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脂質異常症の過剰診断と医療化が招く問題の真実

第4部:医療制度と脂質異常症治療の問題構造 — 数値管理社会の真実

「健康」を数値で測る社会

「谷口さん、LDLコレステロールが142で基準値をオーバーしていますね。スタチンを処方しましょうか」

健診後の内科外来でこうした会話が日々繰り広げられている。血中脂質の数値に基づいて、健康か病気かの線引きがなされ、治療の要否が決定される。この一見科学的で合理的なプロセスの背後には、制度設計、経済的インセンティブ、専門家集団の影響力といった複雑な社会構造が存在する。

現代医療では測定可能な数値が偏重される。なぜなら、数値は客観的に見え、記録しやすく、比較や管理が容易だからだ。しかし、真の健康とは血液検査の数値だけで定義できるものだろうか?質的な側面—幸福感、充実感、社会的つながり、身体機能の維持—はどこに位置づけられるのか?

1970年代以降、単なる「リスク因子」だったコレステロール値の高さが、徐々に「治療すべき疾患」へと医療制度内で変質してきた。この変化は自然発生的ではなく、健診制度の拡充、診療報酬体系の設計、医学教育の方向性、製薬産業の発展という複数の力が合わさって生み出された構造的現象である。

国立循環器病研究センターの統計によれば、日本の約2,000万人が「脂質異常症」と診断されている。つまり成人の約4人に1人が「病気」とみなされているのだ。これは本当に「疾患の蔓延」なのか、それとも「正常の再定義」によるものなのか。この問いから目を逸らしたまま、医療制度の問題を考えることはできない。

検査値から診療報酬まで:数値管理の制度化

健診で「異常値」が見つかると、ほとんど自動的に診療・治療のプロセスが始動する。この流れは医学的合理性だけでなく、診療報酬制度によって強化されている。

日本の医療制度では「生活習慣病管理料」という報酬項目があり、高血圧や脂質異常症などの慢性疾患を継続管理すると医療機関に月額点数が支払われる。2022年の診療報酬改定では、糖尿病透析予防指導管理料などとともに評価が見直され、「継続的な管理」へのインセンティブが強化された。

「管理料」は一見合理的だが、隠れたメッセージがある。医療機関は患者を「管理」し続けることで収入を得るため、状態が改善して「卒業」させるインセンティブが乏しい。また、より多くの「指導対象者」を見つけることが直接的に収益につながる構造があり、「正常」の範囲を狭める圧力となりうる。

米国の状況はさらに明示的だ。2003年のMedicare Modernization Actにより、医師はコレステロール検査と脂質低下薬の処方に対して報酬上のボーナスを得られるようになった。その結果、法改正後2年間で検査実施率と処方率がともに約30%上昇したという研究結果がある。

より最近の傾向として、業績評価指標(KPI)の導入がある。医師の「パフォーマンス」を数値で評価する仕組みだ。米国ではACO(Accountable Care Organization)モデルの下、医師の収入がLDLコレステロール目標達成率などの「質指標」に連動するシステムが広がっている。英国のQOF(Quality and Outcomes Framework)でも同様に、脂質管理を含む複数の指標達成度が診療所報酬に影響する。

ここで立ち止まり、根本的な問いを投げかけるべきだろう:患者の真の健康増進と、測定可能な指標達成は常に一致するのか?そして医療者はどちらに対して責任を負うべきなのか?

専門家合意の解剖:ガイドラインの政治学

「ガイドラインに書いてあるから」—この言葉で医療現場での議論は終結することが多い。しかし、誰がどのようにガイドラインを作成しているのかについて、患者も医療者も十分に意識していないのではないか。

脂質異常症ガイドラインの形成過程には、科学的判断だけでなく、政治的・経済的要素が複雑に絡み合う。2013年の米国心臓協会(AHA)/米国心臓病学会(ACC)ガイドライン作成委員15名中、少なくとも8名が脂質低下薬製造企業との財政的関係があったことが報告されている。同様に、欧州心臓病学会(ESC)の2019年脂質ガイドラインでも、作成委員の過半数に製薬企業との利益相反があった。

日本の状況も例外ではない。動脈硬化学会のガイドライン委員の多くが、スタチンなど脂質低下薬を製造する企業から研究費・講演料を受領している。これは違法でも非倫理的でもないが、ガイドライン形成過程における潜在的バイアスの源となりうる。

より構造的な問題は委員選定プロセスにある。ガイドライン委員は通常、当該分野の「専門家」から選ばれるが、この「専門性」自体が循環論法的だ。脂質研究を長年行い、多くの論文を発表している研究者が選ばれるが、そうした研究自体が製薬企業の資金提供で可能になっていることが多い。

結果として、脂質研究に懐疑的な立場の研究者や、生活習慣介入を専門とする研究者がガイドライン委員に選ばれる可能性は構造的に低くなる。これは悪意ある陰謀ではなく、専門分野の形成プロセスに内在する自然な帰結だが、ガイドラインの方向性に確実に影響を与える。

産学連携には両義性がある。製薬企業の資金は重要な医学研究を可能にし、新薬開発を促進する。同時に、その関係が知見の解釈に微妙な影響を与える可能性も否定できない。透明性の確保は重要だが、単に「関係があること」を開示するだけでは不十分だ。その関係が判断にどう影響するかを評価する仕組みが必要である。

「病気」の境界線:医療化のメカニズム

健康診断の受診者の多くは、「基準値を外れている=病気である」と単純に理解している。しかし、脂質異常症は本質的に「病気」というより「リスク状態」だ。症状はなく、それ自体で生活の質を損なうわけでもない。存在するのは将来の心血管イベントリスク上昇という統計的関連性だけだ。

この「リスク状態」の「疾患」への変容は、医療人類学者が「医療化(medicalization)」と呼ぶ現象の典型例である。健康と疾患の境界線が拡大し、以前は生活の正常なバリエーションとされていた状態が、医学的介入の対象となる過程だ。

診断基準の歴史的変遷を見ると、「異常」とされる閾値が継続的に引き下げられてきた明らかなパターンがある。脂質異常症の場合、総コレステロールの「異常」閾値は1950年代の300mg/dL以上から、現在の220mg/dL以上(日本)へと大幅に引き下げられた。

この閾値引き下げには科学的根拠と非科学的要因の両方が関与している。科学的には、より低い値での介入効果を示す研究データの蓄積がある。非科学的には、製薬産業の利益最大化戦略、医療専門家の領域拡大意欲、保険会社の介入指針、社会全体の「予防志向」の高まりなどが影響している。

閾値引き下げの最大の問題は「過剰診断(overdiagnosis)」だ。オーストラリアのレイ・モイニハンは過剰診断を「実際には害をもたらさなかったであろう状態の診断」と定義し、重大な医療倫理問題として指摘した。

脂質異常症の文脈では、LDL値140mg/dLの50歳男性と同じ値の85歳女性は、絶対リスクが大きく異なるにもかかわらず、同じ「脂質異常症」と診断される。また、多くの高齢者は「高LDL血症」と診断されるが、80歳以上ではむしろ高めのコレステロール値が長寿と関連するというパラドックスも報告されている。

過剰診断の問題は、無駄な医療資源の消費にとどまらない。不必要な「患者」ラベルの付与、薬物治療による副作用リスク、疾病不安の増加など、実質的な害をもたらす可能性がある。医療の根本原則である「害を与えるな(primum non nocere)」に反する事態が生じうるのだ。

見えないコスト:「予防」の名の下での代償

「予防は治療に勝る」という格言は疑いようのない真実に思えるが、予防介入にも機会費用と潜在的害が伴う。特に無症候性のリスク因子に対する薬物療法という「予防」アプローチには、見えないコストが存在する。

イギリスのNICE(National Institute for Health and Care Excellence)の分析によれば、脂質低下療法の費用対効果は対象集団により大きく異なる。心血管疾患の既往がある「二次予防」患者では費用対効果が高いが、低リスクの「一次予防」集団では費用対効果比が悪化する。

日本の医療費は年間約44兆円、そのうち薬剤費は約9兆円を占める。脂質低下薬(スタチン、PCSK9阻害剤など)の市場規模は約3,000億円と推計される。この巨額の支出が社会全体の健康アウトカム最大化という観点から最適な資源配分なのか、根本的な疑問がある。

3,000億円という金額は、全国の保健師数を倍増させる規模であり、また学校給食の質を大幅に向上させられる額でもある。これらの代替的健康投資が、薬物療法より大きな人口レベルの健康利益をもたらす可能性は十分考えられる。

「予防」という言葉には強い政治性がある。「予防」は否定しにくい善とされるため、批判的検討が阻まれる傾向がある。しかし実際には、あらゆる医療介入と同様に、予防的介入にも機会費用と潜在的害が伴う。「予防」という言葉が思考停止を招き、冷静な費用対効果分析を妨げている側面は看過できない。

このように医療制度を批判的に見ることで初めて、数値管理という単純化されたモデルに依存する現代医療の盲点が見えてくる。では、どのような代替アプローチが可能だろうか?

数値管理を超えて:代替的アプローチの模索

現行の脂質異常症管理モデルに代わる、より統合的なアプローチの可能性を考えてみよう。これは既存医療の全面否定ではなく、その限界を認識した上での発展的提案だ。

全体論的健康評価へのシフト

血液検査値よりも生活環境全体を評価軸にする転換が必要だ。食事の質、身体活動のパターン、睡眠の質、ストレス管理、社会的繋がりなど、真の健康に寄与する多面的要素を総合的に評価する視点を中心に据える。

デンマークでは「健康センター」と呼ばれる施設が各自治体に設置され、従来の医療的アプローチではなく、コミュニティ活動、料理教室、グループエクササイズなど、生活全体を支援するプログラムを提供している。これらのセンターでは、医療職と福祉職が協働し、「数値の改善」ではなく「生活の質向上」を目標にしている。驚くべきことに、参加者の脂質プロファイルも改善するが、それは直接の目標ではなく、全体的な生活の質向上の副産物として位置づけられている。

診療報酬制度の革新的改革

現行の「出来高払い」と「管理料」の組み合わせは、介入の量を増やすインセンティブを生む。代替案としては、「健康アウトカム報酬制度」が考えられる。この制度では、個別の医療行為ではなく、担当集団の健康指標改善(機能的自立度、生活の質スコア、入院回避など)に応じて医療機関に報酬が支払われる。

オランダで試験的に導入されているこのモデルでは、不必要な介入を減らしつつ、真に価値ある医療行為を促進する効果が報告されている。特筆すべきは、医師と患者の関係性も改善し、患者満足度と医師の職業満足度がともに向上したことだ。

コミュニティベースの予防医学

医療機関完結型の健康管理から、地域社会を基盤とする健康創造へのシフトも重要だ。脂質代謝の改善は、必ずしも診療所や病院という医療空間の中だけで達成されるべきものではない。

フィンランドの北カレリアプロジェクトは、1970年代に心血管疾患が多発する地域で始まった地域ぐるみの予防プログラムだ。医療専門家、学校、食品店、農家、メディア、政治家が協働し、食環境改善と身体活動促進のための総合的アプローチを展開した。30年間の追跡調査では、心血管死亡率の80%減少という劇的成果が達成された。

このプロジェクトの特筆すべき点は、個人の「数値改善」ではなく、健康的選択を容易にする環境づくりに焦点を当てたことだ。住民は「患者」としてではなく、健康創造の主体として位置づけられた。こうしたアプローチは脂質異常症を含む生活習慣病予防の新しいモデルを示唆している。

健康リテラシー教育の抜本的強化

現代社会では、複雑な健康情報を批判的に評価し、自分自身の健康に関する意思決定を行う能力が不可欠だ。しかし現在の学校教育では、基本的な生物学や栄養学は教えても、医療情報の批判的評価や健康決定の自律的判断能力を育てる教育は不十分である。

フィンランドでは、中等教育において「健康情報の批判的評価」を正式なカリキュラムに組み込み、若年層のヘルスリテラシー向上に成功している。生徒たちは健康情報源の信頼性評価、統計データの解釈、リスクとベネフィットの比較など、実践的なスキルを学ぶ。このアプローチは、「医療専門家の言うことに従う」という受動的モデルではなく、「情報に基づいて自ら判断する」という能動的市民を育成する教育モデルだ。

真の健康への道:価値ある転換

本稿では、脂質異常症を切り口に、現代医療制度の構造的問題を検証してきた。検査値中心主義、診療報酬の歪んだインセンティブ、ガイドライン形成過程の利益相反、病気概念の拡大と医療化、そして「予防」の名の下での過剰医療について考察した。

これらの制度的問題に向き合うことは、既存医療の否定ではなく、より良い医療システムへの進化のために不可欠なプロセスだ。科学的視点と批判的思考を統合し、真に人々の健康に資するシステムへと転換する時期に来ている。

医療の限界を謙虚に認識し、社会全体で健康を支える新しいパラダイムへの転換を、私たちは共に目指すべきではないだろうか。数値管理という狭い枠組みを超え、生きる喜びと人間的成長を含む広義の健康概念に基づく社会の構築が、今求められている。

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