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【詳細解説】「学びて思わざれば即ち罔し」の定期テスト問題の不満を解決

子曰はく、学びて思わざれば即ち罔し。思ひて学ばざれば即ち殆し。」と。

<問>

学びて思わざれば とあるが、そうするとどうなるのか。次から一つ選びなさい。

 ア 理解があやふやになってしまう。

 イ 独断に陥ってしまう。

 ウ 感情に流されてしまう。

 エ 自分で考えなくなってしまう。

 

私は塾講師をしていて、この問題は実際にある生徒が学校の定期テストで出題され、

解説を見ても、先生の解説を聞いても理解できなかったので助けてほしいということがあったので、

その時に作成したものを一部変更して公開したものになります。

 

生徒の能力は、国語・英語・社会が90点越え、

数学は100点、理科が85点ほどの優秀な女子生徒です。

 

この通り優秀な子だったのもあり

解説を作成するときに手加減した表現をあまりしないで書いたので、

一般的な中学生が読むと少しつらいかもしれません。

解説を頼まれるときは、その子の特徴や性格に応じて作り方やレベル、表現を変えていますが、

今回の子は上記のようにレベルが高く、詳細にやるのが適していたので

ここで読む方に必ずしもマッチした教材になっていないことをご了承ください。

 

また、高校で古典文法は詳細をやるにしても、

中学生の時にほとんど文法理解なしで読むのは意味がないと個人的には考えていますので

少し文法に踏み込んでいます。

(むしろ、私はガンガンやれるときにやった方がよいと考えています。)

 

問題自体は3行、解決できなかった問い自体は上の1問だったのですが、

改行ありでWordにして4ページ、文字数3000字ほどで解説しました。

 

結果としてその子は無事解決できました。

これからここの解説を見たい人はたいてい中学校のテスト対策や

同じように解説を知りたい人だと思います。。

 

基本的に私の解決スタイルは「穴がないよう順番に理解できる」こと

を目指していますのでまずは上から読んでいくことをお勧めします。

 

※ちなみにその子は「ア」だと思ったそうですが、

解答は「エ」でした。

思考した結果「ウ」は違うと判断しましたが、

どうしてエが正解でアが不正解になるのかが腑に落ちなかったそうです。

<前提条件>

①(接続助詞)「ば」について

開「か」ば のように「あ段+ば」のとき、「~ならば」と訳す。

つまり、ここでは「開くならば」という仮定の話になる。

 

開「け」ば のように「え段+ば」のとき、「~なので」と訳す。

つまり、ここでは「開けば」という確定的な話になる。

 

②「すなわち」について

「すなわち」は意味も漢字もたくさんある。

入試ででるものは限られるが漢字の意味通りなので心配しなくてよい。

基本意として「そして」「つまり」「なので」「すぐに」などは覚えたい。

ここでは「即座に」などで使う「即」があてられている。

「(前の文)即ち(後の文)」という構造から、

「前の部分があって、それがあるから後の部分」という様子をまずはとらえたい。

 

③あまり見ない漢字について

ある程度の教育を積んだ日本人が普段の文章を読むとき

わからない言葉や文字に出会っても前後を読めば推測ができ、

まるで障害がないかのように読み進められる。

 

それでは漢文はどうか。

漢文は文字通り漢字で文章が書かれているが、

日本人が普段目にしないような漢字や普段使わないような意味で漢字が使われていることも多い。

そうすると、先ほどの例のように「推測して読む」ということをやりにくい。

推測とは、他の部分がわかることによって補うことのできる能力のことなので、

そもそも補う部分以外が理解できなければ推測自体が難しくなる。

 

しかし、推測のコツがないわけではない。次からはそこについて見ていく。

辞書的な解説と、本番を見越した推測方法

<辞書>子曰はく、「学びて思わざれば即ち罔し。思ひて学ばざれば即ち殆し。」と。

本問に照らし合わせて解説していく。

先に辞書的な意味から出す。

 

読み「ボウ」「モウ」

意味「あみ」

 

罔し

読み「クラし」

意味「くらい」「見えない」「無知である」

 

読み「タイ」

意味「ちかい」「ほとんど」

 

殆し

読み「あやうし」

意味「危険な」「あやふやな」「たしかでない」

 

ここでの正解は太字にしてある。ということで、

特にひねりのない逐語訳(単語を語順通りにあてて区切って訳す)の解答を先に出す。

辞書的解答

「学んで、思わないので見えなくなる。

思って、学ばないので確かでなくなる。」

 

背景や登場人物を詳細に明記しないで訳すだけであれば「学ぶ」はともかく、

「思う」が文を不自然にしている。

どちらも動作主として人間がもとであることを考慮すると、

「学んだ結果として想いを巡らせる」という

一連の動作を「思う」に収束させているといえる。

つまり、「想いを巡らせる」ということを簡単に表す言葉を探すと、

「考える」「思索する」という言葉が適切でありそうである。

 

先に辞書的な意味(正解)を出したが、仮にわからなかったとする。

そもそも漢字は会意文字や形声文字、

簡単に言えばある文字から意味や音をもらってきてできた言葉である。

「罔し」が読みもわからず意味もお手上げだったしても、

これが使われていてなじみ深い文字と言えば「網(あみ)」が浮かぶだろう。

実際「網」は「罔」から音と意味をもらって「もう」と読んで「あみ」という意味をもつ。

本番ではまず、

「罔」がわからない →「網」に共通する部分がある

というような順を追うはずである。

 

つまり「罔」は網と同じ形の部分をもつので、「網」に対してイメージを膨らませる。

まずは網の基本意のような「あみ」。

あみが目の前にあれば「ふさがれる」だろうし

あみが複数あれば「強固なイメージ」。

たくさんのあみで「光がふさがれるイメージ」、

逆にか弱い1本の網から「もろいイメージ」など

想像力を働かせれば(もちろん外れたイメージの場合もあるが)かなりの確率で当たりを引ける。

 

そして

「殆し」に関しては漢字左部分(部首)は

「いちたへん」またの名を「かばねへん」という

「死」の意味を持つ漢字であることを考慮してみる。

 

思ひて学ばざれば即ち殆し=考えて、学ばないので「死」

 

「即ち」が即座の「即」であてられているのでその意味を考えると、

 

考えて、学ばないので「それは当然に」死「に直結する」

 

と解釈するとよりわかりやすい。

つまり、ここで言いたいのは「死」に直結するからダメであるということである。

 

<対比>子曰はく、「学びて思わざれば即ち罔し。思ひて学ばざれば即ち殆し。」と。

訳がわかっただけでもだいぶわかりやすいが、次にその構造に注目してみる。

マークを付けたので上の見出しの文を参考にしてもらいたいが、

ちょうど「思う」「学ぶ」が逆に使われている。つまり対比している。

「対比」の効果とは読んで字のごとく

比べることでもう片方の対象を目立たせることである。

目立たせるというのは「強調したい」ということである。

①、②を考慮すると

学んで、考えないので、見えない。

考えて、学ばないのは、死んでいるのと同じ。

 

そして③対比を考慮するとこれがさらに

 

学んだだけで考えないので見えなくなる。

ただ逆に、考えるだけで、そこから学ばないのは死んでいるのと同じである。

と、ここまでくるとやはりわかりやすくはなってくる。

まとめ

人が作り上げる「作品」の本質的価値観や本当の意図している意味というのは

作った本人にしか理解できない。

人はたいてい一つの人生しかもつことができないので、

他者の生きた時間や哲学と同じ経験ができないからである。

しかし想像することは可能であるが

真理に迫ることはできても真理と重なるということは難しいわけである。

 

国語教材として論語が取り上げられていて「問題」として出題される以上「解答」があり、

それが仮に孔子が意図しない考えであったとしても現代に即しテストの形式に即さなければ

つまり「正解の選択肢」を選ばなければ「得点」を得ることができないという

無常なものに私たちは取り組んでいる。

 

子曰はく、「学びて思わざれば即ち罔し。思ひて学ばざれば即ち殆し。」と。

 

問は学びて思わざれば とあるが、そうするとどうなるのか」なので

「そうすると」にあたる「即ち」の後の「罔し」の意味を答えると正解な問題だとわかる。

 

罔し」の意味は、(網に塞がれ)くらく、見えなくなり、無知であるという意味だった。

これを見ると見るほど孔子のメッセージという意味で

最も適切な解答は「ア 理解があやふやになってしまう。」に近いと私個人は感じる。

それでもテストとしての解答に間違いがなく、

答えが「エ 自分で考えなくなってしまう。」しか認められないとすると、考察する必要がある。

 

結論

教えられた一般に正しいといわれる事実を学ぶだけで、

考えを巡らせ思索の重要性に気づかないという姿勢が続けば当然に視界が狭まる。

視界が狭まるとは無知への入り口であり、

世の道理に疎くなっていく。(罔くなっていく。)つまり、

罔くなってしまう直接の原因は学ぶという表面上の動作に加え、

解釈し吟味し、本質は何かと自問自答をして

物事の真理について考えるという作業をしない(思考停止)ことにある。

 

思考停止とは別の表現で表せば「エ 自分で考えなくなってしまう。」ということである

といえば納得できるだろう。

また、最悪「殆し」の解釈を考えるとアイウが当てはまるので消去法的にエとしてもよい。

 

学校や社会生活での勉強とはその構造上、正に「学びて思わざる環境」になりやすい。

果たして今やっていることであなたは「罔くなって」いないだろうか?

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