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20代前半で就活ではなく終活の重要性を意識し始めた話

ちなみに私は一般に言う就活をしたことがないのですが、

就活を経験した友人の話を数人聞いて共通していたことは

茶番劇だったことと疲れたことでした。

もちろんレベル的な話にもなるでしょうが。

 

終活と言えば比較的高齢になった人たちがするものという認識が強いと思います。

私の記事をいくらか読んでくださっている方はわかるかもしれませんが

哲学成分多めの記事が結構な割合を占めています。

 

今回のテーマは

掃除しないダメ家族!!ゴミ屋敷を自分一人できれいに片付けた方法

の続きとなっていますので気になる方は先にこちらをどうぞ。

 

こんな掃除体験程度の話から「終活」だなんて大げさな!!

と思う方も多いでしょうが、

そういった考察が私の人生としてのコンテンツ

になってしまっているのでしょうがないのです。

早速見ていくために

上のリンク記事の最後の文章を軽く引用します。

 

このようにして、

コツコツと1年半以上かけて仕組みづくりを徹底し

掃除を続けた結果、快適な生活基盤が出来上がりました。

 

視界と心がクリアなので、雑念は起きません。

そして掃除をして一番よかったと思えたことが、

部屋をきれいにして「ある気づき」を得たことです。

それは、私の恩師がさらっとしゃべっていた内容が

掃除体験を経て結びついたからです。

 

スティーブ・ジョブズの言う点と点が繋がる話そのままです。

 

私の「恩師の恩師」は梅園和彦さんという方です。

梅園和彦さんを知る人にいつか会ってみたいという話

私は恩師をとても尊敬しているので、

その尊敬している人が尊敬している対象とは一体どのような人なのだろうかと

興奮を隠しきれません。

なぜなら私と恩師の間には様々な面から見て実力差がありすぎるからです。

(精神面はやや近づいただろうか…?)

しかし、梅園和彦さんはもういません。

ですから…というのも失礼ですが、

せめて梅園和彦さんの影響を受けた人といつか繋がって

もっとお話を伺いたいと本気で思っています。

 

ところで本題に戻すと、

「私の恩師がさらっとしゃべっていた内容」

とはホームルームの時間の時に本当にさらっとしゃべっていた

「今までのクラス文集とかはみんなPDFにして本体は捨てちゃったよ~」

という言葉です。

 

言い忘れましたが私の恩師は高校の時のクラス担任の先生です。

当時クラスの女性陣は現物を捨てることに対する批判の声をあげていたのを覚えています。

私はその時は「ふーん」と思っただけだったのですがなぜか忘れることができませんでした。

 

わかりますよ、「高校の先生が恩師」って

緩いというか主張として弱い感覚はあるとは思います。

 

それは、現在の日本経済と尊敬する時期が子供よりであることを鑑みると

間違いない事実として認められると思います。

 

しかしそれは「傾向として事実」であるだけで、

彼は明らかに特異的な存在でした。

 

私が通っていた学校では

「先生」と呼べる人は彼ただ一人でした。

影響の力が及ぶ範囲・熱量が一人だけ異次元だったのです。

そういう点で比較すると、他は「先生」という肩書きをぶら下げただけの

県で雇われた一般の「人」と言って差し支えありませんでした。

 

圧倒的な仕事量、作業量、知識量、熱意、やる気、人生観、その他諸々

高校生のあの時期にあの小さな体を3年間見続けたことは、

確実に私の現在に影響を与えています。(3年間同じクラスでした。担任も同じです。)

 

私は1年半以上かけて掃除を続け、

もはや部屋がゴミ屋敷と無縁なほどに完成された現在までに、

厳選物販

でも紹介している本棚を4つ購入しました。

そこに書物と、大量の書類をファイリングしたバインダーを収納しています。

バインダーの背表紙には

一目で分かるように小さい紙にタイトルをつけてテープで貼っています。

「年金」「車」「確定申告」「契約書」などのような分類です。

 

私は21歳の頃読書の重要性に気づき、

現在も読書をしています。

 

本棚4つを揃えて収納できたことに満足したのも束の間、

あることに気づいてしまったのです。

「このままでは容量不足になる」と。

 

私はまだ20代前半で、ほんの数年読書して本棚を埋め尽くしてしまっています。

これからも読書は続きます。

それによって、捨てることをしなければ

これからも本が増えていくことは確実です。

 

今の私はまだ捨て去る勇気もなく、

時間的余裕も本の整理に関する納得した方法論もありません。

書類でさえ、見た目ファイリングをしているためスマートに見えますが、

たった数年分でも多くの場所をとります。

これから何十年も続く未来において、

特にこれからの時代「現物だけ」を累積させていくことは現実的ではありません。

 

 

 

「今までのクラス文集とかはみんなPDFにして本体は捨てちゃったよ~」

 

 

 

ここでこの言葉が蘇ります。

結論、私も恩師と同じく電子化しようと思ったのです。

私の中での真の気づきとは「このままでは容量不足になる」と

理解として落とし込んだ先に見えた

「より充実した未来・後悔のない未来を体験するための条件」だったのです。

 

本棚によって可視化・再認識したのは

自分が経験・思考した人生は、確実に積み上がっているということです。

そして、その積み上がりは、

普段意識できる範囲よりずっと膨大であると気づきました。

もし整理をしなければ、この事実は私の中に数年遅れてやってきたでしょう。

そうすると、きっと

未来において到達すべき景色は

本来到達できた地点より大幅に手前にいることになります。

このメディアを立ち上げた当初に執筆した

死にかけたことがある人の特権

に通ずるものがあります。

(だいぶ前に書いてからリライトも全然していないので読みにくいですがご了承ください。)

 

結局、何を成していくかを考えた時、

残存する時間について考えなければならず、

時間の貴重さに気づくことができると、

どう時間を使うかをプランニングしていくことになります。

 

そして、それだけではモチベーションや気分に依存した成果しかだせないとわかると

習慣・ルーティンということの必然性に迫られます。

無味乾燥な単純作業の中に光を見出すためにやはり行き着く先は

どう生きていくかという一点になっていきます。

 

生きることを思い描くと、確実に物理的活動限界の死を思い描くことになります。

こうして今自分のいる地点と、将来の自分がいる地点を見据えた時、

私は、自分が人生で最大の影響力を発散させる瞬間の一歩手前で、

今までの歩んだ自身の体験を一から覗き見る必要に迫られると直感したのです。

その時、過去の時代では現物を様々な事情から手放さざるを得なかった人が多くいた反面、

今の時代では電子化・クラウド化して濃密な情報を

小型化・リスク分散化できるようになりました。

 

つまり、自分が将来最大の醸成をしたタイミングで、

「人生の取りこぼしが減る」

人によっては「人生をそのまま保存できる」かもしれません。

私は、物的・経済的に豊かではない状態で子供時代を過ごしたため、

せいぜい保存可能な状態で残っている情報は16歳頃からしかありません。

それでも、「今」気づくことができた感覚を大切にし、

これからの経験や知識、感覚や感情を

濃縮・整理・保存し、考察していきたいと考えています。

 

ちなみに私は紙媒体も嫌いではないので

買ってしまった本棚4つには、本当に濃縮したファイルや記録だけ

を残していこうと決めました。

紙にしかない気づきや良さもちゃんとありますからね。

そういったものはいつでも手に取れる身近なところに置いておきたいと思います。

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