様式の独特の統合として捉える必要がある。プラナリアとウミホタルの研究は、この多元的存在理解への道を開く重要な一歩となるだろう。

VII. まとめ:二つの驚異から見る存在の本質

7.1 プラナリアとウミホタルの相補性

本章では、プラナリアの再生能力とウミホタルの発光現象を「存在証明」という統一的視座から解釈してきた。振り返ると、両者は生命の根本課題—自己の存在をいかに証明・維持するか—への相補的解答を体現していることが明らかになった:

プラナリアの存在証明戦略

  • 本質:情報から物質への変換による存在の持続的証明
  • 強み:物理的分断を超えた自己同一性の維持
  • 時間軸:過去から未来への連続性の保証
  • 存在様式:「続くこと」を通じた存在証明

ウミホタルの存在証明戦略

  • 本質:物質から情報への変換による存在の顕示的証明
  • 強み:知覚的不可視性を超えた自己表現
  • 空間軸:ここからあそこへの拡張性の創出
  • 存在様式:「見られること」を通じた存在証明

両者の相補性は、存在の二つの根本的側面—持続性と顕示性—に対応している。プラナリアは「時間的連続性」を、ウミホタルは「空間的顕示性」を極限まで追求した生存戦略を示しているのだ。

この相補性は対立ではなく、むしろ同一の根本課題への異なるアプローチを表している。理想的には、生物は両方の戦略を統合し、「持続的に顕示される存在」として自己を確立する必要がある。プラナリアとウミホタルは、この統合の異なる側面を極限的に特殊化したものと見なせるのである。

7.2 情報と物質:生命の二重性

本章の考察を通じて、生命の本質に関する重要な洞察として「情報-物質二重性」が浮かび上がった。生命は本質的に二重の性質—情報的側面と物質的側面—を持ち、両者の間の循環的変換を通じて存在を維持する。

生命の情報-物質循環

  1. 情報の物質化:情報的パターンが物質構造として具現化される
  2. 物質の情報化:物質的実体が情報信号として表現される
  3. これらの変換の絶え間ない循環が生命プロセスの核心を成す

プラナリアとウミホタルは、この循環の異なる相を極限的に発達させた例である:

  • プラナリア:情報→物質の変換の極限的実現(第一相)
  • ウミホタル:物質→情報の変換の極限的実現(第二相)

この二重性理解は、生命を単なる「特殊な物質構造」としてでも「抽象的情報処理」としてでもなく、情報と物質の間の特殊な循環的関係として捉える視点を提供する。生命の本質は特定の物質や情報ではなく、両者の間の絶え間ない相互変換プロセスにあるのだ。

この洞察は、古くからの「生気論 vs 機械論」の論争を超える新たな視座を開く。生命は物質的機械でもなく、非物質的精神でもなく、情報と物質の相互浸透的循環として理解されるのである。

7.3 存在証明としての生命:哲学的展望

本章の探究から導かれる最も根源的な洞察は、生命を「存在証明のプロセス」として理解する視点である。この視点では、生命の本質的特性は「自らの存在を証明・維持する能力」にある。

存在証明としての生命の特徴:

  1. 能動的自己主張:単に「ある」のではなく、能動的に自己の存在を主張する
  2. 二重戦略:時間的持続性と空間的顕示性の両方を通じて存在を証明する
  3. 情報-物質変換:情報と物質の循環的変換を通じて存在証明を実現する
  4. 関係的存在確立:他者・環境との関係性の中で自己の存在を確立する

この理解は、生命の本質に関する従来の見方を拡張する。生命は単なる複雑な化学反応系でも、単なる自己複製システムでもなく、自らの存在を能動的に証明し続ける存在なのである。

哲学的には、この視点は次のような展望を開く:

  • 存在論:「存在」を静的状態ではなく動的プロセスとして再概念化
  • 認識論:「認識」と「存在」の循環的相互構成関係の理解
  • 情報哲学:情報と物質の二元論を超えた統合的理解
  • 生命哲学:生命の本質を「存在証明能力」として理解

プラナリアとウミホタルという二つの驚異的生物は、この哲学的探究の格好の対象であり導き手である。両者の示す極限的戦略は、生命の本質に関する深遠な洞察を提供し、我々自身の存在の理解にも新たな光を投げかける。

7.4 次章への橋渡し:循環モデルへ

本章では、プラナリアの再生とウミホタルの発光を「存在証明」という視座から統合的に解釈してきた。この考察を踏まえ、次章「記憶と物質の循環モデル—統合理論の提案」では、これらの現象をより包括的な理論的枠組みの中に位置づける。

次章で展開される「情報-物質循環モデル」は、本章で提示した洞察を体系化し、より広範な生命現象に適用可能な理論として発展させるものである。特に注目するのは:

  1. 情報と物質の間の循環的変換の形式的モデル化
  2. この循環における記憶と構造の相互関係
  3. 複数の時間スケールにおける循環プロセスの統合
  4. モデルの理論的予測と実験的検証可能性

この循環モデルは、プラナリアとウミホタルの現象を特殊例として含む、より一般的な生命理解の枠組みを提供するだろう。両者の存在証明戦略は、この普遍的循環の異なる相を強調したものとして統合的に理解されるのである。

「見られること」と「続くこと」という二つの存在証明戦略、情報と物質という二つの相補的側面、顕示性と持続性という二つの根本特性—これらの二元性を超えた統合的生命理解へと我々は歩みを進める。プラナリアとウミホタルという二つの驚異から見えてきたのは、存在の本質に関わる深遠な真理である。生命とは本質的に「証明され続ける存在」なのだ。


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