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バイリンガルの「残存抑制」を克服!脳の言語切り替えコスト最小化法

第6部:多言語話者の脳と言語処理システム:言語間ネットワークの認知科学

「日本語で考えていたのに、突然フランス語の単語が浮かんできた」「ドイツ語を話そうとしたら英語が混じってしまう」—こうした経験は多言語話者にとって馴染み深いものだろう。私たちの脳はどのようにして複数の言語を管理し、必要な時に適切な言語を選択しているのだろうか。前章では発話生成の認知プロセスと自動化について検討したが、本章ではその視点を拡張し、複数言語を操る脳の特性に焦点を当てる。バイリンガルやマルチリンガルの脳内では、言語はどのように表象され、制御されているのか。多言語使用は認知機能にどのような影響を与えるのか。そして、言語間の干渉はどのようなメカニズムで抑制されるのか。本稿では、神経言語学、認知心理学、第二言語習得研究の知見を統合し、多言語話者の脳と言語処理システムについて多角的に考察する。

I. バイリンガル・マルチリンガルの神経基盤:言語制御ネットワーク

複数の言語を操る脳は、単一言語話者の脳とどのように異なるのだろうか。この問いに対する神経科学的アプローチの先駆者であるParadis(2004)は、「単一言語脳と多言語脳の差異は量的なものであり、質的なものではない」という基本的視点を提示した。すなわち、多言語話者の脳では基本的に単一言語話者と同じ神経回路が利用されるが、それらの活性化パターンやネットワーク間の相互作用に差異が生じるというのである。

しかし、Abutalebi & Green(2007, 2016)の一連の研究は、この単純な見方を超えて多言語脳の特異性を示している。彼らが提案する「バイリンガル言語制御のニューロコグニティブモデル」(Neurocognitive Model of Bilingual Language Control)によれば、多言語使用者の脳では、一般的な実行制御機能を担う神経回路と言語処理を担う回路が密接に連携し、特有の「言語制御ネットワーク」を形成している。このネットワークは主に以下の脳領域から構成される:

  • 前頭前皮質(prefrontal cortex):目標指向的行動の制御
  • 前帯状皮質(anterior cingulate cortex):競合監視と干渉検出
  • 基底核(basal ganglia):不適切な反応の抑制と行動選択
  • 下頭頂小葉(inferior parietal lobule):言語切り替えの制御
  • 視床(thalamus):言語アクセスの調整

これらの脳領域は、言語切り替えや干渉抑制といった多言語特有の認知的要求に対応するために協調的に機能する。特に注目すべきは、これらの領域の多くが言語特異的ではなく、より一般的な認知制御にも関与する点である。この発見は、言語制御と一般的な認知制御が共通の神経基盤を持つことを示唆している。

この神経基盤についての知見は、Marian et al.(2014)のfMRI研究によってさらに発展した。彼らは、バイリンガルが言語切り替えタスクを行う際の脳活動を詳細に分析し、言語モード(単一言語モードvs.二言語モード)によって活性化パターンが異なることを示した。具体的には、二言語モード(両言語の活性化が求められる状況)では、左背外側前頭前皮質(left dorsolateral prefrontal cortex)と左尾状核(left caudate nucleus)の活性化が顕著に増加する。これは、複数の言語システム間の切り替えや競合解決に、これらの領域が重要な役割を果たすことを示唆している。

神経解剖学的研究からは、多言語使用による脳の構造的変化も報告されている。Pliatsikas et al.(2020)の最新の縦断的MRI研究によれば、集中的な第二言語学習を行った成人においても、灰白質密度(特に左側頭葉と基底核)の増加や、白質繊維(特に脳梁と上縦束)の構造的変化が観察される。これらの変化は、新たな言語習得に伴う神経可塑性を示すものであり、成人期においても言語学習による脳の構造的適応が可能であることを示唆している。

言語表象の局在性については、古典的な「重複仮説」と「分離仮説」の間で長年議論が続いてきた。前者は複数言語が共通の神経基盤を共有するという立場であるのに対し、後者は各言語が脳内で分離して表象されるという立場である。この二項対立に対し、Perani & Abutalebi(2005)は「言語熟達度仮説」(language proficiency hypothesis)を提案した。この仮説によれば、言語処理の神経基盤は言語熟達度によって動的に変化する。具体的には、L2の熟達度が低い段階では、L1とL2の処理は異なる神経回路に依存する傾向があるが、熟達度が向上するにつれて両言語の神経基盤が収束していくという。

Green & Abutalebi(2013)の「適応制御仮説」(Adaptive Control Hypothesis)は、多言語話者の言語制御を状況依存的観点から捉え直した画期的モデルである。彼らによれば、言語制御要求は言語使用コンテキストによって大きく異なる。例えば、「単一言語コンテキスト」(各言語が明確に分離された環境)では言語切り替え要求が最小限であるのに対し、「二言語コンテキスト」(会話内で言語切り替えが生じる環境)や「密集的コード切り替えコンテキスト」(文内でも頻繁に言語が切り替わる環境)では、より複雑な制御メカニズムが要求される。彼らの最新研究(Abutalebi & Green, 2016)によれば、言語制御ネットワークの活性化パターンはこれらのコンテキストに応じて適応的に変化し、この適応能力の個人差が言語切り替え効率の違いをもたらすという。

言語制御と認知制御の関連性については、異なる見解も存在する。Calabria et al.(2018)は、両者の間に部分的な乖離が存在する可能性を示唆している。彼らの二重課題実験では、言語切り替えの負荷が必ずしも非言語的切り替え課題のパフォーマンスに影響しないケースが観察された。これは、言語切り替えに特化した制御メカニズムが存在する可能性を示唆するものである。しかし、この知見については、課題特性や被験者の言語背景による影響が指摘されており、結論は未だ収束していない。

神経言語学的見地からの言語制御メカニズムに関する最新の統合モデルとして、Branzi et al.(2022)の「多層制御モデル」(Multi-level Control Model)が注目される。このモデルは、言語制御を単一のメカニズムではなく、少なくとも三つの異なるレベル—概念レベル、語彙レベル、音韻レベル—での協調的制御プロセスとして捉える。各レベルは部分的に独立した制御メカニズムを持ちながらも、最終的な言語産出のために階層的に統合される。このモデルの強みは、fMRI研究で観察される脳活性化パターンの複雑性と、行動実験で報告される言語切り替え現象の多様性を統一的に説明できる点にある。

II. バイリンガリズムと認知機能:利点と挑戦

多言語を操ることは、言語能力以外の認知機能にどのような影響を与えるのだろうか。この問いは、「バイリンガル優位性」(bilingual advantage)をめぐる活発な議論を生み出してきた。

Bialystok(2009, 2017)の先駆的研究は、バイリンガリズムと実行機能(executive functions)の関連性に光を当てた。彼女の研究によれば、バイリンガルは抑制制御(inhibitory control)、認知的柔軟性(cognitive flexibility)、注意の切り替え(attentional switching)などの実行機能において優位性を示す傾向がある。この優位性は、バイリンガルが常に複数の言語システムを管理し、状況に応じて適切な言語を選択・抑制するという日常的経験から発達すると考えられる。

特に注目すべきは、これらの認知的優位性が非言語的課題においても観察される点である。例えば、Bialystok et al.(2008)のサイモン課題実験では、バイリンガルの子どもと高齢者が単一言語話者よりも干渉抵抗性(interference resistance)において優れたパフォーマンスを示した。同様に、Costa et al.(2008)のANT(Attention Network Test)実験では、バイリンガルは特に注意制御システムの効率性において優位性を示した。これらの結果は、言語処理システムの管理経験が一般的な認知制御能力に転移する可能性を示唆している。

しかし、このバイリンガル優位性については、近年批判的見解も増加している。de Bruin et al.(2015)のメタ分析は、出版バイアス(有意な結果が優先的に出版される傾向)を考慮すると、バイリンガル優位性の効果サイズが従来の報告よりも小さい可能性を指摘している。さらに、Paap & Greenberg(2013)の研究では、様々な実行機能課題においてバイリンガルと単一言語話者の間に有意な差が見られなかったことが報告されている。

この対立する知見に対し、Valian(2015)は「スペクトラム理論」(spectrum theory)を提案している。この理論によれば、バイリンガリズムは認知的優位性をもたらす多数の要因の一つに過ぎず、その効果は年齢、教育、社会経済的地位、他の認知的活動(音楽演奏、ビデオゲームなど)といった変数との相互作用によって変調される。この視点は、バイリンガル優位性の有無を二項対立的に捉えるのではなく、個人の認知的プロファイル全体の中でバイリンガリズムの効果を位置づける重要性を示唆している。

バイリンガル優位性の効果が特に顕著に現れるのは、認知的加齢に対する「保護効果」(protective effect)である。Bialystok et al.(2007)の研究によれば、生涯バイリンガルの高齢者は、認知症の発症が単一言語話者よりも平均4-5年遅延する傾向がある。この保護効果は、言語切り替えの経験が「認知的予備力」(cognitive reserve)を強化し、脳の構造的変化に対する機能的補償能力を高めるためと考えられている。

Grundy & Timmer(2017)の最新研究は、バイリンガリズムの効果を「神経効率性」(neural efficiency)の観点から再解釈している。彼らの事象関連電位(ERP)研究によれば、バイリンガルは単一言語話者と比較して、特定の認知課題において脳の活性化レベルが低い(より効率的)ことが示された。これは、バイリンガルの脳がより少ないリソースでより効率的に処理を行う可能性を示唆している。

バイリンガリズムのもう一つの重要な側面は、「メタ言語意識」(metalinguistic awareness)への影響である。Jessner(2008)の「メタ言語発達理論」(Theory of Metalinguistic Development)によれば、複数言語の経験は言語の形式的側面(音韻、統語、語用など)への意識的注意を促進し、これが新たな言語学習において有利に働く。Bialystok & Barac(2012)の実証研究では、バイリンガルの子どもが音韻意識、構文意識、語用意識などの側面で単一言語話者よりも優れたパフォーマンスを示すことが確認されている。

一方、バイリンガリズムがもたらす認知的「コスト」も無視できない。Gollan et al.(2008)の研究によれば、バイリンガルは単一言語話者と比較して、各言語における語彙アクセス速度が遅く、語想起困難(tip-of-the-tongue phenomena)をより頻繁に経験する傾向がある。これは、複数言語間の競合が語彙アクセスに干渉するという「頻度累積効果」(frequency-lag hypothesis)によって説明される。つまり、バイリンガルは各言語の使用頻度が必然的に低くなるため、語彙項目の活性化閾値が高くなるというのである。

この「弱点」は、Bialystok(2017)が指摘するように、バイリンガルの「認知スタイル」の特性と捉えることもできる。すなわち、バイリンガルは言語処理において「広範な注意配分」(broad attentional allocation)を行う傾向があり、これが語彙アクセスの効率性を低下させる一方で、文脈活用能力や非言語的手がかりの利用能力を高める可能性がある。

バイリンガリズムの影響は言語処理と認知制御にとどまらない。Pavlenko(2012)の「情動と多言語性」研究によれば、異なる言語は異なる情動的共鳴を持ち、バイリンガルの情動反応や自己認識にも影響を与える。特に興味深いのは、第二言語が「情動的距離化」(emotional distancing)をもたらす効果であり、これが道徳的判断や意思決定にも影響を及ぼす可能性が指摘されている。Costa et al.(2014)の実験では、外国語での道徳的ジレンマ判断が母語での判断よりも功利主義的になる傾向が観察された。この現象は、第二言語処理における情動的関与の低減と、それに伴う分析的処理の優位性によって説明されている。

バイリンガル優位性研究の最新動向としては、Grundy et al.(2017)の「バイリンガル経験適応モデル」(Bilingual Experience Adaptive Model)が注目される。このモデルは、バイリンガリズムの効果を静的な「あるかないか」ではなく、言語経験の質と量に依存する動的な過程として捉え直す。彼らの縦断研究によれば、バイリンガリズムの認知的影響は、使用頻度、切り替え頻度、言語間の類似性、使用コンテキストの多様性などの要因によって変調され、これらの要因の組み合わせが個人固有の「バイリンガル経験プロファイル」を形成するという。

III. 言語間干渉と抑制メカニズム:認知モデル

複数言語を操る話者にとって避けられない課題の一つが「言語間干渉」(cross-linguistic interference)の管理である。私たちの脳はどのようにして必要な言語を選択し、他の言語からの干渉を抑制しているのだろうか。

この問題に対する主要な理論的枠組みとして、Green(1998)の「抑制制御モデル」(Inhibitory Control Model)がある。このモデルの中核的主張は、言語選択が単なる目標言語の活性化ではなく、非目標言語の積極的抑制を伴うという点にある。つまり、フランス語で話そうとする日本語-フランス語バイリンガルは、フランス語を活性化するだけでなく、日本語を抑制する必要があるのである。この抑制プロセスは注意資源を消費するため、特に熟達度の高い言語(通常は母語)を抑制する際により大きな認知的コストがかかるとされる。

この理論を支持する重要な証拠が、Meuter & Allport(1999)の「言語切り替えコスト非対称性」(asymmetrical switch cost)の発見である。彼らの実験では、L1→L2への切り替えよりもL2→L1への切り替えの方が大きな時間的コスト(反応時間の遅延)を伴うことが示された。この一見逆説的な現象は、L1を抑制するために必要な抑制の強さが大きいため、その抑制を解除するのにより多くの時間がかかるという「残存抑制」(residual inhibition)によって説明される。

この言語間抑制メカニズムの神経基盤については、de Bruin et al.(2014)のfMRI研究が重要な知見を提供している。彼らの実験では、言語切り替え時に前帯状皮質と左背外側前頭前皮質の活性化が観察され、特にL2→L1の切り替え時にその活性化が強まることが示された。これは、これらの脳領域が言語間抑制に関与することを示唆している。

しかし、言語切り替えメカニズムについては代替的モデルも提案されている。Costa & Santesteban(2004)の「言語特異的選択メカニズム」(language-specific selection mechanism)によれば、高度なバイリンガルは抑制に依存せず、言語に特化した選択メカニズムを発達させる可能性がある。彼らの実験では、高度なバイリンガルにおいて言語切り替えコストの非対称性が消失または逆転する現象が観察された。これは、熟達度の向上に伴い、言語制御メカニズムそのものが質的に変化することを示唆している。

Kroll & Gollan(2014)の「改訂階層モデル」(Revised Hierarchical Model)は、バイリンガルの語彙表象と言語間干渉をさらに精緻に説明している。このモデルによれば、L1とL2の語彙は別個のシステムとして表象されるが、両者は共通の概念システムに接続されている。L1語彙から概念へのリンクは強固である一方、L2語彙から概念へのリンクは比較的弱く、初期段階ではL1語彙を経由する傾向がある。この非対称的構造が、バイリンガルにおける翻訳の方向性効果(L1→L2より L2→L1の方が速い)や干渉パターンを説明する。

言語間干渉は語彙レベルだけでなく、統語レベルでも生じる。Hartsuiker et al.(2004)の「共有統語表象モデル」(shared syntax account)によれば、類似した統語構造は言語間で共有表象を持つ可能性がある。この仮説を支持する証拠として、「統語プライミング」(syntactic priming)効果が言語間でも観察される現象が挙げられる。例えば、スペイン語で受動態を処理した後、英語でも受動態が産出されやすくなるという現象である。この知見は、言語間干渉が単なる「ノイズ」ではなく、言語処理の効率化に貢献する側面も持つことを示唆している。

音韻レベルでの言語間干渉については、Amengual(2012)の研究が重要な知見を提供している。彼の音響分析研究によれば、バイリンガルの音韻カテゴリーは単一言語話者のそれと比較して「混成的」(hybrid)特性を示す傾向がある。例えば、スペイン語-英語バイリンガルの/t/の音響的特性は、単一言語話者のスペイン語/t/と英語/t/の中間的値を示すことが多い。この現象は、言語間の音韻干渉が完全に抑制されるわけではなく、むしろ音韻システム間の「収束」(convergence)として現れることを示唆している。

言語間干渉の管理においては、「言語モード」(language mode)の概念も重要である。Grosjean(2008)によれば、バイリンガルは状況に応じて「単一言語モード」(一方の言語のみが高度に活性化)から「バイリンガルモード」(両言語が活性化)までの連続体上のどこかに位置づけられる。言語モードは会話相手、社会的文脈、コミュニケーション目的などによって動的に変化し、これが言語間干渉の程度にも影響を与える。Wu & Thierry(2013)のERP研究は、この理論的枠組みに神経生理学的証拠を提供している。彼らの実験では、言語文脈の操作(単一言語vs.混合言語)によって、非目標言語の自動的活性化レベルが変化することが示された。

言語間干渉と抑制メカニズムに関する最新の統合的見解として、Calabria et al.(2018)の「ダイナミック制御モデル」(Dynamic Control Model)が挙げられる。このモデルによれば、言語制御は単一の抑制メカニズムではなく、少なくとも三つの異なるプロセス—プロアクティブ制御(事前に特定の言語を抑制)、リアクティブ制御(競合が検出された時点で抑制を適用)、持続的制御(言語間のアクティベーションバランスの維持)—の協調として理解すべきである。彼らの研究によれば、これらの制御プロセスは言語使用コンテキストと言語切り替え需要に応じて適応的に調整される。

言語間干渉をめぐる議論の最新動向として注目されるのが、Kleinman & Gollan(2018)の「持続的アクティベーションモデル」(Persistent Activation Model)である。このモデルは、Greenの抑制制御モデルとは異なり、言語切り替えコストの非対称性を抑制ではなく、アクティベーションの残存効果によって説明する。彼らの実験結果によれば、言語切り替えコストは直前の発話で使用された特定の語彙項目の残存アクティベーションに関連しており、必ずしも言語システム全体の抑制を仮定する必要はない。この知見は、言語制御メカニズムの理解において、グローバルな言語抑制とローカルな語彙レベルの競合解決を区別する重要性を示唆している。

IV. 第三言語以降の習得:特有の認知的特性

第三言語(L3)以降の習得は、第二言語(L2)習得とどのように異なるのだろうか。近年、第三言語習得(Third Language Acquisition: TLA)研究が独自の研究領域として発展してきた背景には、L3習得特有の認知的・言語的プロセスが存在するという認識がある。

Cenoz(2013)によれば、L3習得はL2習得と少なくとも三つの点で質的に異なる:

  1. 習得順序のパターンが複雑(L1→L2→L3だけでなく、L1/L2同時→L3なども)
  2. 転移元言語の選択肢が複数(L1からもL2からも転移が生じうる)
  3. メタ言語意識とメタ認知ストラテジーの活用度が高い

特に重要なのが「転移元言語の選択」の問題である。L3学習者の脳内では、どの既習言語が新しい言語習得の主な転移源となるのだろうか。

この問いに対する初期の理論的枠組みとして、Williams & Hammarberg(1998)の「L2状態要因」(L2 status factor)がある。この仮説によれば、L3習得においては、母語よりも既習のL2からの転移が優勢になる傾向がある。これは、L2とL3が「外国語」という共通のステータスを持ち、類似の学習経験や認知メカニズムを経ている点が関連していると考えられる。

しかし、より最近の研究からは、転移元言語の選択においてより複雑な要因が関与することが明らかになっている。Bardel & Falk(2012)の「類型論的原型モデル」(Typological Primacy Model)によれば、言語間の類型論的類似性が転移パターンを強く規定する。例えば、日本語(L1)・英語(L2)・ドイツ語(L3)という組み合わせでは、ドイツ語と英語の類型論的類似性が高いため、L2英語からの転移が優勢になる傾向がある。

これに対し、Rothman(2015)の「言語間影響構造領域モデル」(Linguistic Proximity Model)は、類型論的類似性だけでなく、語彙・音韻・形態統語などの構造領域ごとに転移パターンが異なる可能性を指摘している。彼の研究によれば、語彙レベルでは類型論的類似性が主要因となるのに対し、音韻レベルでは習熟度や習得年齢の影響が大きい。

Hufeisen & Marx(2007)の「要因モデル」(Factor Model)は、L3習得を特徴づける要因をさらに包括的に整理している。このモデルによれば、L3習得には以下の特有の要因が関与する:

  1. 特定外国語要因(L2に関する知識)
  2. 外国語学習経験(学習ストラテジーと意識)
  3. 言語間影響要因(個別言語間の相互作用)
  4. 外国語固有要因(類型論的距離など)

この複雑な要因の関与を実証した研究として、Sanz et al.(2015)の比較実験がある。彼らの研究では、中国語(L1)・英語(L2)・スペイン語(L3)という言語背景を持つ学習者と、中国語(L1)・スペイン語(L2)・英語(L3)という背景を持つ学習者の習得パターンを比較した。結果として、習得順序よりも類型論的類似性の方が転移パターンに強く影響すること、また単なる「最後に学んだ言語」という時間的近接性は限定的な役割しか持たないことが示された。

L3習得の独自性を強調する理論的枠組みとして、Jessner(2008)の「マルチコンピテンス理論」(Theory of Multicompetence)も重要である。この理論によれば、複数言語を操る能力は単なる複数の単一言語能力の集合ではなく、質的に異なる「マルチコンピテンス」を形成する。特に注目すべきは「多言語性の相乗効果」(multilingual synergy effects)で、これは多言語システム内の相互作用が単なる干渉を超えて創発的な言語処理能力をもたらす可能性を示唆している。

この創発性が特に顕著に現れるのが「メタ言語的気づき」(metalinguistic awareness)である。Kemp(2007)の比較研究によれば、二言語話者よりも三言語以上の話者の方が文法学習課題において優れたパフォーマンスを示す。これは、複数言語の経験が言語構造への感受性と明示的学習能力を向上させることを示唆している。

L3習得における「言語間距離の知覚」(perceived linguistic distance)も重要な要因である。Kellerman(1979)の古典的概念である「心理類型論」(psychotypology)を発展させた、Lindqvist & Bardel(2014)の研究によれば、学習者が主観的に認識する言語間の類似性が、客観的な言語学的類似性よりも強く転移パターンを予測する場合がある。この主観的認識は必ずしも言語学的事実と一致せず、文化的イメージや教育経験によって影響を受ける。

L3処理の神経基盤については、Videsott et al.(2010)のfMRI研究が興味深い知見を提供している。彼らの実験では、4-5言語を操る多言語話者の脳活動パターンを分析し、言語熟達度によって活性化パターンが系統的に変化することを示した。特に注目すべきは、高熟達言語ほど脳活性化が焦点化(左下前頭回に集中)される傾向があるのに対し、低熟達言語では活性化がより広範に分散する傾向が観察された点である。これは、言語熟達度に伴う神経処理効率化の証拠と解釈できる。

L3習得の個人差要因としては、「多言語学習適性」(multilingual aptitude)の存在も示唆されている。Thompson(2013)の適性研究によれば、複数言語の習得成功度には比較的一貫した相関が見られ、これは言語一般に対する学習能力(おそらく作業記憶容量や音韻処理能力などに関連)の存在を示唆している。しかし同時に、特定言語ペア(例:日本語と韓国語)の学習成功度間には特に強い相関が見られ、これは言語特異的な適性要因の存在も示唆している。

マルチリンガリズムの長期的展望については、Herdina & Jessner(2002)の「ダイナミックモデル」(Dynamic Model of Multilingualism)が重要な理論的枠組みを提供している。このモデルは多言語システムを動的で非線形なシステムとして捉え、以下の特性を持つと主張する:

  1. 複数性(非一元的システム)
  2. 動的変化(言語間バランスの継続的変化)
  3. 不可逆性(言語喪失を含む発達経路の一方向性)
  4. 安定性(言語間の相互支持構造)
  5. 個別性(個人固有の多言語システム)

このダイナミックな視点は、多言語話者の言語発達を生涯にわたる継続的過程として捉える重要性を示唆している。

V. 多言語管理の効率化:認知的訓練と学習戦略

これまでの知見をふまえ、多言語話者はどのようにして複数言語の管理効率を高め、言語間干渉を最小化できるだろうか。特に、第三言語以降の習得・維持において、どのような認知的訓練や学習戦略が有効だろうか。

多言語管理の中核的能力である「言語切り替え」(language switching)の強化には、Meuter & Allport(1999)の研究を応用した訓練法が効果的である。彼らが開発した「言語切り替え訓練」(language switching training)は、予測不可能な言語切り替え要求を含む命名課題を用いる。この訓練の効果を検証したBobb & Wodniecka(2013)の研究によれば、2週間(週3回、各30分)の集中訓練後、切り替えコストが約35%減少し、この効果は訓練終了4週間後も維持された。特に注目すべきは、この訓練効果が未訓練の言語ペアにも部分的に転移した点であり、これは言語切り替え能力が言語一般的なスキルとして発達する可能性を示唆している。

多言語管理において特に重要なのが、「言語モード制御」(language mode control)の能力である。Grosjean(2008)のモデルに基づき、Wu & Thierry(2013)は「言語モード訓練」(language mode training)を提案している。これは、意図的に単一言語モードとバイリンガルモードを切り替える経験を構造化するもので、具体的には以下のステップを含む:

  1. 言語モード認識(現在の活性化状態の自己モニタリング)
  2. 環境手がかり活用(状況に応じた言語モード調整)
  3. 意図的活性化・抑制(必要な言語の選択的活性化)
  4. モード切り替え練習(異なる言語モード間の迅速な移行)

Kroll et al.(2008)は、バイリンガルの言語制御を強化する異なるアプローチとして「注意制御訓練」(attentional control training)を提案している。これは、言語処理に特化しない一般的な注意制御課題(例:フランカー課題、ストループ課題)を用いて、言語間干渉の基盤となる認知制御能力全般を強化するものである。彼らの研究によれば、8週間の注意制御訓練が、言語切り替えパフォーマンスと非言語的課題パフォーマンスの両方を向上させ、この結果は言語制御と一般的認知制御の共通基盤を支持するものである。

メタ認知ストラテジーの最適化も、多言語管理において重要な役割を果たす。Jessner(2008)の「メタ言語的気づき促進法」(metalinguistic awareness enhancement)は、言語間の類似点と相違点への意識的注意を促進する。具体的なテクニックとしては以下が含まれる:

  1. 対照分析演習(複数言語間の構造的比較)
  2. 言語間類似性マッピング(特に語彙や形態素レベル)
  3. 転移可能性評価(言語間転移の有効性予測)
  4. 干渉パターン記録(自己観察による干渉分析)

この方法の効果を検証したJessner & Allgäuer-Hackl(2020)の研究によれば、メタ言語的気づき促進法を受けた実験群は統制群と比較して、新規言語学習テストで約20%高いスコアを示し、また言語間の創造的類推能力も有意に高かった。

言語間転移を積極的に活用する戦略としては、Ringbom & Jarvis(2009)の「転移最適化戦略」(transfer optimization strategy)がある。この方法は、言語間の「信頼できる類似性」と「危険な類似性」(偽の類似性)を区別し、前者を学習リソースとして活用する。具体的には以下のステップを含む:

  1. 透明語彙の特定(言語間で形式と意味が類似した語彙)
  2. 構造的対応パターンの発見(文法パターンの体系的類似性)
  3. 転移リスク評価(干渉が生じやすい領域の特定)
  4. 正の転移機会の最大化(類似パターンを足場とした学習)

Ringbom(2007)の研究によれば、この方法は特に関連言語群(例:ロマンス諸語間、ゲルマン諸語間)の学習において効果的である。彼の追跡研究では、転移最適化戦略を活用したスウェーデン語母語話者のドイツ語学習速度が、同戦略を用いないフィンランド語母語話者よりも約30%速いことが示された。

多言語維持のための効果的アプローチとして、Schmid & Köpke(2007)の「活性化閾値管理」(activation threshold management)も重要である。彼らのモデルによれば、言語喪失は主に特定言語要素の活性化閾値の上昇によって生じる。この知見に基づき、彼らは以下の維持戦略を提案している:

  1. 分散反復スケジュール(全言語に対する計画的接触)
  2. 深層処理活動(各言語での意味的・分析的処理)
  3. 情動的関連付け(情動を伴う言語経験の創出)
  4. 社会的ネットワーク活用(各言語の話者コミュニティとの接触)

特に注目すべきは、言語維持において「使用」と「情動的関連付け」の両方が重要である点である。Schmid(2019)の最新研究によれば、単なる使用頻度よりも、言語使用の情動的重要性と社会的関連性の方が言語維持の強力な予測因子となる。

多言語管理における「クロスリンガル・レキシカル・プライミング」(cross-lingual lexical priming)の活用も効果的である。Lemhöfer et al.(2004)の研究によれば、複数言語間で共有される概念表象を活性化することで、語彙アクセスの効率化が可能になる。彼らが開発した「概念メディエーション訓練」(concept mediation training)は、言語間の直接翻訳に依存せず、共有概念表象を媒介とした語彙学習を促進する。この方法の効果を検証したLemhöfer & Dijkstra(2004)の研究によれば、概念メディエーション訓練を受けた実験群は、翻訳ベースの学習を行った統制群と比較して、L3語彙の長期保持率が約25%高かった。

包括的な多言語管理アプローチとして、Cohen & Li(2012)の「言語戦略ポートフォリオ」(Language Strategy Portfolio)も注目に値する。このアプローチは、多言語話者の個別特性(認知スタイル、学習背景、言語構成など)に基づいて最適化された戦略セットを構築するものである。具体的には以下の要素から構成される:

  1. 言語プロファイル分析(各言語の熟達度と使用パターン)
  2. 認知的強みの特定(記憶タイプ、処理スタイルなど)
  3. 戦略レパートリーの構築(個人に適した戦略セット)
  4. 状況別戦略選択の計画(コンテキストに応じた最適戦略)

Cohen(2011)の追跡研究によれば、この個別化アプローチは、特に多様な言語背景を持つ学習者の言語管理効率を有意に向上させる。

VI. 多言語話者の脳の可塑性:生涯発達の視点

多言語を操る経験は、脳の構造と機能にどのような長期的変化をもたらすのだろうか。そして、このような神経可塑性は年齢によってどのように変化するのだろうか。

言語学習による神経可塑性の証拠として最も説得力があるのは、縦断的脳画像研究である。Li et al.(2014)の研究では、外国語集中コース(6ヶ月間)の前後でMRI撮影を行い、灰白質密度の変化を測定した。結果として、左側頭葉下部、左下頭頂小葉、左中前頭回などの領域で灰白質密度の有意な増加が観察された。特に注目すべきは、灰白質密度の増加量が言語学習の成功度と正の相関を示した点である。

白質構造の変化についても、同様の証拠が報告されている。Schlegel et al.(2012)の研究では、9ヶ月間の中国語学習の過程で定期的にDTI(拡散テンソル画像)を撮影し、言語関連経路の白質構造の変化を追跡した。結果として、左半球の言語関連経路(特に上縦束と下前頭後頭束)におけるFA値(白質繊維の方向性を示す指標)の漸進的増加が観察された。興味深いことに、この変化は学習開始後約4ヶ月目から顕著になり始め、学習継続とともに強化された。

これらの神経可塑的変化において年齢はどのような役割を果たすのだろうか。長年、第二言語習得における「臨界期仮説」(Critical Period Hypothesis)が議論されてきた。Lenneberg(1967)の古典的理論では、思春期以降に開始される言語学習は、神経可塑性の低下により母語話者レベルの習得が不可能とされていた。

しかし、最新の神経科学研究は、より複雑な現実を示している。Hartshorne et al.(2018)の大規模研究(約67万人の参加者データ)によれば、最適な言語習得期間は文法習得で約17歳まで、語彙習得ではそれよりもさらに長く続く可能性がある。さらに重要なのは、習得曲線が単純な「崖」ではなく、緩やかな「丘」の形状を示す点である。つまり、臨界期は単一の明確な境界線ではなく、徐々に低下する感受性の連続体として理解すべきである。

年齢効果についてのさらに洗練された視点として、Steinhauer et al.(2009)の「多重臨界期仮説」(Multiple Critical Period Hypothesis)がある。この理論によれば、言語の異なる構成要素(音韻、形態統語、語彙意味など)は異なる敏感期を持つ。彼らのERP研究によれば、音韻処理はより早期に臨界期効果を示す一方、統語処理の可塑性はより長く維持される傾向がある。

成人の言語学習における神経可塑性の限界をどのように克服できるかについて、Sebastián-Gallés et al.(2012)の研究は示唆に富む知見を提供している。彼らは、L2音韻カテゴリー習得の困難に焦点を当て、強化訓練の効果を検証した。その結果、集中的な知覚訓練(高変動刺激を用いた識別訓練)によって、成人学習者でも新たな音韻対立の処理を担う脳領域(上側頭回)の活性化パターンが母語話者に近づくことが示された。これは、適切な訓練によって成人期にも神経可塑性を活性化できる可能性を示唆している。

認知的加齢と言語維持の関係も重要なテーマである。Bialystok et al.(2012)の研究によれば、生涯バイリンガリズムは「認知的予備力」(cognitive reserve)の形成を通じて加齢に伴う認知低下を遅延させる可能性がある。特に、実行機能と関連する前頭前野の加齢に伴う萎縮が、バイリンガルではより緩やかであることがMRI研究で示されている。ただし、この保護効果は継続的な言語使用を前提とするものであり、言語を学んだだけでは不十分である点に注意が必要である。

多言語を維持するための神経科学的観点からの戦略として、Li & Grant(2015)は「神経効率的言語維持法」(neurally efficient language maintenance)を提案している。これは脳の可塑性メカニズムに基づく以下の原則を含む:

  1. 分散的活性化(すべての言語の定期的活性化)
  2. 干渉管理訓練(言語間競合の積極的解決経験)
  3. マルチモーダル強化(複数感覚モダリティでの言語使用)
  4. 情動的関連付け(報酬系との連携強化)

特に、神経可塑性を促進する上で「課題の新規性」と「困難度の最適化」が重要であることが強調されている。Li et al.(2018)の研究によれば、既習言語の単純な反復使用よりも、新たな使用文脈や認知的挑戦を伴う使用の方が、言語関連脳領域の活性化を効果的に維持する。

多言語環境での加齢に関する特に興味深い知見として、Keijzer & Schmid(2016)の「逆行性干渉」(retroactive interference)研究がある。彼らの縦断研究によれば、長期間にわたり第二言語環境で生活した高齢移民においては、L2が優勢になるにつれてL1の減衰が加速する現象が観察された。しかし、この現象は左半球言語領域の活性化パターンの再編成を伴っており、単純な「喪失」ではなく「リソース再配分」としての側面も持つことが示唆されている。

生涯にわたる言語習得・維持の神経科学的基盤に関する統合的モデルとして、Park & Bialystok(2017)の「認知予備力強化モデル」(Cognitive Reserve Enhancement Model)が注目される。このモデルによれば、多言語経験は認知的予備力の形成に寄与し、これが年齢に伴う神経学的変化に対する補償メカニズムとなる。特に重要なのは、多言語使用がもたらす認知的訓練効果が、言語処理に直接関与しない前頭前野や頭頂葉の神経回路にも及ぶ点である。彼らの縦断研究によれば、60歳以降に新たな言語学習を開始した高齢者でも、認知機能テストのスコア低下率が対照群よりも約30%低いことが示されている。

VII. 結論:多言語性の認知科学と言語教育への示唆

本稿では、多言語話者の脳と言語処理システムについて、神経言語学、認知心理学、第二・第三言語習得研究の知見を統合しながら検討してきた。言語制御ネットワークの神経基盤、バイリンガリズムの認知的影響、言語間干渉と抑制メカニズム、第三言語習得の特性、多言語管理の効率化、そして神経可塑性と生涯発達の視点まで、多角的に考察した。これらの知見からは、多言語教育と学習に対して重要な示唆が得られる。

多言語脳研究からの主要な結論として、以下の点が特に重要である:

  1. 多言語話者の脳では、言語処理と認知制御のネットワークが緊密に連携しており、前頭前皮質、前帯状皮質、基底核などが言語切り替えと干渉抑制に重要な役割を果たす。これらの脳領域の協調的活性化パターンは、言語使用コンテキストや熟達度に応じて適応的に変化する。
  2. バイリンガリズム・マルチリンガリズムは認知機能に多面的影響を与え、抑制制御、注意の切り替え、メタ言語意識などの領域で優位性をもたらす可能性がある一方、語彙アクセス速度などの面では制約となりうる。この「バイリンガル認知プロファイル」は、単純な「優位性」や「不利」ではなく、認知資源の異なる配分パターンとして理解すべきである。
  3. 言語間干渉の管理には、非目標言語の抑制や言語特異的選択メカニズムなど複数のプロセスが関与する。これらのメカニズムは熟達度や言語使用環境に応じて適応的に変化し、特に高度な多言語話者では言語制御の自動化と効率化が進む。
  4. 第三言語以降の習得は第二言語習得とは質的に異なるプロセスであり、既習言語からの転移パターンは類型論的類似性や心理的類型論、習得順序などの複雑な要因によって規定される。特に、メタ言語意識とメタ認知ストラテジーの活用が、L3習得の効率化に重要な役割を果たす。
  5. 多言語経験に伴う神経可塑性は生涯にわたって維持され、適切な認知的訓練と言語使用によって成人期においても言語習得・維持が可能である。特に注目すべきは、多言語経験が「認知的予備力」の形成を通じて認知的加齢に対する保護効果をもたらす可能性である。

これらの知見に基づく教育的示唆としては、以下の点が重要である:

  1. 言語教育において、言語形式の指導だけでなく、言語制御能力の訓練も明示的に取り入れるべきである。特に、言語切り替え訓練、注意制御訓練、言語モード管理訓練などは、多言語使用の効率化に直接貢献する。
  2. 多言語学習者の「バイリンガル認知プロファイル」を考慮した教育的アプローチが必要である。例えば、語彙アクセス速度の制約を補うための定型表現の積極的活用や、認知的柔軟性とメタ言語意識の強みを活かした分析的学習アプローチなどが効果的である。
  3. 第三言語教育においては、学習者の言語背景を活かした個別化アプローチが重要である。特に、既習言語との類似性を足場とした学習デザインや、言語間転移の積極的活用を促進するメタ言語的活動が推奨される。
  4. 多言語維持のためには、単なる使用頻度だけでなく、情動的関連性と社会的意味を伴う言語使用経験を設計すべきである。特に、「活性化閾値管理」の観点から、全言語の定期的活性化と深層処理を促進するアプローチが効果的である。
  5. 生涯言語学習の促進においては、年齢に応じた学習方略の最適化が重要である。特に、成人・高齢学習者においては明示的メタ認知アプローチと既存言語知識の活用が効果的であり、これらは認知的加齢に対する保護効果も期待できる。

多言語性研究の今後の課題としては、以下の方向性が特に重要である:

  1. 多言語使用の長期的影響に関する縦断研究の拡充:異なる言語組み合わせ、習得年齢、使用パターンが認知機能と脳構造に与える長期的影響を解明する必要がある。
  2. 言語制御と一般的認知制御の関連性のさらなる解明:両者の部分的重複と独自性について、より精緻な神経画像研究と行動実験が求められる。
  3. マルチリンガリズムと言語障害の関連探究:失語症、認知症などの言語関連障害が多言語話者でどのように現れ、管理されるかについての理解を深める必要がある。
  4. テクノロジーを活用した多言語学習・維持の最適化:脳科学的知見に基づいた言語学習アプリやプログラムの開発と効果検証が期待される。

最後に、多言語性研究が示唆する最も重要な視点は、多言語話者の脳を「複数の単一言語システムの集合」ではなく、「統合的な多言語システム」として捉えることの重要性である。バイリンガルやマルチリンガルの言語処理は、単一言語話者の処理の単純な足し算ではなく、質的に異なる特性を持つ。この理解に基づき、多言語教育も従来の「加算的」アプローチから、言語間相互作用と干渉管理を積極的に取り入れた「統合的」アプローチへと発展させることが求められる。

次回の第7部では、認知的限界を突破する実践的訓練法に焦点を移し、最新の認知科学研究と教育心理学の知見を統合しながら、各言語スキル向上のための科学的に裏付けられたエクササイズを提案する。

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