自分が居るのは小さな世界。世界を見直してみる。
この世界には、対局をなすものや
相反する2つの組み合わせというものが本当に多く存在しています。
私たち人間の男女がそうであるように、他にも多くの諸原則にプラスとマイナスがあります。
多種多様な物理的・精神的凹凸が手を取り、成り立っています。
原則あるところ例外あり。
成功の影には失敗も隠れている。
それを感じ取ることで
自身の影響を遥かに超越した次元で物事を捉えて直観できるようになります。
新生活や新しく始めることにつきまとう不安
私たちが何か新しいことに立ち向かおうとするとき
誰しもが初めは「例外の行動」であるはずなのです。
これの意味するところは
私たちがする新たな体験とは、いつも例外に例外を重ねているということです。
恐れるし、力が入らないことは当たり前です。
「反復練習をする」とは
何度も演習を行い、失敗を克服して体に信念の光を灯すことなのです。
試験の本質を考える
まず入学試験であったり資格試験であったりは
本質的にただの能力の達成を自己が追い求めるものであり、競争の対象ではありません。
しかし社会のシステムがそれを要求しているうちは文句を言っても仕方がないので
この暗記ゲームを突破する必要が出てきます。
これらでは過去問題を用いた反復が最終的な力になってくれるでしょう。
試験突破の先にあるもっと遠くの次元の話を考える
そのようなくだらない茶番(=試験)に付き合って合格を勝ち取った先は
残念ですが、本当に各個人次第になります。
心得ておくべきなのは
何かのふるいにかけられたあとの集団の能力とは、自分も含め均質化していて単純かつ平均的であるということ。
言い換えれば、選ばれた優越感に浸っている時点で、その集団の最下位争いに自らエントリーしているということ。
大事な点は、
「競争の対象ではない」と言っているのにも関わらず
「競争(最下位など)」の議論になっている点です。
私は試験の本質は競争の対象ではないと信じていますが
現実的には競争の側面が多々あり、それは社会のほとんどの人が感じていることです。
「社会的価値観」はそのものが正しいかに関係なく
信じる対象が多くの人に信じられるほど「価値の引き上げ」が起こり、
完成された価値観が社会に伝播していきます。
では、誤った捉え方をしてしまった場合は...?
「競争」の観点でしか捉えられていなかった人は、
試験を「突破」の観点のみでとらえて上位に食い込もうと考えるしまう場合もあるでしょう。
そしてそういう人は
第一段階で試験に突破(上位に食い込むために他者を蹴落とす)をしているにもかかわらず
一段落(合格)したら己から努力を辞め、集団の最も下に這下がろうとします(矛盾)。
よって「個人による」と言ったのは、その後の考え方に依存するからです。
努力を裏切らないためには?
「フルパフォーマンスを発揮する」
もっと正確に言えば
「創造的作業や仕事・学習にフルパフォーマンスを発揮する」
という点から見ると、
自身をより高いコミュニティへ投下することは必須です。
コミュニティは、仮想でも構いません。
心に描いたものは必ず具現化します。
これを忘れず意識して行動し続けること。
そして何より、自分を信じて
常に全身全霊で歩み続け、漸進的に前進していくことのみを見据える必要があります。
もし、これを読んで「暴論」と考えて「無理だ」「無駄だ」と感じてしまった人も全く問題ありません。
私たち各個人に「降りかかってくる・現れる」問題とは、
その人に特異的であり、必ず解決できることしか出てきません。
ただの認知的不協和です。行動すれば、必ず解答が返ってきます。