2018/12~2019/12までの記録
実は2017/12~2018/12までとして
1年の実践を記しています。
今回はその第二弾として、
2018/12~2019/12までの1年をまとめました。
前回は「金融に強くなる」ことを主軸にしていました。
そして、今回は様々な「お仕事」を経験することになった1年でした。
それに伴い「社会通念」と「人間の種類」と「税・保険」について
理解を深めました。
もう少し正確に表現すると、
様々な「お仕事」をすることになり、
各仕事場では、その職種に応じて「色々な人間性」に触れることとなり、
「結果として」、仕事の変わり目につき生じた
「税務問題と保険の解決」に取りかかったために
主にこの3種類の理解を深めざるをえなかったというのが正直なところです。
ですから、ちょうど1年前と比べるのはやや不毛な気はしますが、
1年前よりは明らかに難しいことに理解を深めたと思うと同時に
真新しいことに挑戦し続けた1年前よりは「充足感」に近いものは足りないという思いはあります。
それに、
適切な表現かはさておき、
「問題側がこちらを待たずに押し寄せ続けた」ために
「ケツを叩かれる勢いで前に進むしかなかった」状態でした。
本当はもう少しゆっくり学んでいきたかったです。
今年1年は総括して「少し精神的に疲れた」1年でした。
以下、丁寧に見ていきましょう。
感じ取った「社会通念」というもの
ほとんど社会経験のない自分でしたが、
誘いを受けて、心機一転誘っていただいた不動産の社長とともに1月にスタートしました。
本当は語りたいことは多くありますが、割愛します。
ここでは4月いっぱいまでお世話になりました。
期間で見れば3ヶ月。
数字上とても短いですが、本当に1年を共にした(それでも1年ではあるが)
といってもいいくらい密な時を過ごしました。
(社長1人の会社だったため)
辞めるに至った原因は
すべて私にあります。社長の想いに「結果」を残すこともできませんでした。
辞めるに至った理由は
4月に信頼の相互性が崩れたからです。
私は辞めたいくらい辛かったけれども、
辞めたいと思ったことは一度もありませんでした。
社長についていく想いが強かったからです。
辞めてから社会保険の知識が着いてから書類を確認してわかった事ですが、
表面上5月7日に今後どうするか話し合って辞めたのですが、
4月の終わりにはもう私は書類上辞めた扱いになっていました。
(4月終わりに社会保険事務所の手続きが済んでいた)
もう社長の中では私がどのような結論を出そうとも決断を下していたのです。
ここでは社長がひどいだろうということを言いたいのではありません。
むしろ社長にはとてもお世話になりましたし、感謝もしています。
私が本格的に法人を創り上げていくことという目標を決意できたのも
近くで様々なことを実践し、見せていただけたからです。
親友が1人いるのですが、
彼が中学生の時言った言葉で
「顔と性格って反比例するよなー」(顔の可愛い後輩の性格が可愛くないことを、当時習いたてだった数学の「反比例」にかけて皮肉った言葉)
に近い感覚かもしれませんが
「成功と人間性はどこかでトレードオフになり、臨界点にあたる」
ということはあながち間違ってはいないと思うようになりました。
しかし同時に、これが真理として正しいかはまだ判断つかないといった状態です。
社長のいいところ・悪いところ、いっぱい間近で見ることができたからこそ、
今の自分に繋がり、
今の自分が3年後の自分選択肢を増やし
5年後の自分の未来を変え、10年後に生まれ変われると
強く信じているからです。
「社会通念」などと大きく書いていますが、
結局のところ頑張るのは当たり前、
そしてどのくらい頑張ったかではなく、どう結果を出すかが大事なのだろうと
身をもって感じ取りました。
感じ取った「人間の種類」というもの
学歴の本質的価値が均質化してきた現代でも、
いい学校に進める「基本的能力」「基礎的能力」がある人は
やはり仕事としてやり切る力や丁寧さは備えているという
「傾向」は否定できないとは思います。
ただ、
逆に「使えないくらい怠慢なヤツ」もその集団には目立つ程度に存在していることも
やはり否定はできません。
総じて、どの職種に行っても「好かれる人」と「嫌われる人」はいますし、
どの職種でも「好かれる人」には人が群がり、
「嫌われる人」には人が寄りません。
しかし現実にはこれらの要素は一様ではなく、
様々な組み合わせを持っています。
表現が少し難しいのですが、
弱い相関があるかと言えば、やはり「相関関係」はない、と結論づけたくなる
という感覚に近いでしょうか。
負の側面が普段からよく見えていても好かれる人はいます。
仕事がこなせて好かれる人もいれば嫌われている人もいます。
では、どういう時にしっかりと評価される人物足り得るようになるのでしょうか。
これから綴ることは
いつもお世話になっているFPの先生からの紹介でJAのお仕事を短期でお手伝いさせていただいた時にわかったことです。
と、言っても実はもっと前から分かっていたことでした。
その再確認ができたということです。
結論から言えば、
「見ている人は見ている」
そして、
「人目を気にせず一生懸命に取り組む」
ことが結局自分に返ってくるということです。
よく考えれば、私の尊敬する恩師も「一生懸命」になんでも取り組み、
その姿に私は「見ていて」尊敬するようになったのでした。
当時は、生意気にも「この先生はダメだ」などと他の先生に対して
おこがましくも「評価」するような自分だったのにもかかわらず、
恩師に対してはただただ尊敬せずにはいられなかったのです。
JAのお仕事でこの気持ちを思い出させてくれた
きっかけをくださったFPの先生にはとても感謝しています。
感じ取った「税・保険」というもの
日々のニュースでは、「脱税」だの「差し押さえ」だの、
税や保険には、なんとなく怖いイメージがありました。
しかし、わかったらなんでもなかったし、
「ザル」な部分も(場合によってはあるんだ)ということも知りました。
また不動産の時の話に戻ってしまうのですが、
私は前年アルバイトで、年収で見て住民税非課税でしたので、
今年働いている時には本来住民税は引かれませんが、引かれていました。
また、保険は二重にかかっていましたし(社保・国保)
(これは私が悪い)
源泉徴収票は退職1ヶ月後までもらっていません。
後に、源泉徴収票不発行は所得税法違反であることを伝え、
発行してほしい旨を伝えましたが(12月8日)
「発行しない」と言われました。
私は自分で会社をつくってから、過去のトラブルなど御免なので
出して欲しいのですが、色々天秤にかけて、
今はもうしょうがないと決着を自分の中でつけました。
もちろん、税務所へ「不発行届出」をしてもいいのですが、
「関わらない」ことにしました。
実はこのブログをやっていることは数人知っている人がいるのですが、
社長にも教えた覚えがあります。
読まれていたら…と思う部分もないわけではないですが、
それはそれでいいです。
何度も言うように、
私は社長から様々なことを教わりました。
良いことも悪いことも。
私は退職から半年以上かけて分からないことを解決し、
社長への気持ちも整理をつける段階まできました。
対して社長は、私とのやり取りは5月で一区切りしていたのです。
知らないというだけで損をし、大変な苦労を経験しました。
しかし、これは、私が今後会社を創る上で絶対に活かされることでしょう。
またその他の人の例ですが、
かなり噓の申告でも役所関係にはまかり通っているんだなということも知りました。
最後に来年の抱負で終わります。
私は、今年の経験でもう正社員として就職したいとは思わなくなりました。
収入の面は、額面も追求していきたいところですが、
来年末までに「収入源の数」を4つまで作ることを優先したいと考えています。
また、ブログについては来年末まで150記事以上追加が目標です。
WordPressのカスタマイズでこの1ヶ月で初めて頭を悩ませました。
その結果なのかはわかりませんが少しだけプログラミングの知識がつきました。
html・css・phpをもう少し確かなものとし、javascript・JQuery・ajaxを関連付けて説明できるようなレベルまではもっていきたいです。