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【言葉の力は前向きな人格を作る】全て言葉は名言である

言葉の力を察する。言葉が隠した道を見抜く。

「信用するのではなく、信頼するのだ。

信頼とは、裏付けも担保もなく相手を信じること。

裏切られる可能性があっても相手を信じきるのである。」

これは、アルフレッド・アドラーの言葉ですが、

彼は過去のトラウマが今の自分をつくっていることを真っ向から否定する姿勢をとっていいます。

大多数の人に当てはまってしまう、

頑張りが次の頑張りを生み、諦めが次の諦めを生むという、

言い換えれば

言葉の力がもつ広大なエネルギーを見抜いたために残した、

一つのきっかけで人生が変わるというメッセージなのかもしれません。

これは、鋭い観察が導いた真理だったのだと考えます。

 

当たり前ですが、亡くなった人とは言葉は交わすことはできません。

しかし実は、言葉に出会うということはその人と会った経験と同じなのです。

人間の思考と感情は、

過去へと旅することができるので言葉に出会った時その瞬間に

遠い歴史の人物や自分に今後影響を与えてくれる可能性をもつ人に会うことができます。

 

名言を残す(=残して亡くなる)という言葉があるくらいですから、

言葉の力(=言葉に付随するエネルギー)は、

一般の人々にも昔から感覚として捉えられてきたものであるのでしょう。

 

現在進行形で名言を生み出し続けているローランドという方もいらっしゃいます。

彼は本当に素晴らしいです。

彼ほど内に秘める信念がドロドロと渦巻いていると感じた人は久しぶりでした。

 

おそらく、たいていの人は表面化している一貫した姿勢や哲学を見て

その人格に惹かれていくという過程を辿る人が多いと思います。

 

しかし、我々「庶民を動かす」ということは

過去歴史を見てみても例が少ないように、全員ができることではありません。

不思議なことに、

突出したことをやる人の勢いとは近い思想を持つほど感じとりやすくなり、

平凡な考え方を常とする人には届かない類のものなのです。

 

然るに、一般の人々に支持を受けるとは、例外的な現象と言えるのかもしれません。

私が彼を尊敬する理由は、

表面的にはオーラと言われて納得されてしまている、

内から溢れ出すギラギラとした信念が溢れ出した結果の残物が

本来感じられない、平凡な私たちに対して感じ取らせるだけの熱量を放って

小世界を変化させ続けている点です。

 

 

言葉を捨ててきた道は、人を捨ててきた道

ナンバーワンではなく、オンリーワンを目指す過程でよく例えられる

掛け算で自分の市場価値を引き上げる手法は、まだ機能しているとはいえ、

大衆に広まりすぎました。

別の方法で価値を引き上げることを考えてみると、

人から学び続ける手法として

一生懸命に言葉と向き合うことが意味を帯びてきます。

言葉の力を純粋に味わうということです。

 

いつの時代も本質は実力主義であることは否定できないので、

どのようにして自分に付加価値をつけていくかは考え続ける必要があります。

 

そういった意味で、

言葉を捨て、軽視することは、人と対話して学びとるタイミングを

自ら捨てる(=選択しない)ことに直結します。

 

吟味することは、大変な苦労も伴うかもしれません。

しかし今の苦労は未来の幸福であり、幸せの貯金です。

 

同時に、やらなかった後悔は一生残ると言われます。

しかし時代柄、昔のように迷ったら困難な道を進めとは言いません。

 

ここにある矛盾を解決し、選択するにも

様々な物事に対するバックグラウンドとリテラシーが必要です。

 

自信を持てるようになった時、

言葉を拾い、人を拾う人生へと深化(進化)していきます。

 

誰かにとっての言葉は、

必ず誰かのために活かされる時がくるということです。

そして、その人はまだ生まれているとは限りません。

 

 

言葉の力とは、言葉が道を舗装してくれて初めて気づく

今回のテーマに「道」という言葉を入れたのは私の好きな詩からです。

以下にご紹介いたします。

訳は金持ち父さん貧乏父さんからです。(白根美保子)

 

ロバート・リー・フロストの

The Road Not Taken(歩むもののない道)です。

 

 

Two roads diverged in a yellow wood,

And sorry I could not travel both

And be one traveler, long I stood

And looked down one as far as I could

To where it bent in the undergrowth;

 

黄色い森の中で 道が二つに分かれていた

残念だが両方の道を進むわけにはいかない

一人で旅する私は、長い間そこにたたずみ

一方の道を見透かそうとした

その先は折れ、草むらの中に消えている

 

Then took the other, as just as fair,

And having perhaps the better claim,

Because it was grassy and wanted wear;

Though as for that the passing there

Had worn them really about the same,

 

それから、もう一方の道を歩み始めた

一見同じようだがこちらの方がよさそうだ

なぜならこちらは草ぼうぼうで誰かが通るのを待っていたから

本当は二つとも同じようなものだったけれど

 

And both that morning equally lay

In leaves no step had trodden black.

Oh, I kept the first for another day!

Yet knowing how way leads on to way,

I doubted if I should ever come back.

 

あの朝、 ふたつの道は同じように見えた

枯葉の上には足跡一つ見えなかった

あっちの道はまたの機会にしよう!

でも、道が先へ先へと繋がることを知る私は

再び同じ場所に戻ってくることはないだろうと思っていた。

 

I shall be telling this with a sigh

Somewhere ages and ages hence:

Two roads diverged in a wood, and I-

I took the one less traveled by,

And that has made all the difference.

 

今深いためいきとともに私はこれを告げる

ずっとずっと昔

森の中で道が二つに分かれていた。そして私は・・・・・・

そして私は人があまり通っていない道を選んだ

そのためにどんなに大きな違いができたことか

 

Rovert Frost, 1916

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