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GABAによる興奮/抑制バランス調節の仕組み

第1部:GABAの分子生物学 – 抑制と静寂の生化学的基盤

神経系の調和を司る分子:GABAの基本構造と特性

脳内信号伝達の世界では、興奮と抑制のバランスがあらゆる機能の基盤となる。この精妙な均衡を維持する上で中心的役割を果たすのが、ガンマアミノ酪酸(γ-aminobutyric acid; GABA)だ。GABAは哺乳類中枢神経系における主要な抑制性神経伝達物質として、その分子レベルでの理解は神経科学の根幹を成している。

分子構造的には、GABAは4つの炭素原子、1つのアミノ基、1つのカルボキシル基から成る比較的単純な構造を持つ。しかし、この構造的シンプルさとは対照的に、その機能的複雑性は驚くべきものだ。GABAはグルタミン酸から1段階の酵素反応で合成される非タンパク質性アミノ酸であり、その立体構造は標的受容体との精密な相互作用を可能にしている(Olsen & Tobin, 1990)。

「GABAは単なる抑制性伝達物質ではない」と述べたのは神経科学者のBen-Ari(2002)だが、この言葉の意味するところは深い。GABAの作用は発達段階や細胞環境によって劇的に変化し、時に興奮性にすら転じる。この二面性こそが、GABAを神経科学において特に魅力的な研究対象としている理由の一つといえるだろう。

GABA合成経路:静寂を生み出す生化学的プロセス

神経系におけるGABAの合成は、主にグルタミン酸脱炭酸酵素(Glutamic Acid Decarboxylase; GAD)によって触媒される。興味深いことに、この酵素には異なる遺伝子から発現する2つのアイソフォーム—GAD65(分子量65kDa)とGAD67(分子量67kDa)—が存在する。これらのアイソフォームは、単に冗長性のためではなく、それぞれ異なる生理的役割を担っている。

GAD67は細胞質全体に分布し、GABA基礎レベルの維持に寄与する一方、GAD65はシナプス小胞近傍に局在し、神経活動依存的なGABA合成を担う。Asada et al.(1997)によるGAD65ノックアウトマウスの研究では、基底条件下では明らかな表現型を示さないものの、刺激誘発性のGABA放出が減少し、発作閾値が低下することが示された。一方、GAD67ノックアウトマウスは胎生致死となる。これは脳発達におけるGAD67を介したGABA合成の不可欠性を示唆している(Tamamaki et al., 2003)。

GADの活性はビタミンB6の活性型であるピリドキサール5’リン酸(PLP)を補酵素として要求する。この依存性が、ビタミンB6欠乏症において観察される神経興奮性の亢進と発作リスクの上昇を部分的に説明する。さらに、GADはリン酸化やパルミトイル化などの翻訳後修飾によっても調節されており、これらの修飾はGAD活性の時空間的制御に寄与している(Wei et al., 2004)。

GABA代謝経路:信号終結の分子機構

神経伝達物質としてのGABAの作用は、その濃度の厳密な制御に依存している。シナプス間隙に放出されたGABAは、特異的トランスポーターによって速やかに除去されなければならない。この過程は主にGABAトランスポーター(GAT1-4)によって担われる。これらのトランスポーターは、Naᐩ/Cl⁻共輸送を利用してGABAを細胞内に取り込む膜タンパク質であり、神経終末だけでなくグリア細胞にも発現している。

細胞内に取り込まれたGABAは、主に2つの酵素によって代謝される。まず、GABA-トランスアミナーゼ(GABA-T)がGABAとα-ケトグルタル酸間のアミノ基転移反応を触媒し、グルタミン酸とコハク酸セミアルデヒドを生成する。続いて、コハク酸セミアルデヒド脱水素酵素(SSADH)がコハク酸セミアルデヒドをコハク酸に酸化する。このプロセスはGABAシャントとして知られ、クエン酸回路と連結することでエネルギー代謝と神経伝達の統合を実現している(Bak et al., 2006)。

GABA代謝の障害は深刻な神経学的影響をもたらす。例えば、SSADH欠損症はGABAとγ-ヒドロキシ酪酸(GHB)の蓄積を引き起こし、精神運動発達遅滞や発作などの症状を呈する常染色体劣性疾患である(Pearl et al., 2003)。また、バルプロ酸などの抗てんかん薬はGABA-Tを阻害することでGABA濃度を上昇させ、その治療効果を発揮する。

シナプス伝達におけるGABAの動態:小胞から受容体へ

GABAがシナプス伝達物質として機能するためには、シナプス小胞への濃縮と活動依存的な放出が不可欠である。この過程の中心的役割を担うのが、小胞性GABAトランスポーター(VGAT、別名VIAAT)だ。VGATは小胞内へのGABA輸送を媒介し、この輸送には小胞内外のプロトン濃度勾配を駆動力とする(McIntire et al., 1997)。

神経終末に活動電位が到達すると、電位依存性カルシウムチャネルが開口し、細胞内カルシウム濃度が上昇する。このカルシウム上昇は、SNARE(Soluble N-ethylmaleimide-sensitive factor Attachment protein REceptor)タンパク質複合体を介したシナプス小胞の膜融合を引き起こし、小胞内のGABAがシナプス間隙に放出される。

放出されたGABAは、シナプス後膜上に発現するGABA受容体に結合し、抑制性シナプス後電位を誘導する。この過程の時間的制御は、シナプス間隙からのGABAクリアランス速度に大きく依存しており、前述のGABAトランスポーターが重要な役割を果たしている。しかし、GABA取り込みの阻害実験から、拡散もGABAシグナル終結の重要因子であることが示唆されている(Scimemi, 2014)。

興味深いことに、従来のシナプス放出に加え、「逆行性」GABAの存在も明らかになりつつある。これは、シナプス後細胞からも特定条件下でGABAが放出され得ることを示している。この現象の生理学的意義は完全には解明されていないが、シナプス伝達の双方向調節に寄与している可能性がある(Zilberter et al., 2005)。

GABA受容体の分子構造と機能多様性

GABAが神経系で多彩な作用を発揮できるのは、その受容体の構造的・機能的多様性に起因する。GABA受容体は大きく分けて3種類存在する:GABAA、GABAB、GABACである(現在GABACは正式にはGABAA-ρサブタイプとして再分類されている)。

GABAA受容体:抑制の主役

GABAA受容体は、5つのサブユニットから成るペンタマー構造を持つリガンド作動性イオンチャネルである。これまでに19のサブユニット(α1-6、β1-3、γ1-3、δ、ε、θ、π、ρ1-3)が同定されており、その組み合わせは理論上10万通り以上に及ぶ。しかし実際に脳内で主要なのは、α1β2γ2、α2β3γ2、α3β3γ2などの限られた組み合わせである(Olsen & Sieghart, 2009)。

GABAA受容体の活性化は塩化物イオン(主にCl⁻)の細胞内流入を引き起こし、これが膜電位を過分極(静止電位よりも負の方向へシフト)させ、神経細胞の興奮性を低下させる。しかし、これは成熟神経細胞の場合である。発達初期の神経細胞では、細胞内Cl⁻濃度が高く維持されているため、GABAA受容体の活性化はむしろCl⁻の流出を引き起こし、脱分極(興奮)を誘導する(Ben-Ari, 2002)。この発達依存的なスイッチは、塩化物イオン輸送体NKCC1(流入)とKCC2(流出)の発現比率変化によって制御されている。

GABAA受容体には様々な調節部位が存在し、ベンゾジアゼピン、バルビツレート、神経ステロイド、アルコールなどの多様な物質がそれらに結合する。特にベンゾジアゼピン結合部位はα1/2/3/5サブユニットとγサブユニットの界面に形成され、この部位に結合する物質はGABAの作用を正または負に調節する(アロステリック調節)。2019年にNature誌に発表されたMasiulisらによるクライオ電子顕微鏡研究は、GABAA受容体-ベンゾジアゼピン複合体の原子レベル構造を明らかにし、その作用機序の理解を大きく前進させた。

GABAB受容体:遅い抑制のオーケストレーター

GABAA受容体が主に「速い」抑制性シナプス伝達を担うのに対し、GABAB受容体はより「遅い」長期的な抑制効果を仲介する。GABAB受容体はGタンパク質共役型受容体(GPCR)であり、GABAB1とGABAB2のヘテロダイマーとして機能する。GABAB1には主にGABAB1aとGABAB1bの2つのスプライスバリアントが存在し、それぞれ異なる神経回路で優勢に発現している(Bettler et al., 2004)。

GABAB受容体の活性化は、Giタンパク質を介して複数の効果を発揮する:

  1. 電位依存性カルシウムチャネル(主にN型、P/Q型)の抑制
  2. 内向き整流性カリウムチャネル(GIRK)の活性化
  3. アデニル酸シクラーゼの抑制とcAMP産生低下

これらの作用により、GABAB受容体はシナプス前終末からの神経伝達物質放出を抑制し(前シナプス効果)、また後シナプス細胞の興奮性を長時間にわたり抑制する(後シナプス効果)。この二重の抑制機構により、GABAB受容体は神経回路活動の時間的調節に特に重要な役割を果たしている。

GABAB受容体のユニークな特徴として、その発現と機能が神経回路内の位置に強く依存することが挙げられる。例えば、海馬CA3-CA1シナプスでは、GABAB受容体の活性化は促通性シナプス前抑制を引き起こし、短期シナプス可塑性に寄与する(Schuler et al., 2001)。

GABA受容体活性化後の細胞内シグナル伝達経路

GABA受容体活性化の細胞応答は、単なるイオンチャネル開閉にとどまらず、複雑な細胞内シグナル伝達ネットワークを動員する。特にGABAB受容体活性化は、様々な細胞内シグナル分子のカスケードを引き起こす。

GABAB受容体の活性化に伴うGiタンパク質の解離は、βγサブユニットを介してGIRKチャネルの開口を促進する一方、αサブユニットはアデニル酸シクラーゼ活性を抑制し、細胞内cAMP濃度を低下させる。cAMP低下はプロテインキナーゼA(PKA)活性の減少を引き起こし、様々なタンパク質のリン酸化状態に影響を与える。この経路は、CREB(cAMP response element-binding protein)などの転写因子活性調節を介して、長期的な遺伝子発現変化にも寄与している(Terunuma et al., 2010)。

興味深いことに、GABAA受容体もリン酸化を介した調節を受ける。PKA、PKC(プロテインキナーゼC)、CaMKII(カルシウム/カルモジュリン依存性プロテインキナーゼII)などのキナーゼがGABAA受容体サブユニットの特定残基をリン酸化し、受容体の細胞表面発現や機能特性を修飾する(Luscher et al., 2011)。例えば、β3サブユニットのセリン408/409残基のリン酸化は、GABAA受容体の脱感作を促進することが示されている。

さらに近年の研究では、GABAA受容体が従来考えられていたような単純なイオン透過性だけでなく、特定条件下では「メタボトロピック様」シグナル伝達も仲介することが示唆されている。これは受容体の構造変化がイオン透過とは独立に細胞内シグナル分子と相互作用することで生じる現象である(Brickley & Mody, 2012)。

トニック抑制とフェージック抑制:GABAシグナルの二面性

GABA作動性抑制は、時間的特性に基づいて大きく「フェージック(相動的)」と「トニック(持続的)」の2つのモードに分類される。この二面性の発見は、GABAシグナルの理解を大きく進展させた。

フェージック抑制は、シナプス前神経終末から放出されたGABAが高濃度でシナプス後膜のGABAA受容体に作用し、一過性の抑制性シナプス後電流(IPSC)を生じさせる現象である。これは伝統的な「点対点」シナプス伝達の典型例であり、主にγサブユニットを含むシナプス性GABAA受容体が担う。

一方、トニック抑制は細胞外に持続的に存在する低濃度のGABAが、主に細胞外(シナプス外)に局在するGABAA受容体に作用することで生じる持続的な抑制性電流である。このシナプス外GABAA受容体は、主にδサブユニットやα5サブユニットを含む特殊な構成を持ち、GABA親和性が高く脱感作が少ないという特徴を持つ(Farrant & Nusser, 2005)。

トニック抑制の生理学的意義は多岐にわたる。神経細胞の入力抵抗を低下させることで興奮性入力に対する感受性を調節し、また発火閾値を制御することでネットワーク興奮性全体を調整する。特に小脳顆粒細胞や視床ニューロンでは、トニックGABA電流が細胞の基本的な興奮性制御に不可欠である(Brickley & Mody, 2012)。

興味深いことに、神経疾患状態ではトニック抑制の変化が観察される。てんかんモデルでは海馬歯状回におけるトニックGABA電流の減少が報告されており、一方でアルツハイマー病モデルではAβペプチドによるトニック電流の増強が観察されている(Wu et al., 2014)。これらの知見は、トニック抑制を標的とした治療アプローチの可能性を示唆している。

GABA系の分子調節機構:受容体トラフィッキングと翻訳後修飾

神経可塑性の文脈では、GABA受容体の細胞表面発現量の調節(受容体トラフィッキング)が中心的役割を果たす。GABAA受容体は、細胞内合成後に小胞体を経てゴルジ体で成熟し、細胞膜へと輸送される。この過程では様々な付随タンパク質が関与し、受容体の適切な折りたたみ、組み立て、輸送を保証する。

特に重要なのがGEPHYRIN(ゲフィリン)と呼ばれる足場タンパク質である。ゲフィリンはGABAA受容体(特にα2サブユニット含有型)と微小管やアクチン細胞骨格を橋渡しし、受容体のシナプス後膜への係留を安定化させる。Jacobら(2008)の研究は、ゲフィリンと受容体の相互作用が抑制性シナプス可塑性の基盤となることを示している。

また、受容体のエンドサイトーシスとエキソサイトーシスのバランスも重要な調節ポイントである。クラスリン依存性エンドサイトーシスを介したGABAA受容体の内在化は、AP2アダプタータンパク質複合体との相互作用により制御され、この過程は受容体サブユニットのリン酸化状態に強く依存する(Luscher et al., 2011)。

翻訳後修飾としては、リン酸化に加え、ユビキチン化、パルミトイル化、SUMOylationなどが受容体機能調節に関与している。特にパルミトイル化はGABAA受容体のγ2サブユニットに対して行われ、シナプス集積と安定性に影響を与える(Fang et al., 2006)。

最近の研究では、特定のマイクロRNAによるGABA系構成要素の発現制御も明らかになりつつある。例えば、miR-132は興奮性/抑制性バランスの調節にGAD67発現を介して関与することが示唆されている(Huang et al., 2015)。

ミトコンドリアGABA代謝と神経エネルギー産生の意外な関連

GABAがシナプス伝達を超えた役割を担っていることを示す証拠が集積している。特に注目されるのが、ミトコンドリアにおけるGABA代謝とエネルギー産生の関連である。

前述のGABAシャントはミトコンドリア内で進行し、クエン酸回路と連結している。しかし、このシャントは単なる代謝経路以上の意味を持つ。Bak et al.(2006)の研究は、GABAシャントが特に高いエネルギー要求状態での効率的なATP産生に寄与することを示した。具体的には、ピルビン酸からアセチルCoAへの変換を触媒するピルビン酸脱水素酵素複合体の活性が制限される状況下で、GABAシャントがクエン酸回路へのカーボンエントリーを提供する代替経路として機能する。

さらに興味深いことに、抑制性神経伝達を担うGABA作動性ニューロンは、興奮性ニューロンに比べてミトコンドリア密度が高いことが観察されている。この現象は、高頻度発火を特徴とするパルブアルブミン陽性インターニューロンで特に顕著である(Kann et al., 2014)。これらのニューロンは代謝率が高く、酸化的リン酸化に大きく依存しているため、GABAシャントを介したエネルギー産生経路の効率化が機能的に重要であると考えられる。

また、神経細胞におけるミトコンドリア機能障害はGABAシャントの効率低下を引き起こし、これが興奮毒性や神経変性に寄与する可能性も示唆されている。実際、様々な神経変性疾患モデルにおいてGABAエルギクス機能の異常が報告されており、例えばハンチントン病モデルではGAD67発現低下とGABA濃度減少が観察されている(Maddock & Buonanno, 2001)。

GABA-Aと他の受容体のクロストーク:統合的シナプス信号伝達

神経伝達の複雑性を理解する上で重要なのが、異なる受容体システム間の相互作用である。GABAA受容体は、他の神経伝達物質受容体と多様なクロストークを形成しており、これが情報処理の精密な調節を可能にしている。

特に注目すべきは、GABAA受容体とNMDA型グルタミン酸受容体(NMDAR)間の相互作用である。NMDAR活性化によるカルシウム流入は、カルシニューリンなどのホスファターゼを活性化し、GABAA受容体のリン酸化状態を変化させる。これにより、GABAA受容体のトラフィッキングと機能特性が修飾される(Chen et al., 2006)。逆に、GABAA受容体による過分極は、NMDAR活性化に必要な脱分極を阻害することでグルタミン酸シグナルを抑制する。

さらに、両受容体は物理的にも近接して存在することがある。膜マイクロドメイン(脂質ラフトなど)内でのGABAA受容体とNMDARの共局在が報告されており、これが「局所的」シグナルクロストークを可能にしている(Li et al., 2007)。

内因性カンナビノイド(eCB)システムとのクロストークも興味深い。eCBは主にシナプス後細胞から「逆行性」に放出され、前シナプスCB1受容体に作用してGABA放出を抑制する(DSI: depolarization-induced suppression of inhibition)。一方、特定条件下ではGABAB受容体活性化がeCB産生を促進することも示されており、両システムの複雑な相互調節が示唆されている(Katona & Freund, 2008)。

セロトニン受容体(特に5-HT3)とGABAA受容体間の相互作用も報告されている。両受容体は特定の神経回路において共発現しており、セロトニンシグナルがGABA作動性伝達を修飾することで、不安や気分調節に関与することが示唆されている(Moragues et al., 2003)。

新規アロステリック調節部位と革新的治療標的

GABAシステムを標的とした治療薬開発において、最も伝統的なアプローチはベンゾジアゼピン部位を介したGABAA受容体機能の正の調節である。しかし、鎮静、認知機能低下、依存性などの副作用が臨床使用を制限している。この限界を克服するため、近年の研究は受容体の新規アロステリック調節部位の探索に焦点を当てている。

特に注目されるのが、α+/β-インターフェイスに存在するエタノール感受性部位である。このサイトを標的とする化合物は、α1サブユニット含有受容体に選択的に作用する可能性があり、不安と鎮静作用の分離という薬理学的「聖杯」の実現に寄与し得る(Wallner et al., 2014)。

神経ステロイド結合部位も重要な治療標的である。内因性神経ステロイドであるアロプレグナノロンは、主にδサブユニット含有GABAA受容体に作用してトニック抑制を増強する。2019年、治療抵抗性産後うつ病治療薬としてブレキサノロン(合成アロプレグナノロン)がFDA承認を受け、神経ステロイド結合部位を標的とした初の治療薬となった(Meltzer-Brody et al., 2018)。

GABAA受容体のα5サブユニットを標的とした逆作動薬も、認知機能向上薬として有望である。α5サブユニットは海馬に豊富に発現しており、そのネガティブアロステリック調節は学習と記憶を促進することが動物実験で示されている(Atack, 2011)。しかし、発作リスク増大という安全性課題が臨床開発を複雑にしている。

さらに革新的なアプローチとして、受容体のシナプス移行と安定化に関与するタンパク質(ゲフィリン、GABARAP、コリビスチンなど)を標的とした創薬が考えられる。これらは抑制性シナプス形成を選択的に調節し、興奮/抑制バランスの微調整を可能にする新たな治療パラダイムとなり得る(Hines et al., 2018)。

結論と展望:静寂の分子基盤からの洞察

GABAシステムの分子生物学的理解は、過去数十年で飛躍的に進展した。単一の抑制性伝達物質という単純なモデルから、発達段階特異的作用、部位特異的機能、そして多様な調節機構を持つ複雑システムという包括的理解へと進化している。

現在の研究前線では、特にGABAA受容体のナノスケール局在や動態に注目が集まっている。超解像顕微鏡技術の進歩により、これらの受容体がシナプス内でクラスター形成し、活動依存的に再配置されることが明らかになりつつある(Specht et al., 2013)。また、単一分子解析によって、GABA受容体の潜在的な構造的柔軟性と動的挙動が解明されつつある(Hannan et al., 2020)。

機能的側面では、GABA系の神経回路特異的役割の理解が深まっている。光遺伝学的手法とGABAニューロンサブタイプ特異的マーカーの組み合わせにより、異なるGABAニューロン集団が行動や認知機能に対して特異的寄与をすることが明らかになりつつある(Kepecs & Fishell, 2014)。

臨床応用の観点からは、GABA系の分子理解が様々な神経精神疾患の病態解明や治療法開発に貢献している。自閉症スペクトラム障害、統合失調症、気分障害など、多くの疾患でGABA機能異常が報告されており、これらは「興奮/抑制不均衡仮説」という統合的フレームワークで考察されることが多い(Nelson & Valakh, 2015)。

将来的には、GABA系の分子理解がさらに進み、患者の遺伝的背景や病態に基づいた個別化医療へと発展することが期待される。例えば、GABAA受容体サブユニット遺伝子(GABRA)の特定変異と薬剤応答性の関連が明らかになりつつあり、これが薬物選択の指針となり得る(Kim et al., 2020)。

静寂のシグナルであるGABAの分子的理解は、脳機能の根幹に位置する興奮と抑制のバランスという基本原理への洞察を提供し続けるだろう。その臨床応用の可能性は、現在の神経科学の最も活発な研究領域の一つとなっている。

参考文献

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