過去の取り組みを振り返ってみる
いつの時代でも小学生か成人かを問わず
「早く覚えること」「早く身に着けること」
を周囲から求められていませんか?
もっと言えば
その自覚がなくても、今まで無意識にそう思って行動してきていませんでしたか?
そもそも早く身に着けることはよいことなのでしょうか?
この話題を結論づけるためには、
おそらく感情論と効率性を考慮したときに
互いが妥協するようなポイントでなければ難しいでしょう。
私の考えは早く身に着けるべきである、
ということを自分で選択して取り組むということです。
なぜ早く身につけていく必要があるのか
それはコンピュータの活用・一部共存時代となってしまったからです。
誤解を招かないように言うと、
「こういう時代になってしまった」と悲観しているわけではない(むしろ歓迎)ということと、「一部共存」の意味はコンピュータを採用する人間側が、人類全体ではないために発展初期の内は先進的な人に利用が限られてしまうということです。
別の言い方をすれば、恩恵が社会のやや下層まで届くのに時間がかかるということです。
別記事で言及するかもしれませんが、
私は、人間の本質的にトリクルダウンもベーシックインカムも成功すると考えています。
時代が進んでいきますと
ある特定の分野での格差の均質化がおきていきます。
その例にもれず、最終的にはリテラシーの違いこそあれ
気にならない程度または若干世間とのズレが気になる程度までは
コンピュータの恩恵を受けつつ、格差は縮まるでしょう。
しかし注意しなければならないのは
私たちはこれらのテクノロジーと共にあらねばならないときに
危機感を抱かずに過ごすこともできるということです。
どういうことかというと、テクノロジー変化に対応して
私たち個人の感覚も進化していくような錯覚に陥る可能性があるということです。
もちろん実際に変化しているはずですが、
過度に自分を信用することに危険を孕みます。
科学的リテラシーが欠如した人は今話題にしているようなことは考えないので、
地上部でテクノロジーの恩恵の雫にあずかるだけです。
そして最低限の恩恵を得て幸福を感じます。
勘違いしてはいけないのは、
彼らの恩恵が「最低限」でも「最高」の幸せを味わっているところです。
またアーリーアダプターやアーリーマジョリティの人たちは、
上記のような危険を理解・察知したうえでこれらに挑戦し続けます。
だから損切りも効くし、別の対処を考える時間もできます。
ただし注意点も!!
一番考えたくないシナリオとは
「挑戦しつづけて、危機・危険もわかっていたのに流れに乗りきれなかった」
ということです。
やりきる経験をできなかった場合を指します。
本来、失敗を重ねて上方修正していけるのが私たち人間ですが、
「やりきる前の中途半端な状態で失敗をすると、その現実が自身の心を埋め尽くし
自信を喪失してしまう」というようになってしまうと
本当に価値がない人間だと思い込んでしまう人も中にはいます。
世代によって抱える条件が違う
もともとこのような可能性を持って産まれた年代というのもありますが
中でも、テクノロジーの後期成長期に
テクノロジーをうまく活用できていないか、デバイスを持っていない親から生まれた
子供はとてもハンデを抱えています。
つまり、
デジタルネイティブ世代であるが、親がテクノロジーを使っていなかった家庭で育つと
青年期までそれが当たり前で過ごしてしまい、危機感を抱きにくい状態であるということです。
感覚のずれが生じ、大きな問題になります。
この問題は、時間の経過とともに大きく、表面化してくるものと予想します。
デジタルデバイドの解決策とは、
解決したいと思ったその瞬間に解決が始まっています。
実際に安いデバイスでいいので持ち、段階的に新しいデバイスを所有することを考えつつ
意識的に解決していく姿勢があれば、
いつの間にか相当な量のデジタル知識が吸収されていることに気づく日がきます。