第2部:サツマイモの歴史的拡散と文化的意義
1. 大航海時代と作物交換のグローバルダイナミクス
サツマイモの世界的拡散は、15-16世紀の大航海時代と密接に結びついている。コロンブス(1492年)以降の「コロンブス交換」によって多くの作物が新旧大陸間で移動したが、サツマイモの拡散経路と時期については長らく学術的論争が続いてきた。この問題の核心には、大洋を越えた作物移動のメカニズムと時間軸をどう解釈するかという根本的な疑問がある。
サツマイモの拡散経路については、大きく二つの仮説が提唱されてきた。O’Brien (1972)の古典的研究が示した「スペイン経由説」と、Yen (1982)が提唱した「ポリネシア直接伝播説」である。前者はコロンブス交換の一環としてスペイン人がフィリピンへサツマイモをもたらし、そこからアジア全域へ広がったとする説であり、後者はポリネシア人が直接南米からサツマイモを持ち帰り、太平洋諸島に広めた可能性を示唆している。
この論争に決定的な知見をもたらしたのがRoullier et al. (2013)による分子マーカー研究である。彼らは太平洋諸島のサツマイモ在来品種の葉緑体DNAとITSマーカーの分析を通じて、少なくとも二つの独立した伝播イベントが存在したことを証明した。具体的には:
- 先コロンブス期(1000-1100年頃):南米からイースター島やハワイを含む東ポリネシアへの直接伝播
- 後コロンブス期(16世紀以降):スペイン人によるフィリピン経由のアジア・太平洋地域への伝播
これらの異なる伝播経路は、現代の品種分布パターンにも反映されている。クラスタ分析によると、東ポリネシアの伝統的品種は南米アンデス地域の品種と遺伝的に近縁である一方、東南アジアやメラネシアの品種はメキシコ・中米系統との類縁性が高いことが示されている(Montenegro et al., 2016)。
先コロンブス期の伝播についてはさらに議論が続いているが、Denham (2021)の最新研究では、ポリネシア人の航海技術と海流・風向パターンの季節変動を考慮したシミュレーションにより、南米からポリネシアへの直接航海が技術的に可能であったことが示されている。特に、南米からマルケサス諸島への航海は、特定の季節条件下で30-40日で達成可能であり、栄養繁殖可能なサツマイモの茎を生きた状態で運ぶのに十分な時間だったと推定されている。
一方、後コロンブス期のアジア伝播については歴史的記録も豊富であり、1565年にはスペインのレガスピ船団がフィリピンにサツマイモをもたらしたことが記録されている。その後、サツマイモは中国南部へと伝わり、『閩書』(1617年)には既に福建省での栽培記録が登場する。この中国への伝播経路については、直接フィリピンから伝わったとする説と、ポルトガル人によってインド・マラッカ経由で伝えられたとする説があり、Ho (1955)はこれら複数経路の可能性を指摘している。
2. 日本への伝来と「琉球芋」の文化史
サツマイモの日本への伝来は、琉球王国(現在の沖縄)を経由したことから「琉球芋」と呼ばれるようになったが、その詳細な経緯については複数の歴史的解釈が存在する。最も広く受け入れられているのは、1605年に中国福建省から琉球に伝わり、その後1698年に薩摩藩(現在の鹿児島県)の役人・野国総管によって本土に伝えられたとする説である(Fujita et al., 1993)。
しかし、この定説に対して一部の歴史学者は異なる見解を示している。Saito (2002)の研究によれば、サツマイモの日本本土への伝来には少なくとも三つの独立した経路があった可能性が高い:
- 琉球・薩摩ルート:1698年、野国総管による薩摩藩への伝播
- 長崎ルート:1698年以前にオランダ船または中国船によって長崎に持ち込まれた記録
- 太平洋ルート:1734年、高野長英らによる太平洋経由での東北地方への直接伝播
特に興味深いのは、これらの異なる伝来経路に対応して、地域によって異なる名称が使われていた点である。西日本では「琉球芋」や「唐芋」(中国由来を意味する)、東日本では「甘藷」(かんしょ)や「金時」などの呼称が一般的であった(Isobe et al., 2018)。これらの地域的呼称の違いは、サツマイモの複数経路による伝播を裏付ける言語学的証拠と見ることもできる。
江戸時代中期以降、サツマイモは日本の飢饉対策において極めて重要な役割を果たすようになった。青木昆陽は1735年に幕府の命を受けてサツマイモの栽培法を研究し、普及に尽力した。彼の著書『蕃薯考』はサツマイモの栽培・調理・貯蔵に関する当時の知識を体系化した重要文献である(Yamakawa & Yoshimoto, 2002)。この時期、サツマイモは「かてもの」(飢饉時の非常食)としての地位を確立し、1732年の享保の大飢饉以降、幕府による積極的な普及政策が実施された。
サツマイモの普及は日本の人口動態にも大きな影響を与えた。Hanley & Yamamura (1977)の古典的研究によれば、18世紀の関東地方における人口増加率の上昇とサツマイモ栽培の普及には強い相関関係があり、特に痩せた土地でも栽培できるサツマイモの特性が、それまで限界地とされていた地域での人口扶養力を高めたとされる。また、年間を通じての収穫が可能であったことも、従来の穀物栽培と比較して飢饉に対する抵抗力を高める要因となった。
沖縄県においては、サツマイモはより根源的な文化的意義を持つようになった。17世紀後半から20世紀初頭まで、サツマイモは沖縄の主食としての地位を占め、年中行事や祭祀とも密接に結びついた。特に「ウマチー」と呼ばれる収穫祭は、サツマイモの豊作を祝う重要な年中行事として定着した(Allen, 2009)。沖縄戦後の食糧難においても、サツマイモは住民の生命線となり、現代においてもアイデンティティの象徴として文化的重要性を保持している。
3. アフリカとオセアニアへの拡散と適応
サツマイモのアフリカ大陸への導入は、ヨーロッパの植民地主義と奴隷貿易の歴史と密接に関連している。初期の記録によれば、16世紀後半にポルトガル人によって西アフリカ沿岸地域に導入されたとされるが、内陸部への本格的な普及は19世紀以降である(Low et al., 2009)。特に東アフリカでは、イギリス植民地政府による食料安全保障政策の一環として、1880年代以降に積極的な普及が図られた。
アフリカにおけるサツマイモの文化的受容パターンは地域によって大きく異なる。Mwanga et al. (2011)の研究によれば、ウガンダなど大湖地域では主食としての地位を獲得した一方、西アフリカではヤムイモなど既存の根菜類に対する補完的作物として位置づけられる傾向があった。この受容パターンの違いは、既存の食文化構造とサツマイモの適応能力の相互作用によって形成されたと考えられる。
特に注目すべきは、ルワンダのような高地環境へのサツマイモの適応である。標高1,500〜2,500mの高冷地において、サツマイモは他の熱帯作物よりも高い適応性を示し、人口密度の高い地域における食料安全保障に重要な役割を果たしてきた。Gichuki et al. (2005)の調査によれば、1994年のルワンダ内戦後の復興期において、サツマイモは短期間で収穫可能な「救命作物」として機能し、食料危機の緩和に貢献した。
一方、オセアニア地域におけるサツマイモの文化的意義はさらに複雑である。Papua New Guineaの高地では、サツマイモの導入(19世紀後半)によって従来のタロイモを中心とした農業システムが大きく変革され、人口増加と社会構造の変化をもたらした。Bourke (2009)の研究によれば、サツマイモの高い単位面積当たり収量と労働生産性は、高地社会の人口扶養力を大幅に向上させ、より複雑な社会階層構造の発展を可能にした。
特に興味深いのは、New Guineaの一部地域で発達した「サツマイモ儀礼複合」である。Wiessner & Tumu (1998)の民族誌的研究によれば、Enga族などの高地民族は、サツマイモの栽培・収穫・分配を中心とした精緻な儀礼体系を発展させ、それが社会的威信の獲得や政治的同盟の形成と結びついていた。こうした文化的適応は、外来作物の導入が単なる栄養源の変化にとどまらず、社会構造や宇宙観にまで影響を及ぼす可能性を示している。
4. 名称の多様性と文化的受容の言語学的証拠
サツマイモの世界的拡散に伴う呼称の多様性は、その複雑な伝播経路と文化的受容過程を反映している。原産地である南米のケチュア語では「kumar」「cumar」と呼ばれていたが、スペイン語では「batata」となり、これが英語の「potato」(じゃがいも)の語源ともなった。その後、ジャガイモとの混同を避けるため「sweet potato」という名称が確立した(Huaman, 1999)。
アジア地域における名称は特に多様であり、伝播経路の複雑さを物語っている。O’Brien-Nabors (2016)の比較言語学的研究によれば、アジア各地の呼称は大きく三つの系統に分類できる:
- スペイン語「batata」に由来する系統:フィリピンのタガログ語「kamote」、インドネシアの「ubi kastela」(カスティーリャ芋の意)など
- 中国南部起源の系統:中国語「番薯」(fānshú)や「地瓜」(dìguā)、ベトナム語「khoai lang」など
- 日本・琉球系統:「琉球芋」「唐芋」「薩摩芋」など
これらの名称は単なる呼び方の違いにとどまらず、各地域におけるサツマイモの文化的位置づけも反映している。例えば、「カスティーリャ芋」「唐芋」などの呼称は、その外来性を強調するものであり、初期の受容段階でサツマイモが「異国の作物」として認識されていたことを示している。
特に興味深いのは日本における呼称の変遷である。Saito (2002)によれば、初期の「琉球芋」「唐芋」という呼称から、次第に産地名を冠した「薩摩芋」が全国的な標準名称となっていった過程には、国産化・在来化のプロセスが反映されている。この呼称変化は、外来作物が「異物」から「自文化の一部」へと変容していく文化的受容の軌跡を示す言語学的証拠といえる。
アフリカ諸言語においてもサツマイモの呼称は多様であり、Gibson et al. (2009)の研究によれば、東アフリカのスワヒリ語では「viazi vitamu」(甘いジャガイモの意)、南部アフリカのショナ語では「mbambaira」などと呼ばれる。これらの名称の中には、既存の根菜類に対する関係性を示すものや、伝来経路を暗示するものが含まれており、サツマイモの文化的位置づけを理解する上で重要な手がかりとなる。
さらに、特定地域では儀礼的・象徴的文脈における特殊な呼称も発達した。例えば、Wedgwood (1934)の古典的民族誌によれば、Papua New Guineaのマナム島では、日常的には「kaukau」と呼ばれるサツマイモが、儀礼的文脈では「tanepoa」(祖先の贈り物の意)と呼ばれ、特別な敬意を払われていた。こうした言語使用の二重性は、外来作物が地域の宇宙観・信仰体系に統合される過程を反映している。
5. 飢饉救済作物としての歴史的役割
サツマイモが世界各地で広く受け入れられた主要因の一つは、その飢饉救済作物(ファミンクロップ)としての優れた特性である。サツマイモの歴史的普及パターンを分析すると、多くの地域で深刻な食料危機の後に急速な普及が進んだという共通点が見られる。この現象の背景には、サツマイモの持つ特異的な農学的特性がある。
Scott & Maldonado (1998)の分析によれば、サツマイモの飢饉救済作物としての優位性は、以下の特性に基づいている:
- 厳しい環境条件下での栽培適応性:痩せた土壌、限られた降水量、極端な気象条件下でも一定の収量を確保できる
- 病害虫に対する相対的耐性:主要穀物に壊滅的被害をもたらす病害虫がサツマイモには影響しない場合が多い
- 収穫の柔軟性:成熟後も地中に保存可能であり、必要に応じて収穫できる「生きた貯蔵庫」として機能する
- 迅速な栄養供給:植え付けから3〜5ヶ月で収穫可能であり、緊急時の食料供給に適している
こうした特性が歴史的に重要な役割を果たした具体例として、18世紀のアイルランドにおけるサツマイモの普及がある。Crawford (2008)の研究によれば、1740〜1741年の「忘れられた飢饉」の後、ジャガイモと並んでサツマイモがアイルランドの農業システムに導入された。サツマイモはジャガイモ飢饉の原因となった疫病(Phytophthora infestans)に対して抵抗性を持っていたが、気候的要因から広範な栽培には至らなかった点が指摘されている。
日本における飢饉とサツマイモの関係についても、多くの研究が行われている。Hanley & Yamamura (1977)によれば、18世紀初頭の「享保の大飢饉」(1732-1733年)の後、幕府によるサツマイモ普及政策が本格化し、特に関東地方では次第に主要な救荒作物としての地位を確立した。Fujita et al. (1993)の分析では、19世紀前半の「天保の大飢饉」(1833-1837年)の際には、サツマイモ栽培が普及していた地域では死亡率が相対的に低かったことが指摘されている。
中国においても、サツマイモの普及は飢饉との関連で理解できる。Ho (1955)の研究によれば、17世紀末から18世紀にかけての中国山地地域へのサツマイモ普及は、増大する人口圧力と食料不足への対応として進められた。特に福建省や広東省の山間部においては、サツマイモが「山番薯」(山の芋)と呼ばれ、主食としての地位を獲得していった。
現代においても、サツマイモの飢饉救済作物としての役割は継続している。Kurunganty et al. (2022)の最新研究では、気候変動に伴う極端気象の増加に対応するためのレジリエント作物としてサツマイモの重要性が再評価されている。特にサブサハラアフリカにおいては、干ばつや洪水の頻度増加に対応するために、サツマイモの耐性品種の開発と普及が進められている。
6. 宗教的・象徴的意義と儀礼的実践
サツマイモが普及した多くの地域では、単なる食料資源を超えた宗教的・象徴的意義が付与されてきた。特に太平洋諸島やNew Guinea高地など、サツマイモが主食としての地位を獲得した地域では、複雑な儀礼体系がサツマイモを中心に形成された。
最も注目すべき事例の一つは、Papua New Guinea東部高地における「サツマイモ崇拝」である。Watson (1965)の古典的研究によれば、Aiku族においてサツマイモは単なる作物ではなく、祖先との繋がりを体現する神聖な存在として認識されていた。サツマイモの栽培サイクルは宇宙論的意義を持ち、種芋の保存、植え付け、収穫の各段階で特定の儀礼が執行された。特に豊作を祈願する「Satu」儀礼では、祖先の霊に捧げられたサツマイモが共同体内で再分配され、社会的結束を強化する機能を果たしていた。
Wiessner & Tumu (1998)のエンガ族における研究でも、サツマイモを中心とした「テ」と呼ばれる儀礼交換システムが記録されている。この体系では、特定の儀礼用サツマイモ品種が部族間の同盟関係構築に重要な役割を果たしており、政治的・社会的機能と宗教的機能が不可分に結びついていた。
沖縄においても、サツマイモは重要な儀礼的位置づけを持っていた。Allen (2009)の研究によれば、沖縄の伝統的信仰体系においてサツマイモは「ニライカナイ」(海の彼方の理想郷)からの贈り物として神聖視され、豊作を祈願する「ウマチー」儀礼が発達した。この儀礼では、新収穫のサツマイモを先祖に供え、共同体全体で分かち合うことで、世代間の連続性と共同体の団結が再確認された。
興味深いのは、こうした宗教的・象徴的意義が近代化の過程でどのように変容したかという点である。Bradacs et al. (2011)のバヌアツにおける研究によれば、キリスト教化と近代化が進んだ現代においても、サツマイモに関連する一部の伝統的儀礼は「文化的アイデンティティ」の象徴として再解釈され、存続している。特に観光産業の発展とともに、かつての宗教的実践の一部が「文化遺産」として再評価される現象が見られる。
アンデス地域においても、サツマイモはジャガイモほどではないが、一定の宗教的意義を持っていた。Brush et al. (1981)によれば、ペルー高地の一部地域では、サツマイモの初収穫物を「パチャママ」(大地の母)に捧げる儀礼が存在した。しかし、サツマイモはジャガイモと比較して低地の作物と認識されていたため、高地文化における宗教的重要性はやや限定的であった。
日本においても、サツマイモの宗教的意義は限定的ながら存在した。Yamakawa & Yoshimoto (2002)の研究によれば、江戸時代の一部地域では「芋占い」と呼ばれる占術があり、サツマイモの形状から翌年の豊凶や家運を占うという習慣があった。また、収穫感謝の意味を込めて神社に初物を供える風習も一部に見られた。
7. 近現代における文化的位置づけの変容
産業革命以降の近現代社会における食料システムの変容は、サツマイモの文化的位置づけにも大きな変化をもたらした。多くの地域で、かつて「救荒作物」「貧者の食べ物」とされていたサツマイモは、20世紀後半から21世紀にかけて再評価の過程にある。この変容プロセスには、栄養学的知見の発展、食の多様化、文化的アイデンティティの再構築など、複数の要因が関与している。
最も顕著な変化の一つは、サツマイモの栄養学的価値の科学的再評価である。Bovell-Benjamin (2007)の包括的レビューによれば、1980年代以降、サツマイモに含まれるβ-カロテン、アントシアニン、食物繊維などの機能性成分に関する研究が急速に進展し、「健康食品」としての再定義が進んだ。特に、2000年代に入ってからは紫肉品種やオレンジ肉品種の抗酸化作用や抗炎症作用に関する研究が蓄積され、「スーパーフード」としての位置づけが確立されつつある。
社会階層との関連においても大きな変化が見られる。Low et al. (2017)の研究によれば、サブサハラアフリカにおけるサツマイモの社会的位置づけは、オレンジ肉品種(OFSP: Orange-Fleshed Sweet Potato)の導入と栄養教育キャンペーンによって大きく変化した。かつて「貧者の作物」と見なされていたサツマイモが、ビタミンA豊富な「健康作物」として再評価され、社会階層を越えた受容が進んでいる。
日本における変容も興味深い事例である。Ishida et al. (2000)によれば、戦後の高度経済成長期に「貧しい時代の食べ物」として消費が減少したサツマイモは、1980年代以降、焼き芋の高級ブランド化や機能性食品としての再評価により、文化的位置づけの転換を経験した。特に、紫芋を使用した加工品の普及や、高級和菓子の素材としての再評価は、サツマイモの文化的ステータスの上昇を象徴している。
アイデンティティ政治との関連も無視できない。Collins (2016)が指摘するように、グローバル化が進展する現代社会において、かつて「日常食」だったサツマイモは、一部の地域で「文化的アイデンティティの象徴」として再解釈されている。例えば、沖縄県では「伝統的食文化」の象徴としてサツマイモが再評価され、観光資源としても活用されている。同様に、Papua New Guineaの一部地域でも、近代化の中でサツマイモは「伝統的生活様式」の象徴として文化的意義を保持している。
この文化的位置づけの変容は、農業システムにも反映されている。Kurunganty et al. (2022)の分析によれば、気候変動対応策としてのサツマイモの再評価が進み、「レジリエント農業」の中核作物としての新たな位置づけが形成されつつある。特に、干ばつ耐性、土壌修復機能、低投入持続型栽培の適性などが注目され、環境配慮型農業システムへの組み込みが世界各地で試みられている。
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