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暗記を熟達させるべき必要性

※Click here to see this article written in Japanese.

The Necessity of Mastering Memorization
※Click here to see this article written in English. For some time, I have pondered the difference between individuals wh...

 

以前から人間的に魅力を感じる人とそうでない人の違いについて考えていた。結局のところ主観的な判断に帰着するのだが、私が重要と考える要素の一つを紹介したい。

私たちが初めて取り組むことや緊張して取り組むことにおいて、自信の欠如によるパフォーマンス低下が頻発することが見受けられる。まずは初等教育の過程を検証するが、識字率向上や普遍的価値観の醸成により、社会生活を流動的に行うための画一的人間を増やすという観点から見れば、従来の学校教育は成功を収めたと言える。しかし、基盤となる「勉学」に過度に時間を割きすぎたきらいがある。戦後のインフラ整備ならば理解できるが、近年においては知識を自主的に取得可能な時代であり、転換点に気付き、段階的に「国数英理社」だけに囚われる学習から脱却すべきであった。

ここで主張したいのは、教育の弊害についてである。現在の20代の私たちは、責任の重い年代であると考える。改革の中心にいる世代として、幼少期に恵まれた世代としての責任である。この世代は従来の教育方法から脱却し、新たな方向性を模索し、即実践すべき状況にあると考える。

学校教育を引き合いに出したのは、質問と解答の準備に関する核心に触れるためである。従来の学校教育は「一つの質問に対して一つの解答」を訓練する構造であり、それも模範解答を求めるものであった。しかし、現代においては、基本的な解答は瞬時に取得可能であり、その答えを知ってからどう使うのか、また、模範解答と違う思考回路に価値があるという段階に移行すべきである。しかし未だに質問と解答のセットを覚える作業に従事している。

 

現代に即して考えると言う場合、それも本質的には良くない言い方である。その時の今に即して考える構造自体が過去の方法論と変わらないからである。未来を見据えて今を決定する習慣が必要であり、多くの人々は一歩遅れている。つまり、時間の方から先にやってきてしまっている。

従来のやり方が完全にダメだと言っているわけではない。今の学校のやり方も基礎として重要であり、今を考え生きるというのも突き詰めれば正しいとわかる。社会で問われることは必ずしも一意的に解決できることばかりではなく、一般的な解答があるからこそ別解が輝くのであり、規則があるからこそ例外が存在する。

問題解決における発想も、インプットした元から外れた思考で繋がるからこそ価値が生じる。そして最も重要なのは、これらが誰でもできることであり、複雑な物事ほど人間が絡んでくる点である。また、多様性という意味では、地球のシステムから考えても重要視する部分であり、人間にも多様性を適用することが考えられる。冒頭で改革の中心にいる世代と記したが、これは改革第一世代としての責任を意味する。本来の第一世代は、集団として機能するには不可能なレベルまで意識を閉ざした人口が多くなり、その中ででも勇者がいた時、彼らの多くは見切りをつけて第一世代が生まれる集団に渡ったからである。つまり、簡単に言えば現代は過渡期の世代であり、本来の世代が移行しきったとき、完璧な改革は第一世代にとって義務として遂行される課題となり、日々模索するはずである。

ハイブリッドが本質である話を見極めるのは重要であり、私たちが使う「今」という言葉は「この瞬間の今」ではなく、先を見据えてからいったん戻って到達すべき目標地を定めた今でなければならない。基本事項がすぐにわかることが、旧世代の一般教養の範疇に収まることだとしても、それを学ばない理由にはならない。情報が加速度的に更新される現代において、基本事項を調べて対応しているだけでは流動的または動的な現象に対応できない。

以上の前提のもと、私が主張したいことは以下の3点である。

  1. 解答を吟味し、蓄積すること(対等化の必須条件)
  2. 吟味した解答を暗記し、体系化すること(コントロール性の円滑化)
  3. 正しいとされることを意図的に疑い、より適切な信念や言葉を発見し覚え、使用・体感できるようになること(崩壊の自由化)

この3つを同列に扱って過ごせるようになることが重要である。いかなる理由や環境、条件があろうとも、流動的または動的な現象には対応しきれない理由がある限り、ストックは作り続ける必要がある。そして、それが古くなっていないか、今適応できる情報なのかを自己で質問し、解答を吟味する確認作業によって信念を積み上げるほかないのである。

したがって、大人になってから、特に20歳以上のすべての人は自分自身に以下のことを問いかけるべきである。

「普段から質問に対する解答を準備しているだろうか?」

多くの人が「No」と答えることが予想される。これは由々しき事態だが、逆にチャンスが多く眠っているとも言える。「20歳以上のほとんどの人が同じ解答しか出せない」という状況から一歩出るだけで特異的かつ独特な存在になれるのである。

その年代のほぼすべての人が「質問と解答のセット」を幼少期に何度も経験してきたエキスパートであり、無意識に模範解答を持っている。そこに少しアレンジを加えるだけでよい。解答までセットなら、もう一歩先の解答までセットで用意し、使用可能なレベルにまで落とし込む工夫をするべきである。その解答がユニークであるほど、意外と思われるほど魅力は逓増していく。

日常的な質問や挨拶に対して、みんなが使う模範解答で反射的に返すことは損であるという感覚が想像できるだろうか。

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